2010-07-24

シリーズ「市場は環境を守れない、社会を統合できない」7〜市場主義者たちの詭弁〜

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こんにちは。
本シリーズではこれまで6つの記事の中で「環境保護主義」の名の下に市場が行ってきた環境破壊と、その奥に「私有」という根深い闇が潜んでいることをお伝えしてきました。
シリーズ7回目となる今回は、市場を礼賛してきた市場絶対論がいかに矛盾と欺瞞に満ちたものであるかを解き明かす事で、市場が社会を統合できないその根本原因に迫っていきたいと思います。
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それではまず関連したるいネットの記事からご紹介していきたいと思います。

市場絶対論の矛盾市場はわかりやすいシステムだが、それは絶対ではない。それでは社会は統合できないからだ。その点が認識されずに市場絶対論(市場原理礼賛)をマスコミetcが流布するから国家は政策を誤る。
市場システムは国家からの補填なしには成立できないと考えたほうがいい。
>自由の主体は個人なのである。社会において成功すれば個人におおきな利得と名誉が入ってくる。しかし、失敗すればそれもまた個人の責任なのである。

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しかし民主主義の社会では、個人の責任は緩和される仕組みになっている。生存保障や社会保障制度がそれ。このような制度は各個人が均一に投票を持つため時には大きな政治的な要求として現れたりする。市場システムを貫徹すれば、このような制度は不要なものだ。しかし、この制度がなければ、貧富の差が激しくなりすぎる、そして需要層が減ることで大恐慌を起こしやすい欠点がある。公共事業に代表されるケインズ政策も需要層を増やす手段として存在する。
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これは国家からの補填がなければ、市場はしぼんでしまい社会は統合できないことを示している。市場の維持にはコストがかかるということ。なによりも`80年代以降の市場成長の鈍化と財政赤字の急拡大は、市場成長の維持のために国家財政がつぎ込まれてきたことの結果である。
マスコミや財界はいつも“景気が回復したら税収が増えるから、公共事業など景気刺激を”と要求ばかり繰り返してきた。その結果が膨大な赤字であり、市場絶対論の誤りの証拠だ。
また一方で市場原理と叫びながら他方で国家に景気刺激をねだるというのも、矛盾だらけ。“自由である”という近代的価値は矛盾にも鈍感らしい。

「自分の好き勝手に行動する代わりに何が起こっても責任は自分自身で取る」という市場主義者達の言葉は一見もっともらしく聞こえたりもしますが、いざ本当に困った時には社会に保障を要求しなければならなくなり、これでは全く責任が取れているとは言えません。
また、「弱肉強食」の様に一見して自然の摂理に則しているかのような口ぶりで語られる市場原理主義論も、貧富格差の拡がりにより需要者が減少して景気が悪くなると国家に公共事業を要求しなければならなくなるという矛盾を抱えています。
社会保障も公共事業も、みんなが支払う税金から賄われていることを考えれば、彼らの口にする「自己責任」や「弱肉強食」がいかに現実と乖離したデタラメな論理であるかがよく分かります。
そして、そのデタラメな論理を世間に向けて吹聴し続けてきたのがマスコミであり、彼らはある時は「市場絶対論」を唱えたかと思えば、別のある時には「社会保障」や「公共投資」を叫んでいたりと二枚舌どころの話ではありません。
結局は「自己責任」も「弱肉強食」も国家の補填無しには成り立たない詭弁であり、みんなの税金をみんなが認めた社会保障や公共事業に使っていかなければ社会は統合出来ないということなのでしょう。
次回は「官から民へ」のゴマカシについて追求していきたいと思います。

  投稿者 01180118 | 2010-07-24 | Posted in 未分類 | 2 Comments »