2010-01-30

『国家と市場の力関係の逆転』 2 王権を上回る力を持ったキリスト教教会、背後に金貸し登場

『国家と市場の力関係の逆転』 の2回目です。前回古代ローマ時代にフェニキア商人と貴族により、奴隷教化のためにキリスト教が広まっていく様子が分かりましたが、今回は中世ヨーロッパの状況について調べました。王権の元でキリスト教が発展し、その後王権を超えた力を持つに至ります。同時期都市商人の勃興が始まりつつあった。・・・・・
●中世、王権に庇護され国家と教会が一体化していた
ローマ帝国の崩壊時以降、フランク王国、そして中世まで、教会は世俗の王権によって庇護され、支配のために利用されてきた存在だった。王権による武力支配の時代ですが、諸侯が分立し比較的安定した時代が続く封建時代になると、次第に王権は教会の持つ共認支配力に依存していきます。

西欧中世の教会は、少なくとも11世紀半ばまでは、世俗の王権や諸侯により庇護されながら、その存立基盤を確保していた。それはいいかえれば、教会組織が、俗権の支配の道具として利用されていた、というこうとを意味する。西欧の初期中世社会で、世俗の君主は自国の教会の保護者として、みずから聖俗両方の職務を担うものであることを自認していた。
このように教会と国家が一体化した社会では、司教や修道院長などの高位聖職者は、教会の役職者であると同時に、もっとも信頼できる王の家臣でもあった。司教や修道院長は、王権から授与された膨大な寄進地からの収入を基盤として、王のための軍隊を養い、戦役では王とともに従軍した。高位聖職者たちは、祈祷と典礼を行う教会の聖職者であるとともに、諸侯としての顔をもっていたといえる。
当然のことながら司教も修道院長も、聖職者による選挙という本来あるべき方法によっては任命されず、王がみずからの意向に沿って指名する形で決められた。それはまた、西欧教会の長であるローマ教皇にかんしても同じであった。ローマ教皇も11世紀の半ばまでは、ローマ皇帝の称号を受け継いだドイツ王が、実質的に指名していた。 
「新書ヨーロッパ史 中世編」堀越孝一著より

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(ユニバーサル 新世界史資料)

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  投稿者 Hiroshi | 2010-01-30 | Posted in 未分類 | 4 Comments »