2010-02-27

『国家と市場の力関係の逆転』6 国家と市場の結託→力関係の逆転

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前回の『国家と市場の力関係の逆転』5 ルネサンス:市場が国家を超える転換点では、十字軍遠征で冨を得た欧州貴族・金貸し達が、ルネッサンスにより市民を巻き込み「自由、恋愛、自我・私権の追求を正当化」し、市場権力が国家権力の枠を超えて、無限に拡大して行く流れを見ていきました。
今日は、その後の大航海時代→商人国家オランダの独立→英・名誉革命、産業革命、フランス革命を通じて、国家と市場の力関係が逆転していく流れを見ていきます。
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●国家と市場が結託した大航海時代
大航海時代とは、どんな時代だったのか?以下、るいネット「市場拡大の歴史」より

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近世【侵略交易】(〜AD18世紀末)
欧州発で国家と市場が結託し新世界の掠奪を開始した時代・直接的契機はイスラム国家による東西交易路の封鎖
⇒イベリア半島のイスラム支配を脱したスペイン・ポルトガルが、新たな交易路開拓に大西洋の大航海に突入(マルコ・ポーロ、バスコ・ダ・ガマ、コロンブス)
武力と価格格差の両面で植民地からの原資調達と収奪を強行(葡→印、西→南米、蘭・英→印・北米)参照:「ヨーロッパ価格革命 〜中南米から略奪した金・銀が、近代市場の急拡大をもたらした〜」

オスマン帝国の拡大により、東への航路を絶たれたヨーロッパ諸国は、大西洋へと進出していきます。その中心がポルトガル、スペイン、それをバックアップするベネチア等の商人です。
大航海時代の侵略・掠奪により、ヨーロッパ諸国は、より冨を蓄積していきます。

●商人国家・オランダの独立〜国力が武力から経済力へ転換
武力を背景とした国王による絶体王制の中で、商人達の独立が始まります。
当時、スペイン領ネーデルランド(現在のオランダ、ベルギー)は、毛織物業や貿易で栄え「スペイン国王の財宝」と呼ばれていました。
スペイン国王は、ネーデルランドで産出されるアメリカ大陸への輸出向けの毛織物を管理下に置くために、1万人の軍隊を駐留させて商工業者を弾圧します。これに抵抗して商人・金貸し達が、独立戦争を起こします。そして、1581年独立を勝ち取り、当時、世界規模の商人国家である「オランダ」が誕生します。

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独立後のオランダは、「共和制」のもと大商人が政治を仕切っており、「いかに経済人の利益を保護し、拡大させるか」に力点を置いた政策が実行されました。当時、ヨーロッパでも最先端の造船技術を持っていたオランダは、ヨーロッパ海運を独占し一人勝ちしていきます。
オランダには膨大な資金が集中し、1609年にアムステルダム銀行を設立します。ヨーロッパ中の商人・金貸しは、この銀行の口座を通して決済を行うようになり、ますます資金が集中しました。またこの資金は、高い信用を背景に低利子で貸し出されます。資本は、オランダ国外にも投資され、ドイツや北欧の商工業や他国政府をも左右する力を持つようになりました。
この小国オランダが諸帝国に匹敵するほどの冨を蓄え、力を持っていたという事実は、国力が武力から経済力へと転換したことを意味しています。
(参考:なんでやネットワーク GRND THEORY VOL.4 「経済破局は来るのか?」)

●オランダがイギリスを乗っ取る名誉革命→イングランド銀行設立
各国への投資で力を付けた商人国家オランダは、ステュアート朝のイングランド王ジェームズ2世を王位から追放し、ジェームズ2世の娘メアリーとその夫でオランダ統領のウィリアム3世(ウィレム3世)をイングランド王位に即位させるクーデターを起こします。そして、中央銀行であるイングランド銀行を設立します。

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以下、るいネット「金貸し⇒中央銀行が国家に金を貸し、操り、世界を翻弄する。〜イギリス名誉革命以後の近代史」
より。

1694年にイングランド銀行は設立された。
時の国王は、ウィリアム3世。彼は銀行家(金貸し)の支援→クーデターで即位した。名誉革命と呼ばれているが、以後金貸し(とりわけユダヤ)が主導権を握ったのだから“金貸し革命”とでも呼んだほうがよい。
この名誉革命から、イギリスは銀行家(金貸し)の支配する国になった。そして、その後のヨーロッパの戦争や革命は、イギリス(背後の金貸し)が、どの国や勢力を支援するかで勝敗がきまるようになった。さらに金貸しは、権力が安定しないほうが儲かるので、金に目がくらんだ国王や大衆を手玉にとって翻弄・操作していく“近代”という時代に突入していく。
そうして、
・ヨーロッパの国々は、国王と金貸しが結託した重商主義(17C〜18C)の時代を経て、
・フランス革命(18C末)etc次第に国王を放逐し、より金貸しがコントロールしやすい議会制・民主制へ誘
 導されていった。

●国民国家に繋がるフランス革命〜絶体王制の終焉
以下、るいネット「投資先としての近代国家システム(国民国家←民主主義・マスコミ)」より。

フランス革命の際、権力者=国王初め貴族階級はギロチンの露と消えた。フランスの近代国家化を外から誘導したのは明らかにフランスの支配勢力ではなく、先行して金貸しが支配していたイギリスの勢力。イギリスは、その後ヨーロッパの戦争を背後から支援し(敵対する勢力双方に支援)、投資活動として莫大な利益を上げた(→ロスチャイルド家の発展)。
フランス革命は、近代思想(自由・平等・愛)を導き役として、それまでの制度をアンシャンレジュームとして完全否定しなしとげられたもの。しかし、内実は民衆扇動とテロの繰り返し。この時から、近代思想という大枠での染脳が行われ、加えて情報操作(=情報機関+マスコミ)によって民衆扇動・世論操作が行われるようになった。
現在の国家システムもその延長上にある。

フランス革命により、「絶対王政」が崩れ(国王の駆逐)、議会が主権をもつ「国民国家」が成立しました。金貸しによる国家の間接支配が始まります。民主主義とは、金貸し達が、国王を駆逐し大衆を支配するための作りだしたのではないでしょうか。
そしてヨーロッパ諸国は、フランスにならって、次々と「国民国家」に移行して行きます。
中央銀行としてのイングランド銀行の設立、大衆を抱き込んだ国民国家の成立、ルネッサンスから始まった自由、恋愛による自我・私権追求の正当化・近代思想、産業革命による近代市場化を武器に、国家と市場の力関係の逆転が、各国で起こり始めます。
商人・金貸し達の本拠地は、
フェニキア→ カルタゴ→ ベネチア→ アムステルダム→ ロンドン→ ニューヨークへと移行してきました。その過程で、広範囲のネットワークを形成するキリスト教教会と結託し、国王・諸侯と結託し、大衆を騙し、成長してきました。
また、十字軍遠征・騎士団〜大航海時代〜産業革命と、掠奪と騙しも含めて財を蓄積し投機化した欧州貴族(金主)・支配階級達は、その身分と財を私権の相続によって未だに維持しています。これは武力支配時代の身分固定よりはるかに長期間であり、力の相続という点では市場時代の方がより強化されているのではないでしょうか。その意味でも「国家と市場の力関係が逆転した」と見てよいでしょう。

画像はこちらからお借りしました。
フランス革命
ポルトガル・スペイン交易路
オランダ交易路
ウィリアム3世

List    投稿者 yooten | 2010-02-27 | Posted in 未分類 | 3 Comments » 

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コメント3件

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