2010-02-28

GDP信仰からの脱却12〜新しい指標は、新しい課題から

これまで、GDPという指標の本質、そしてGDPに変わる指標を探ろうとしている動向を探ってきた。
GDPの本質は「お金の流量」である。これは、庶民的な感覚で言い換えれば「給料の高さ」や「消費の多さ」であり、企業にとっては「売上」や「利益」であった。即ち、GDPという指標は、個人・企業・社会にとって「金で手に入れられるモノやサービスの豊かさ」のモノサシだった。

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このモノサシは、誰もが貧困から脱出しようとしていた時代には国家〜個人を貫いて有効に機能していたが、一方で豊かさの追求はあらゆるものを市場化し、共同体をバラバラに解体していくことになった。そして、豊かさが実現された’70年以降は、縮小し始めた消費と生産を嵩上げしGDPを維持すべく、国家が借金を重ねる事態となり、果てに返済不可能な国家債務が積み上げられるに至った。しかし、幾ら借金を重ねても消費が再生することはなく、人口は減少し、人々の活力は衰弱していく一方。もはやGDPは国家〜個人を貫く有効な社会指標ではなくなってしまった。
これは日本だけではなく世界的な趨勢でもあった。そこで「幸福度」といった要素を盛り込んだ新たな指標づくりの動きがブータンやフランスで起こり、日本でも注目されるようになった。しかし、個々人の主観に委ねられがちな幸福という概念を明快かつ適正な指標として結実させることが可能かどうかについては疑問が残る。
では、これからの社会で有効な指標とはどのようなものか?ネットサロンの追求仲間と議論した、本ブログとしての提案を、あと2回ほどの記事で提起してみたいと思う。
いつも応援ありがとうございます。

(さらに…)

  投稿者 s.tanaka | 2010-02-28 | Posted in 01.世界恐慌、日本は?2 Comments »