2012-05-15

【戦国時代の権力需要と市場】〜巧妙な観念力で勢力拡大してきた寺社〜

戦国時代の市場から日本の金融史を探求するシリーズ。前回までは鉄砲(武器)市場を切口に、武器商人による流通経路、市場拡大を扱いました。今日は鉄砲を扱った別勢力「寺社」について触れてみたいと思います。
 
前回までの記事はこちらから
金貸しの起源は堺にヒントがある!
鉄砲伝来の背後にいた勢力 
 

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時代は16世紀。織田信長は、新兵器=鉄砲をいち早く導入します。長篠の戦いでは、3000丁の鉄砲を調達。単発鉄砲の弱点を補う3段打ちで、当時最強と言われた武田氏の騎馬隊を殲滅したとあります。これには諸説あるようですが、鉄砲がその後の戦を変えたのは、概ね事実のようです。
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長篠の戦い
 
遡ること4年前、信長は、比叡山延暦寺の焼き討ちを行います。絶対不可侵であった寺社の、中心勢力を攻撃した、その神仏恐れぬ凶行が今日の注目点です。
 
信長と宗教

当時の比叡山は単なる寺社ではなく、武装した僧兵がたむろす軍事拠点という一面も持っていた。さらにそういった僧兵達は女も抱けば不浄な物を喰らうという、荒んだ生活を続けていたのである。さらに武力と権威を盾に様々な利権を手にしており、統治者としては頭の痛い存在であった。
そんな比叡山が信長の宿敵である浅井・朝倉を匿い、信長の警告も聞かずに 「アンチ織田」 的な態度を取り続けたため、信長は極端な制裁手段に出ざるを得なくなった。だから信長は比叡山に対して何度か警告を発し、それでもダメだと悟ったからこそ実力行使に出たのである。
当時の比叡山は、宗教の笠を被った戦国大名と言っても差し支えないほどの兵力を持っていた。これは比叡山に限ったことではなく、比叡山@天台宗も、本願寺@浄土真宗も、法華宗も、みんなそんじょそこらの大名じゃ手出しできないほどの軍事力があったのである。早い話が、この当時の寺社は宗教団体とヤクザが合体したような存在だったのだ。

 
戦国の表舞台に、出てくることが少ない寺社勢力ですが、戦国武将と同等の力を持っていたとは驚きです。また寺社町には鉄砲鍛冶屋があり武装化。さらに鉄砲を所有するに留まらず、多くの武将に販売も行っていたようです。言わば武器商社としての顔を持つ寺社ですが、その力は、どのようなものだったのでしょうか。
 
寺社とは何か? 中世の寺社勢力

中世まで遡っていくと、現代の宗教法人とは全く違った「寺」が見えてきます。
寺社は、寺社都市を中心とした、経済、政治の支配者で有り、同時に金融支配者(=高利貸し)でもあり、法執行権も持っていた。朝廷からの庇護、武士からの宗教的な畏怖を受けていたので、時代の特権階級でもあった。意表的な物では、興福寺、比叡山などは、自治都市堺などと並ぶ、都市勢力をなしていた。
1.武力
鎌倉幕府倒幕時に、後醍醐天皇らは熊野・高野山・叡山に出兵を要請した。この時の功績の恩賞として、叡山は若狭守護職が与えられている。特に、叡山はただの武装集団では無く、戦場において槽達の手柄を記録、報告、審査して論功行賞を行う軍奉行を備えた武士団の様な性格を持っていた。
実践的にも、中世初期から、寺社同士の決戦はいくつも行われてきて、武士群、同様に数千人規模での戦闘が行われていた。興福寺VS延暦寺の興福寺からの果たし状は文書が残っている。
2.技術力
中世最初の山城建設は叡山。城壁、堀、東西の塔を持ち、「城郭」を形成している。(因みに「城郭」は仏教用語)同様に、根来寺(和歌山県岩出市)、平泉寺(福井県勝山市)等も強大な軍事力とともに、高度な石塁施設を築造しており、織豊政権より先行している。
3.観念
鎌倉時代末期、比叡山僧光宗が「渓嵐拾葉集」という本で、仏教以外に、武術、医学・土木・農業などの俗学を学んだと語ったように、中世において寺院は、先進文明、先進文化を生産し続ける場であった。ルイス・フロイスは、当時、叡山を「日本の最高の大学」とみている。対して、鎌倉時代、漢字を書ける武士は少なく、武士の文書は平仮名で書かれていた。
4.市場
中世の都市の多くは、寺社建築(ある意味摩天楼)を中心に、商工業・住宅地が配され、その外側に貧困民が集まる「寺社境内」が囲んでいた。戦国時代の一向宗・日蓮宗寺院の「寺内町」が有名だが、平安時代から、京・太宰府・鎌倉だけで無く、南都北嶺、東寺、醍醐寺、石清水八幡宮寺、四天王寺など。無数に存在していた。
この「境内都市」は、油屋、紺屋、酒屋、武器屋が建ち並び市場を形成し、金融業者の土倉・蔵が建ち並ぶ金融街でもあり、法体職人が集住する一大工業都市でも有った。
5.領主
寺院は、荘園領主としての性格も持ち合わせていた。所謂、寺社領荘園。守護として領地を管理し、年貢を集め、警察権、裁判権、徴兵権を行使していた。加えて、武士団同様に領地拡大に励み、戦闘後の敗者領地を「寺社で無ければ、祟りを納めきれない」などと、宗教的な正論も利用していたので質が悪い。鉄砲に支えられた強大な軍事力を持つに至った、根来寺は、和泉守護細川元有、幕府有力者三好実休を滅ぼし、戦国大名にまでなっている。

 
寺社は、支配階級からの寄付により、生産しなくとも収入を得られる地位を確立。それを足掛かりに、大衆洗脳組織として発達。やがて意にそぐわない国人(天皇や武士階級)に圧力をかけることもできる力を得ていきます。また貴賤問わない疫病や災害からは、祟りを理由にお布施を得ることもできました。 
 
持てる観念力を武器に、資本力、武力と、勢力を拡大したきたのが寺社勢力。寺社とは、観念力を持つ大学、マスコミであり、資本力を持つ財閥、商社であり、武力を持つ軍隊でもあったようです。
 
その中心に存在したのが比叡山延暦寺。宗教弾圧とも取れる行動を起こした信長ですが、実体は、巨大な寺社の力が信長の野望(日本統一)にとって抵抗勢力になったから。ということのようです。
 
社会が混乱し、不安になるほど儲かる坊主。寺社の歴史は、金貸しの観点からも、見直していく必要がありそうです。

List    投稿者 tani | 2012-05-15 | Posted in 02.日本の金貸したちNo Comments » 

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