2015-02-19

「天皇」という力の正体とは?(5)~天皇財閥を頂点とする財界ピラミッド

前回記事では、天皇が戦前に所有していた代表的な企業を幾つか紹介し、その果たした役割が日本の植民地支配のためであったことを『天皇財閥 皇室による経済支配の構造』から紹介した。

今回は特にその力が強大化し、戦時体制がつくられていった昭和天皇の時代、天皇財閥とその他の財閥、そして軍がどのような関係を構築していったのかを見てゆく。
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■『軍財抱き合い』で軍国主義へ
大日本帝国が昭和に入って軍国主義化し、無謀な太平洋戦争へ突き進んでいった過程は、帝国陸軍をはじめとする「軍部の暴走」と総括されることが多い。しかし、それだけでは片手落ちである。戦争を望んだのは軍部だけではなく、むしろ脇役と言ってもいいくらいだ。

 国家総動員というと、すぐに軍部独裁を思い浮かべる向きが多いだろうが、当時は産業資本や財閥もこぞって政策に賛成したのである。昭和十二年に成立した林銑十郎内閣では、財界出身の日本商工会議所会頭、結城豊太郎が大蔵大臣に、さらに日本銀行(日銀)総裁には三井財閥の代表である池田成彬(一八六七─一九五〇)が就任している。結城は蔵相として「これからは財界と軍部は抱き合って行きたい」と発言した。(『昭和史への証言3』一二〇ページ)。これにより、財界と軍部の協力体制は「軍財抱き合い」と呼ばれるようになった。当時の財界と軍部の関係を示す、みごとな言葉である。
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結城豊太郎(左)と池田成彬(右)ともに日銀総裁を歴任

戦前の日本を調査した米国人学者ビッソンは、むしろ力関係は財閥>軍であり、政治家はもちろん、官僚や将校の多くは財閥んおヒモ付きであったと論じている。

政党の指導者は財閥の国会における操り人形であったし、高級官僚や海軍将校の多くは財閥からの圧力に対して、ただ従順であった。
(『Japan’s War Economy [日本の戦争経済] 九ページ)

■天皇財閥を頂点とする財界ピラミッドの形成
昭和13年(1938)に発令された国民総動員法は、戦時体制へ向けて国民全てを徴用することができる法律と一般には考えられているが、それだけではなかった。この法に基づき1942年に公布された「金融統制団体令」により、国内の銀行が再編・統合された。

 天皇財閥を頂点とする、諸財閥のピラミッド構造をもっともよく示すのが、第二次近衛内閣で閣議決定された「財政金融基本方針策要綱」である。戦時における金融統制のための法令、「臨資金調整法」や「銀行等資金運用令」などによって、あらゆる金融機関をひとつの機構のもとにまとめあげることを意図した制作である。
 その政策の実行は、日銀を中心として行われた。天皇財閥の中核である日銀が、他の財閥の銀行を統制下に置いたのである。

こうして、戦前の日本において、天皇財閥を頂点とする財界ピラミッドが形成された。

第3章

さらに、この国家総動員制による体制転換で、最も利益を得たのも財閥であった。

財閥への資本集中度は、1937年の22.6%→1946年には42.6%へ上昇。十四財閥(鮎川・住友・安田・浅野・日窒・大倉・古河・日曹・野村・森・中島・理研)が国家資本の半分を占めるようになる。

銀行数は吸収合併により昭和12年に230行が消滅、昭和16年には194行、20年には61行まで減少。一方で資金需要は昭和15年からの5年で5倍に膨らんだ。

こうしてみると、昭和初期に日本を幾度も戦争に導いたのは、軍よりもむしろ財閥・財界であったことが分かる。これは、近代西洋、そして現代においても、金貸しが戦争を望む図式と極めて近似している。近代戦争は経済戦であり、戦争で儲けるのが資本・金貸しであることは、昭和日本も例外ではないのだ。

では、こうした視点で見ると、満州を初め、第二次大戦に行われた日本の大陸進出の本質とは何だったのか。次回、同書より紹介する。

List    投稿者 tasog | 2015-02-19 | Posted in 02.日本の金貸したち, 08.金融資本家の戦略No Comments » 

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