「天皇」という力の正体とは?(6)~満州侵攻の本質は中華の金融支配だった
多くの歴史書は、満州の侵略を、現地に駐屯した陸軍の暴走であると説明しているが、事態はそのように単純なものではない。日本と奉天軍閥の間での「マネー戦争」こそが、事件の本質なのである。つまり、通貨発行権をめぐる戦いである。
『天皇財閥 経済支配』第3章より。以下同
今回は、戦前日本の軍国主義の認識に新たな視点を与える、この満州における天皇財閥の配下企業と軍部の行動に焦点を当てて紹介する。
張作霖爆殺事件の背景には、日本と奉天軍閥である張作霖の「マネー戦争」があった。
経済学者、小林英夫の『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』によれば、満州は農作物、とくに大豆の大収穫地であった。満州の農民は地主たちと「官銀号」という地方金融機関で結びついていた。大豆を売った代価で「金票」と呼ばれた朝鮮銀行券、「鈔(しょう)票」と呼ばれた横浜正金銀行の兌換券など、彼らにとっての「外貨」を取得し、一方で大豆の購入費には官銀号紙幣を充てていた。奉天軍閥は取得した外貨で武器を購入。さらなる軍事力増強のために外貨を取得すべく、官銀号紙幣が乱発されたのである。そのため、重大なインフレの懸念が起こったのだった。
満州を管理しようとする、日本の出先機関である満鉄と関東軍は、この事態を放置しておくことはできなかった。
即ち、満州側の官銀号紙幣と日本側の銀行紙幣の衝突であり、こうした満州地域の金融支配の必要が、満州事変へ繋がる張作霖事件の理由だという。
官銀号の活動を批判する満州日日新聞
満州事変により満州国が誕生すると、日本はまず「幣制統一事業」を展開した。地元金融機関を日本の支配下に置き、ほぼ完全に現地通貨を回収し、満州中央銀行を設立してその中央銀行券で「幣制統一」を成し遂げたのである。これにより、日本政府は満州における通貨発行券を独占することに成功したのである。
通貨発行権の独占が国家支配の要であるのは、何も金貸しだけに限らないということだ。もちろん、こうした支配のための知識も、明治維新の際に欧州の金貸したちから天皇を筆頭とする明治日本政府の要人たちが教育を受けた可能性は高い。
満州進出の本当の理由が分かれば、次の華北進出についても同様に理解することが出来る。
しかし、日本に対抗する張作霖の息子、張学良はイギリス・アメリカの商業資本をバックとする、「浙江(せっこう)財閥」と組み、華北および華中での日本の幣制統一を妨害した。「浙江財閥」とは、「買弁」と呼ばれた、親英米派の中国人資本家の集まりである。
太平洋戦争で、日本と英米が完全に決裂することになった本当の理由もここにある。日本はイギリス・アメリカの中国利権を脅かしたのである。
英米は満州には利権を持っていなかったから、日本の進出を黙認し、日本は満州国を設立することができた。しかし、中国・上海はそうはいかなかった。ここで英米の虎の尾を踏んでしまったことが、日本が太平洋戦争へと追い込まれてゆくことになった根本原因だったのである。
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