2008-07-17

戦後日本の高度経済成長を検証する NO.2〜ドッジ・ラインのしくみについて ジョセフ・M・ドッジって何者!?

前回、6月23日のブログで、「戦後日本の高度経済成長を検証する」という記事を紹介した。
今回は、その続きである。
戦後の日本を変えたドッジラインという政策。
それを立案・勧告した人物こそ“ジョセフ・M・ドッジ”その人だ。
だが、彼の正体は意外に知られていない。
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ジョセフ・M・ドッジって何者?

(引用)
1891年、デトロイトの貧しいクエーカー教徒の芸術家の息子として生まれた。大学には進学せず、高校卒業後、銀行にメッセンジャーとして勤め、事務や簿記をしていた。1911年にミシガン州政府で証券と銀行の調整分野の仕事についた。20年代初め、デトロイト銀行の株式売買担当員として迎え入れた。大恐慌の最中、ドッジはデトロイトのいくつかの銀行の合併と再編成を支援し、33年にミシガン州で一番歴史のあるデトロイト貯蓄銀行の頭取兼取締役に就任した。彼は、固い仕事をするまじめ一方の銀行家という評判を獲得している。ドッジの指導のもとで、デトロイト貯蓄銀行は、資産額も36年の6000万ドルから、ドッジが総司令部の財政顧問に任命された48年には5億5000万ドルへと急成長した。37年にデトロイト代表として復興金融公社の諮問委員会に加わり、翌38年にはシカゴ地区連邦準備銀行の総裁を六年の任期で務めた。戦争中、ヘンリー・スチムソン陸軍長官の要請で、軍需契約委員会や価格調整委員会の委員長などいくつかの経済関係の役職についた。ヨーロッパの戦争が終わると、ドッジはアメリカの世紀を築くための役回りを演じることになった。ドイツの金融体制が崩壊した際、ドッジは軍政長官ルシアス・クレイ将軍の経済顧問代理となり、デフレ的な通貨供給量削減を計画し、一九四八年のベルリン封鎖を招いている。47年から51年まで、マーシャル・プランの基金を扱う経済協力局(ECA)に対して財政・金融問題を諮問する委員会の委員でもあった。

貧しい家柄に育ったが、非凡な才能は努力によって、潰されることなく、銀行分野で開花した。
世間からその有能さを認められ、デトロイト銀行頭取やドイツ占領軍金融顧問等の職に就いた。
これが、ジョセフ・ラインの大筋の経歴であり、この後、ドッジ・ラインを立案していくのである。

ドッジ・ラインって何?
戦後の日本経済を立て直すため。自立と安定をはかった財政政策。
本当に自立と安定のためだったのか?
何か思惑があるのでは?!
調べていくうちに、ドッジ含め、それを指導するアメリカ側の思惑が見えてきた。
本当は、日本のためではなかった?!

《ドッジ・ライン政策の目的》
アメリカの支配する世界資本主義経済の中に、自由競争を基盤として日本を組み込むこと。
そのため・・・インフレを抑制し、輸出を増大する必要!
だからこそ、ドッジが掲げた政策として、3つ挙げられる。
《ドッジ・ライン》
①歳出を削減し、歳入を拡大することで、均衡予算を達成する
②米国の援助見返資金を利用し、復興金融金庫を段階的に廃止して、「金融引き締め」を行う
③当時の物品別の輸出および輸入レートなどを複数レートの代わりに
 単一の円・ドル為替レートに設定する。
日本の政策を見直すとともに、国家の総合予算全体に着手していった。
①均衡予算
当時の池田勇人蔵相と日本の予算について、何度も会合し、その中で実際の予算と紙の上の予算の不一致が発生していることが判明した。池田は一般会計だけを取り上げ、1948年以来予算は黒字を保っているとしていたが、実際は、国立学校や国立病院、政府の貸付資金、日本国有鉄道といった政府所有企業を含めた特別会計の赤字を無視していた。赤字を補う方法として、公債発行や日本銀行から借入金を使っていたのである。
<政府の総合予算の赤字>
 46年度 620億円
 47年度 1490億円
 48年度 3480億円

国家の歳入の約1〜2割がインフレ促進に使われていた。
予算見直しで、歳出減するために削減対象を拡大していた。

(削減対象)
○公共事業費
ex) 子供たちを高校まで就学させるために、建設予定の費用を削減
○企業への補助金
ex) 亜鉛・アルミニウム・鉄・鉄鋼などの原材料を価格差補給金の削減
○公務員の解雇による人件費
ex) 日本国有鉄道の人件費をカット。運賃6割値上げ、運営コストを切り下げて採算をとった
1949年度予算の全歳出が減少し、税収は大幅に増加。
予算も均衡になり、インフレをもたらす政府借入金の増加を抑制した。

②アメリカの援助見返資金を利用し、復興金融金庫を廃止、金融引き締めを行う。
見返資金は、1949〜50年度の全予算の2割を占めていた。
この資金には二つ目的があった。
○復金債をはじめとする政府負債の返済
○復興金融金庫を縮小すること
経済復興や輸出拡大に不可欠な民間企業の資本構築貸付の多くが、見返資金からくるものだった。
また、復興金融金庫を縮小し、ゆくゆくは廃止の方向に持ち込みたかったが、廃止までは至らなかった。

③単一為替レートへの転換
(目的)
安定した単一為替レートを通じて、日本経済を世界資本主義体制の中に統合すること
ドッジたちは、1ドル=270〜400円の範囲で、輸入価格や輸入品に対する政府の補助金、それに輸出価格にどのような影響があるか調査した。為替レートを低く設定しすぎて、「国内市場の商品を輸出に回すことが目的なのに、輸出品が国内市場に流れる」ことを懸念していた。1ドル=330円で一度は手を打たれたが、最終的には1ドル=360円で固定された。以後、22年間この為替レートは続くことになる。
建前上は、日本経済の自立と安定をはかった金融引き締め政策だが、ドッジらの思惑は全く別のところにあった!!
米国の支配下におくため、日本を手なずける策がドッジ・ラインだったのではないか?

他にも、ジョセフ・ドッジと関わりがあるのではないかという記事を見つけたので、以下紹介する。

(引用)
クリーブランド・ドッジ。ドッジ一族は、後にブッシュ一族と共に、世界最大の銀行シティバンクを経営。第二次世界大戦後、日本に米軍を常駐させ、日本を再軍備=自衛隊を作り、それと引き換えに日本を経済成長させ、「日本と中国、ロシアとの戦争に備えさせる」政策=いわゆるドッジ・ラインを作成した一族が、このドッジである。現在の日本に常駐する米軍、また自衛隊、日本の「豊かさ」は、麻薬企業ラッセルの取締役ドッジ一族により「設計」されて来た。

ラッセル社の経営陣の中に、クリーブランド・ドッジがいる。
ジョセフ・M・ドッジと何かつながりがあるのではないか?
この二人の関係性は?!
まだ推測だが、ジョセフ・M・ドッジとクリーブランド・ドッジは、近い関係だったのではないか。親戚?
また、ラッセル社とのつながりは?!
実に興味深い人物である。
引用先   オルタナティブ通信
参考文献 『占領1945〜1952』 ハワード・B・ショーンバーガー

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

List    投稿者 dodo | 2008-07-17 | Posted in 02.日本の金貸したち4 Comments » 

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コメント4件

 yamasho | 2008.11.09 0:21

食糧は市場経済に完全に委ねられるものではないと思っています。
生存に不可欠のものを、市場の中で金融資本に支配される危険性にさらすことはできない。
放置すると独占支配されかねない状況になっているし、穀物メジャーという存在そのものが不要なものだと思います。

 CALENDAR | 2008.11.09 15:39

メジャー中心の穀物市場システム自体を変える必要があるのですね。
今後、BRICsあたりの発言力も強まるでしょうから、ちょっと期待しましょうか。

 brown hermes | 2014.02.02 7:14

hermes ost-hub 金貸しは、国家を相手に金を貸す | 金融危機後の穀物メジャーの行方は?

 wholesale bags | 2014.02.10 14:47

金貸しは、国家を相手に金を貸す | 金融危機後の穀物メジャーの行方は?

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