2012-08-16

【戦国時代の権力需要と市場】シリーズ第7回(最終回) 〜群雄割拠の力の基盤 武力に資本力が重なった時代

ここまでこのシリーズでは、徳川幕府成立から、日本の金貸しの影響を探りながら、戦国時代へとさかのぼってきました。
前回エントリーでは、戦国時代の制覇に後一歩まで迫った、織田信長の着眼点を整理しました。
「寺」「港」「城」
武力だけでは制覇できない時代だった事が明らかになりました。
その後の徳川家康に至る過程で、商人の経済力が制覇力となる社会構造が確立するのです。
今回のエントリーは、この戦国時代を通じての権力構造を整理して、このシリーズを一旦、まとめさせていただきます。
戦国時代に、権力闘争を繰り広げたのは、守護大名達だと、教えられてきましたが、時代はそれほど単純ではなかった。
主要な登場人物は、守護大名、寺社勢力、商人であり、朝廷や貴族、将軍は脇役だったのです。
(朝廷や将軍が脇役に成り下がったから戦国時代に突入したとも言い得ますが・・・)
まずは登場人物を紹介します。

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登場人物1:守護大名
拠って立つ基盤は、当然武力。
徹底的に武力で領地をでもぎ取り、ひたすら略奪、拡大。
領地の拡大と共に兵力UP・・・・まさにゲーム「信長の野望」
↓信長野望スタート時点
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画像は以下のサイトより頂戴しました。
↓信長野望進展後
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画像は以下のサイトより頂戴しました。
但し、鉄砲伝来により、武力は鉄砲を中心とした武器(火気)獲得力に規定されることとなり、経済力を持たなければ勝てない時代に突入・・・・・ここポイント!!
(だから、信長は「寺」「港」「城」に拘ったわけです)
登場人物2:寺社勢力
代表的選手は、比叡山延暦寺や石山本願寺。
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画像はコチラから戴きました。
拠って立つ基盤は、観念=宗教。
但し、念仏では戦には勝てないわけで、宗教を根拠とした経済力、そして武力。
代表選手、比叡山延暦寺は、信長に焼かれるまでは、日本最大の財閥とも金融業者とも言われていますし、石山本願寺の顕如は大名とまで言われていました。
お布施に始まり、寺社町からの寺銭、各所に設けた関所からの上がりが寺社の収入でした。
終いには、大名達の戦後処理を担い、敗者の領地は祟られているから、門徒でなければ納められないなどとして、領地を没収、拡大してきました。
蔵を持ち、金を貸し、工業製品を作る職人でもあった彼らは、戦国時代には、おおよそ「坊主」には見えないイデタチだったようです。この記述は、ルイスフロイスの記録(日記)などに詳しい。
寺院は御本山を中心にしたフランチャイズ制度も導入できますから、そのネットワークは日本全国に広がっていきます。
石山本願寺+一向宗に見られるように、人海戦力も威力を発しますが、最終的には、鉄砲を中心とする武器購入力=経済力が制覇力を規定した。
守護大名たちと同じです。・・・・・ここポイント!!
歴史の教科書などでは、寺社はその財産を自衛しなければならず、武力を持った。などと説明していますが、そもそも宗教と言う裏付けと、朝廷の庇護の下で、利権(特権)を行使してきたからこそ財を成し、守らなければならなくなったのです。
歴史的には、朝廷も貴族が頼りにならなくなり、兵力を随分と寺社勢力に期待してきた。
これに応えるべく、寺社勢力は傭兵も組織化しています。
無縁所でもあった寺社は、このような動きに最も適した組織体でもあったのです。
終いには寺社勢力同士で、武力闘争=覇権闘争を繰り広げるまでになっています。
登場人物3:商人
代表選手は、堺の会合衆や博多の商人。
彼らは、交易、金融を生業にして、経済力を付けました。
しかし、時代の制覇力は武力なわけで、刀や鉄砲に歯向かうことは出来なかった。
信長の堺に対する「二万貫要求」は有名ですが、払うしかなかったわけです。
そこで彼らは、後方支援に回ります・・・・悪く言えば要は「武器商人」です。
儲かってしょうがないけれど、制覇力を得るには至れず、権力に寄り添う形で、徹底的に勝者(若しくは勝てそうなヤツ)に擦り寄っていく道を選んでいきます。
ここで、先のポイントです。
守護大名、寺社勢力、ともに制覇力の維持拡大のために、金、交易、武器を欲していましたから、商人の影響力は大きく、やがては寄り添うどころか、操るまでになっていきます。
この登場人物たちの力関係を時代毎に見ていくと面白い。
信長の台頭までは、明らかに、寺社勢力の時代でした。
宗教は朝廷の庇護も受けていましたから、領地も地位も守られ、拡大するのみ。
仕舞いには、寺社勢力同士の戦まで発生。
足利幕府の衰退と共に、守護大名や豪族が争い、世の中が乱れるほど、領地拡大の機会が増大して行ったわけです。(⇒巧妙な観念力で勢力拡大してきた寺社
経済力に目を付けた信長(そもそも織田家は商人の家系)が台頭してくると、一気に(いやいや、結構七転び八起きしながらの・・・信長戦績は68戦49勝15敗4分(←良く調べてくれています)ではありましたが)形成逆転。
寺社勢力は、比叡山焼き討ち、石山本願寺の戦いと、衰退していきます。
この間、ほんの30年くらいですから、この転換は相当に早かった。
一方で、信長の着目した経済力(⇒既得権益層を打砕いた信長の経済政策)をささえているのが、武器商人である豪商達。
彼らは、武器商人として、武器をどちらに売るかで勝敗を操る事も出来ますし、戦争をあおる事も出来るわけで、徐々に支配力を高めていきます。(⇒鉄砲伝来の背後にいた勢力)(⇒信長の天下取りに貢献した「堺」の歴史
商人の目から見て、それでも、信長はなかなか思うようにならなかったのですが、その後の、豊臣秀吉、徳川家康と時代が下るに連れて影響力を高めていきます。
秀吉の時代は、千利休を中心とした堺の商人と近江+博多の豪商が政権内で勢力争いを繰り広げています。
歴史的には、秀吉正室ねね+加藤清正、福島正則等の家康に通じる尾張閥と、淀君+石田三成他五奉行等の近江閥の対立ではありますが、それぞれの経済力の中心をささえていたのは商人達です。
家康の時代に至ると、政治の中心にまで入り込んでいき、最終的には、武士の没落+商人の台頭にまで進んでいきます。(⇒江戸時代とは武力支配から資力支配への移行期だった
権力(=制覇力である武力)闘争の主戦場では太刀打ちできず、抜け道としての経済で権力に擦り寄って力を付けていく金貸しの構造は、洋の東西を問わ無い事が明らかになりました。
制覇力が武力から経済力へと移り変わるきっかけは、武力を行使する最強武器=鉄砲でした。
そして制覇力が、武力から経済力に移り変わる中で、商人たちが力を付ける。
力は付けても、制覇力の主役に立てない彼らは、はじめは権力制覇者に摺りより、やがては操り始める。あたかも、寄生虫のように。
この構造が、洋の東西を問わず共通と言う事は、一つの基本構造なのだと言い得ます。
戦国時代の追及からここまで見えてきました。
一旦、日本の商人に焦点を絞って進めてきましたが、信長以降、宣教師など西洋の動きも気になるところですが、次の機会にしておきます。
有力情報などある方は是非、コメントお願いします。

List    投稿者 gokuu | 2012-08-16 | Posted in 02.日本の金貸したちNo Comments » 

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