2015-01-29

「天皇」という力の正体とは?(3)~西欧化への唯一神として据えられた近代天皇

前回と前々回の記事では、戦前の天皇と宮内省が強大な「財閥」であったことを明らかにした。

ところで、天皇そのものは万世一系の名の通り、明治の遥か以前から何百年にも存在し続けてきた。しかしなぜ、明治維新に当たって、改めて天皇を中心にした権力構造を強力に作り上げる必然性があったのか。

『天皇財閥 皇室による経済支配の構造』に興味深い記述がある。
それは「近代天皇はキリスト教の神である」というものだ。

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明治維新で天皇を祭り上げたのは、明治初期の権力を握った薩長出身の「元老」たちである

 周知のごとく、明治維新は当時の欧米の列強、なかでもフランスとイギリスの勢力拡張争いの代理戦争であった。もっといえば、ナポレオン三世(ボナパルト家)が支配するフランスと、富豪ロスチャイルド家が支配するイギリスとの争いの、極東におけるひとコマが明治維新の本質であった。
イギリス側に加担した薩摩藩と長州藩を中心とする下級武士たちが、明治期の権力を握った。その後、長く生きながらえた者たちは「元老」と呼ばれた。元老たちは、旧幕臣勢力および庶民を抑えつけるために天皇の権力を利用したのだ。そのことは、元老の筆頭と見なされていた伊藤博文が自らそう述べている。
(『天皇財閥 皇室による経済支配の構造』より。以下同)

元老たちによって始めは「傀儡」として祭り上げられた天皇は、やがて「現人神」の性格を帯び始める。

 作家の山本七平は、『現人神の創作者たち』のなかで、幕末の尊王思想の起源を調査した。そして、社会学者の小室直樹は著書『天皇恐るべし』のなかで「天皇はキリスト教の神である」と結論した。

憲法政治を成功させるためには機軸が必要である。ヨーロッパ諸国は、キリスト教をもって機軸とした。しかし、日本には、ヨーロッパにおけるキリスト教に該当する宗教はない。しかたがないので、天皇をもってキリスト教に替えて、憲法政治の機軸にしようというのである。
(『天皇恐るべし』一四七ページ)

 近世まで、人は平等ではない。身分制があり、農民に生まれたものは、どんなに能力があっても死ぬまで農民のままである。これでは近代化はできない。日本では、小室のいう「天皇教」によって人間の平等思想が生まれ、その後の近代化を達成できたのである。

西洋で誕生した「自由・博愛・平等」の近代思想は、確かにキリスト教(ex.神の下の平等)を基盤にしている。古代キリスト教は、掠奪闘争による共同体の崩壊と、力の原理による支配と隷属という覆せない現実を捨象すべく成立した架空観念である。近代思想は、中世の身分序列を転覆し、自我の開放と私権獲得の可能性を実現すべく、この古代宗教の架空観念を流用し旗印としたものだ。
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日本は西洋と異なり、江戸期でも共同体性が色濃く残っており、西洋とは状況が異なる。しかし、西洋の思想と体制を急速に取り入れる上で、天皇がキリスト教の絶対神と同じ機能を果たしたという見方には一理ある。

一方、天皇が象徴化し絶対神でなくなった現在でも日本人は崩壊していない。そこが西洋との違いである。

明治時代でも、神としての天皇の存在は安定したものではなく、天皇は議会などと同じく国家の一機関に過ぎないという「天皇機関説」も登場した。

 すなわち、天皇の勢力が強い(とみなされている)ときには、天皇を絶対視する学説が流行し、天皇の勢力が弱いと「天皇機関説」のような学説が流行するのである。
だから、天皇の権力の強さと、民の力である民力とは相反するのである。いわゆる「大正デモクラシー」とは、大正天皇の治世下、天皇の権力が弱まったことに対応する、民力の高まりを意味したのである。

民の力と相反するという点も西洋の唯一神とは異なる。やはり明治~戦前の天皇は神と支配者の中間存在であり、維新による大転換や戦争による不全感の部分を天皇の神の側面が引き受けていたのだろう。

元老たちの傀儡としてスタートした明治期の天皇は、神格化と財閥化が相俟って、やがて確固たる実質権力を獲得するに至る。

次回改めて、経済主体としての天皇財閥が戦前に何をなしたのかを見ていく。

List    投稿者 tasog | 2015-01-29 | Posted in 02.日本の金貸したち, 08.金融資本家の戦略No Comments » 

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