2012-10-01

【幕末維新の代理人】 <プロローグ>激動の時代、金貸しに手を貸した幕末維新の代理人

前シリーズの『戦国時代の権力需要と市場』、前々シリーズの「江戸編」では、時の権力者よりも商人が支配してきた社会構造 −その時代の支配権力は、既に「武力(軍事力)」ではなく「資力(資本の力)」になっていたこと− をお伝えしました。
それは、ちょうど中世ヨーロッパで、ブルジョワジー=商人階級が台頭し、王族や貴族を凌駕する「力」を持ち始めた構造と全く重なります。商人=金貸しが支配する社会が、世界の中でできあがったわけです。
翻って現在に着目してみるとどうでしょう?

最近話題となっている「戦後史の正体」の著者・孫崎享氏が言及しているように、米国の日本支配は戦後から現代に至るまで連綿と続いています。これは一見アメリカという国家による内政干渉〜支配と思えますが、アメリカ政府や政治家の背後には、軍産複合体を操るロックフェラーや金融・マスコミ業界のドンであるロスチャイルドといった金貸し勢力が居座っています。
つまり、戦後日本の米国追従とは、彼ら金貸しによる日本の間接支配と言えるのです。
これらの歴史を大局的に見ると、金貸しの資力支配は戦国時代以降ずっと続き、いつしかその金貸しが日本人から外国人にとって代わられたことがわかります。とすれば、海外の金貸しによる日本支配の起源はいつになるのでしょう? やはり戦後からなのでしょうか?
その答えは、幕末〜明治維新にあります。
激動の時代として知られる幕末、日本を市場とし間接支配を計ろうとする海外の金貸しと共に、日本側にも彼らの代理人がいたのです。
というわけで、新シリーズ『幕末維新の代理人』、スタートです! 8)

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■過去から続く金貸し支配
明治は「文明開化」の時代と言われますが、世界との交流は決して明治時代に始まったわけではありません。古くは戦国〜江戸時代の初期にも、植民地化を狙いとしたスペインやポルトガルが、遙々日本まで触手を伸ばしていました。彼らは、市場拡大→植民地支配のために、大航海に出たのです。
南蛮貿易に代表されるように貿易が盛んだった戦国時代を経て、江戸時代に入り、3代将軍・徳川家光の時代に鎖国が完成したと言われますが、この鎖国中にも、幕府はオランダや朝鮮等、限定された相手国とはしっかりと貿易を行っていました。幕府による管理貿易ですから、上がる利益は江戸幕府がほぼ独占していました(現在で言えば、政府が商社のように商取引を行っていたようなもの)。
同時に、鎖国=貿易の限定は、(貿易で財をなそうとする)地方大名の資本力拡大と銃器を中心とした軍備の抑止にもなり、大名に浪費させる参勤交代と併せて、江戸幕府は長期政権かつ安定基盤を維持することに成功しました。
敵(大名)の資力を奪い、政権に冨を集中させる。江戸時代は既に資力が最大の制覇力になっていたのです。
しかし、そんな江戸幕府も中期から後期にかけて、資力が徐々に低下していきます。江戸時代の統合秩序は封建的な士農工商です。その最下層の身分であるはずの商人階級が商売を通じて暗躍し、幕府以上の「資力」を徐々に持っていったためです。江戸は、日本で資力が金貸しに移っていった時代と言えるでしょう( 過去エントリー 江戸は商人がつくった  )
衰退する江戸時代後期。その終焉の契機となったのが、1853年の米国ペリーの黒船来航です。日本では歴史の教科書に必ず出てくる有名人、マシュー・ペリー。実は彼はフリーメーソンであることが知られています

ヴァージニア州ノーフォークを出航し、カナリア諸島、ケープタウン、シンガポール、香港、上海、沖縄、小笠原諸島を経由して、1853年7月8日浦賀港に入港し、フィルモア大統領の親書を携えてきた東インド艦隊司令官のペリーもフリーメーソンでありました。
彼が所属していたロッジは、ニューヨークの 「ホーランドNo.8」であります。 フリーメーソンにとっては、定期的な儀式は欠かすことが出来ないため、英米の軍艦にはロッジがつくられており、いうまでもなく黒船にもロッジがありました

Matthew Calbraith Perry (1794-1858)
日本に開国を迫ったアメリカの当時の状況は、次のようなものでした。
東海岸の13州をもってイギリスから1783年に独立し、原住民のインディアンと戦いながら、メキシコとの米墨戦争(1846-1848)を勝ち抜き、西海岸のカリフォルニアに至り、
ジョン・L・サリバンが 「併合論」 に書いてあるように、「北米大陸での膨張は自由の拡大という神に与えられた使命である」 と、国土の拡大をアメリカ人は「神の摂理」と理解し、それを明白な宿命(Manifest Destiny)と表現し、熱狂的に西部開拓を行い、その延長上に太平洋の彼方の日本があったのです。
科学技術の発展により、工場は夜遅くまで操業していましたが、まだ石油が発見される前であったので、灯りは鯨油を燃やしてとっていました。 その鯨油を確保するために、捕鯨は盛んで、1846年の統計では736隻出漁し、日本近海でも約300隻が操業していました。
また、当時はイギリスがスエズを陸路で通過し、インド、シンガポール、香港、上海までの航路を開いており、日本まで支配下におかれると、アメリカは太平洋進出の足場を失うと考えていたのです。
ペリー率いる日本遠征艦隊には、サスケハナ号(2450トン)とポーハタン号(2415トン)が含まれていましたが、当時2000トンを超す蒸気軍艦はアメリカだけが保有していたもので、何故喜望峰を回り、インド洋からシンガポール、上海に至るルートを選んだのかと言うと、イギリスに対する軍事的パフォーマンスの目的もあったわけです。
上海を出航した艦隊は、沖縄に立ち寄り、小笠原諸島に向かいましたが、ペリーは本国に 「イギリスの極東における勢力に対抗するには、沖縄にアメリカ海軍基地を建設すべきである」 と書き送っています。
アメリカの沖縄駐留軍の構想は、江戸末期のペリーの時代から既あり、地政学上、今でも沖縄は重要な位置にあります。
江戸幕府に、国書を渡したペリーは再び沖縄に行き、琉球政府に強要し、貯炭所建設を認めさせました。
Renaissancejapan より


浦賀の黒船キティストラップトップ
画像は、こちら より
(開国を迫られた米国黒船をモチーフに携帯ストラップにしてしまう日本人って寛容!)
このように、金貸しの手先としてフリーメーソンであったペリーが来日したことがわかります。「北米大陸での膨張は自由の拡大という神に与えられた使命である」と、なんて己に都合のいい観念なのでしょうか。市場拡大を正当化しています。それは強制的に開港を迫った史実からも「明白」です。
 ※金貸しとフリーメーソンについては、以下を参照
シリーズ『世界の闇の支配勢力から日本の支配史を読み解く』2
〜裏の支配勢力史 産業革命〜フリーメーソン〜イルミナティ〜アメリカ独立〜
 
日本人が知らない 恐るべき真実
ところで、ペリーの黒船来航が1853年(再来日1854年)、江戸が終わる大政奉還が1867年ですから、黒船来航〜開国〜明治維新まで、実に十数年しか時間が経っていないことになります。本シリーズでは、この短い期間に起こった出来事を「金貸しの史実」の側面から見ていきます。
詳細はシリーズの本編に譲るとしますが、近々お送りする予定のトピックだけでも予告しておきます(大いに変更の可能性あり)
○米国だけじゃない!黒船以前に日本に来ていた国とは?ところでオランダはどこへ行った?
○ペリー来航で周章狼狽の江戸幕府が結んだ日米和親条約は現代のTPP並に不平等?
○条約締結したのに、その後の幕末史にアメリカが登場しないのはなぜ?
○幕府が政権を天皇に返す大政奉還と、倒幕予定日が同じ日だったって本当か?
○文明開化と尊皇攘夷 〜対立する概念と観念収束〜
 ・・・etc

■金貸しの代理人 −幕末の英雄は作られたもの−
そして、激動の時代として描かれる幕末〜明治維新。歴史に名を残す数多くの英雄たちがこの政変の立役者として登場しますが、彼らはどのようにして大改革を成功させたのでしょうか?
実はその背後には、欧米の金貸したちがいたのです。グラバー商会を始めとする武器商人が、日本人に武器と軍資金を与え、彼らを前面に立たせることで、日本の西洋化の幕が開けたのです。つまり、英雄は作られたものだったのです。

明治維新はロスチャイルド一族とその配下のイギリス人たちが、日本の下級武士に起こさせたクーデター(2012-05-04 21:04:35)
通説では、明治維新の一大事業を成し遂げたのは、薩摩藩、長州藩、土佐藩などの地方下級武士だとされている。代表的な人物には、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(桂小五郎)などがいる。ほかにも昨今のテレビドラマで再三、脚光を浴びている坂本龍馬などがいた。そして、その背後にいたのは、ロスチャイルド一族の使用人であるイギリス人のトーマス・グラバーという武器商人だ。彼こそが、明治維新のキーマンである。
グラバーは、イギリスのロスチャイルド一族の貿易会社マンセン商会の社員として中国の上海に渡った後、日本の長崎にやってきた。そこで、マンセン商会の日本支社であるグラバー商会を立ち上げ、幕末の混乱にのって薩摩藩や土佐藩など倒幕側に弾薬を売り始めた。坂本龍馬もグラバーから約7000丁のライフルを売ってもらい、それを薩摩藩名義で長州藩へ横流しをすることで薩長同盟を成功させた。あの龍馬も幕府を倒したいグラバーの意図通りに動かされていたのだ。これを示すグラバー自身の言葉がある。
「徳川幕府の反逆人の中で、私が最大の反逆人だったと思う」
「このグラバーが日本のため一番役に立ったと思うことは、私がハリー・パークス(英公使)と薩摩・長州の間にあった壁をぶち壊してやったことで
こうしてグラバーがイギリスのロスチャイルド家のために働く一方で、フランスのロスチャイルド一族は、幕府側は、幕府を支援していた。日本の幕末から明治初期の動乱の間、ロスチャイルド一族は、幕府側と倒幕側の両方に武器を売って大儲けしていたのだ。どちらが勝っても、彼らが利益を生み出し、支配権を得るような仕組みだった。ヨーロッパで彼らが実践してきた手法である。表向き、イギリスとフランスは日本の支配権争いで対立しているように見えたが、ロスチャイルド家同士は、国を超えてつながっていた。そのことは、幕府側にも倒幕側にもまったく見えなかったのである。
みなみの子のブログ より


画像は、THINKER より
上記にもあるように、幕末〜明治維新の英雄と言えば、坂本竜馬、西郷隆盛・・・と枚挙に暇がありません。しかし、よく考えてみると、財も教養も乏しい下級武士出身の彼らが全て自分たちで社会改革を行ったというのはどうも納得できません。実現基盤がない。
また、時代が動くときに、突如カリスマ的な英雄が現れ、社会や国民を正しい方向に導くのならば、(幕末と同じように動乱な)この現代−原発問題や震災復興、国の借金、領土問題、これもキリがない−という時代に、同じように英雄が出てこないのはなぜでしょう?
そこからわかることは、ある時代に英雄が自然発生的に生まれるのではないということです。それは幻想に過ぎません。幕末維新も金貸しによって担ぎ上げられた人間による改革だったのです。
国人として国家・国益を守るよりも、金貸しの代理人(エージェント)として、市場を開放するための体制・制度改革をしてきたのです。その見返りとして、地位や金を与えられ、自己の利益と保身に走る、現代にも通ずる構造があるのです。
シリーズ【幕末維新の代理人】では、海外の金貸しに手を貸した日本の代理人(エージェント)に焦点を当てて、現代も続く金貸し支配の構造を明らかにすることを目的としてお送りしていきます。
お楽しみに!
 
 

List    投稿者 pipi38 | 2012-10-01 | Posted in 02.日本の金貸したちNo Comments » 

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