2012-11-06

【幕末維新の代理人】黒船来航 ロスチャイルドのエージェントだったペリー

文明開花と謳われる明治は、一方で欧米による市場支配の影響を強く受けています。今日は開国の起点となった黒船来港の目的と、教科書では深く語られない、その背景にふれていくことにします。
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黒船
画像こちらからお借りしました。

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前回までの記事
プロローグ 〜激動の時代、金貸しに手を貸した幕末維新の代理人〜
黒船前夜 〜アヘン戦争と英国による間接統治〜
 
1853年7月8日浦賀に巨大な黒船が現れます。アメリカが日本に対し開国を要求した目的は次のように言われています。
 
ペリー来航の目的

第一に、アメリカと清国の間に蒸気船による太平洋航路を開くため補給基地を日本に求める
第二に、アメリカの捕鯨船の補給基地を日本に求める
第三に、日本との貿易を進めようというもの

 
1842年、アヘン戦争でイギリスが清国に勝ち、欧米金貸しはアジア市場化を目指していました。その中にあって1848年、アメリカはメキシコとの戦争に勝利し、カリフォルニア地方(西海岸)を手に入れ大陸国家となります。
 
当時、アメリカと清国間の移動は、地球を東回りし、ノーフォーク(アメリカ東海岸)からケープタウンを経て、アジアへ到達する航路が主流でした。ペリーもその航路で来日しています。市場化競争に勝つべく、西海岸を手中に収めた次の戦略として、アメリカは西回りでアジアに到達する方法を模索していました。日本はその中継地として、重要な位置にあったのです。
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ペリーが乗船したミシシッピの経路
画像はこりらからお借りしました。
 
ペリーの交渉術

ペリーは蒸気艦の機動力と艦載(かんさい)砲の威力を背景にした巧みな交渉で、初めて日本を開国させることに成功しました。ペリー艦隊の大砲は“サスケハナ”が9門、“ミシシッピ”が10門、帆走スループがそれぞれ22門で合計すると63門になります。
これに対し、江戸湾の入口に配備されていた大砲は約100門ありましたが、ペリー艦隊の大砲に匹敵する大砲は僅か20門程度で、射程距離もペリー艦隊の約2,000メートルに対し、大部分が半分以下でした。この強力な武力を前にしては、幕府としては何とか交渉をまとめて平穏無事のうちに艦隊に引き揚げてもらうほかはなかったでしょう。

1846年、ペリー以前にビッドルが通商を求めて来日しましたが、アメリカ人特有の、親しげに握手から入るような融和外交で臨み、浦賀奉行所に追い返されています。その失敗を鑑みて、ペリーは威厳ある態度で、形式と儀礼を重んじる日本人の流儀を利用し、圧倒的な軍事力を背景にして交渉に臨んだようです。
 
幕府を懐柔するための贈り物

交渉がまとまる見通しがたった頃、贈り物交換が行われました。アメリカからは、蒸気機関車の4分の1模型や電信機など140点が贈られました。人々は時速20マイルで走る蒸気機関車の模型に目を丸くして群がり、機関車の屋根に幕府の役人がしがみついて乗って大喜びをしました。また、電信機は実際に電柱を立てて通信実験がなされ、一瞬のうちに日本語、英語、オランダ語でメッセージが伝達される様子に日本人は非常に驚きました。
 
交渉がまとまるとアメリカ側が日本代表をポーハタン号に招待しました。林大学頭以下70名、見たこともなかった西洋料理と様々な酒を痛飲大食しました。テーブルに盛られた牛、羊、鶏、魚、野菜は、ペリー提督付きのコックが腕によりをかけて料理したものでした。酒はシャンパン、ワイン、シェリー、ウィスキーなどが豪華に並べられました。

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晩餐会
画像はこちらからお借りしました。
 
アメリカは、軍事的な圧力と贈り物による懐柔策の両面から、幕府を開国の道に誘導しています。そして贈り物は、科学技術を基礎に利益を得る商品であり、市場化への一手と見ることもできそうです。この後、情報の乏しい日本は、アメリカに都合良い不平等条約(主に関税など市場化を想定した内容)を結ばされることになります。
 
世界から見れば小国の日本を開国させ、なぜこうも市場社会に巻き込もうとしたのか?最後に興味深い記事をいくつか紹介したいと思います。
 
黒船来航の歴史解釈を塗り替える

アメリカは太平洋の『海のハイウェイ』構築が戦略的狙いで、鯨油中継は口実でしかなかった。日本の開国を戦略目標として、それを立案し、アメリカの政治を背後から動かした人々がいるに違いない。それもキー・パーソンはいったい誰か?
その名をアーロン・パーマーという。かれはロスチャイルドの代理人で、パナマ運河開墾工作にも従事し、NY—上海ルート開拓というロスチャイルドの野望とアメリカ外交の目的とが一致したときに猛然とワシントンを動かし、ペリー艦隊の日本派遣を実現させた、裏のフィクサーだった。
そしてもうひとりオーガスト・ベルモント。おなじくロスチャイルドの代理人。フリーメーソンの会員でもあり、ロスチャイルドというアメリカ政治を裏で動かす人々の利益を代弁した。
NY—上海が二十五日間で結ばれるとアメリカが裨益するのは阿片貿易による膨大な収益と中国からの労働力輸入の円滑化である。

日本開国提案書

1849年9月17日、ニューヨークの法律家アーロン・パーマーはジョン・クレイトン国務長官に『改訂日本開国提案書』を提出した。5ヶ月前に提出した提案書の改訂版である。この3年後に、ペリーの「黒船」が日本にやってきて、武力をちらつかせつつ開国を迫るが、その発端となったのがこの提案書だった。

ペリーとロスチャイルドのつながり

ペリー提督は、アメリカにおけるロスチャイルド代理人、オーガスト・ベルモンのト義理の父だった。オーガスト・ベルモントは、ロスチャイルド家イタリア・ナポリ支店のカール・マイヤー・ロスチャイルド男爵の非嫡出子だった。オーガスト・ベルモントはキャロライン・ペリーと1849年11月7日結婚した。

 
アーロン・パーマーは、ネイサン・ロスチャイルドのアメリカ代理人であり、ペリーを日本遠征に推薦した人物です。またカール・マイヤー・ロスチャイルドの隠し子であるオーガスト・ベルモントは、ペリーの義理の息子ということになります。つまりアメリカを政治的に誘導して、適する人物を選定し、日本開国を画策したのは、ロスチャイルド筋と考えられます。
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ペリーとロスチャイルドの相関図
  
シリーズ2回目の記事「英国による間接統治」にあるように、時代は、欧米列強の市場化競争の渦中にあります。イギリスは東回りでアジア進行し、アヘン戦争では清国に勝利しています。一方でアメリカは東回りだと、どうしても遅れをとる地理的状況。メキシコに勝利し大陸国家になったアメリカは、アジア市場化戦略として、西回り航路の開拓に乗り出します。その中継地として位置付けられたのが日本。
 
アジアを巡る欧米列強の覇権争いで、各国の野望を利用し、政策提言や資金提供、人材提供など、自分達に都合の良い(=市場拡大など)誘導を行う金貸しがいるということがわかります。アメリカ国家からの日本開国指令を取り付けつつ、実際には金貸しの思惑で動くエージェント。それがペリーでした。
 
幕末・明治は、欧米金貸しの影響が強く働いた時代。シリーズを通じて、歴史の裏で蠢く彼らの動きを、可能な限り明らかにしていきたいと思います。

List    投稿者 tani | 2012-11-06 | Posted in 02.日本の金貸したちNo Comments » 

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