2009-05-06

金本位制は誰がつくった?

みなさんこんにちは!
金融市場の衰退に対し、今後、新しい通貨システムを模索する場合、不換紙幣⇒「金本位制」または「通過バスケット制」などの導入が考えられますが、一体どんな通貨システムが「可能性」として模索できるのでしょうか。
本日は番外編として、イギリスの金本位制はどのように確立されてきたのかを追ってみたいと思いますが、この金本位制の起源には、ある人物が関わっています。その人は世界的にも有名ですが、みなさんは「金融」とはかけ離れたイメージがあるのではないでしょうか?
さてここで問題です
金本位制を作り上げたとも言われるこの写真の人物とは一体誰でしょう?
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正解は・・・
万有引力の発見でおなじみの「アイザック・ニュートン」です
ケンブリッジ大学教授時代に出版した「プリンキピア・マテマティカ」の中で、若いときに発見した万有引力の法則で有名になった彼ですが、晩年は学者として王立科学協会の会長であると同時に、実務では造幣局長官を長く務めたのです。
1696年、かつてのニュートンの教え子でもある大蔵大臣モンタギューの推薦で造幣局長官になりました。既に科学の世界で名声を得ているニュートンに、名目的な職を与えて収入を確保させることがモンタギューの目的だったようです。
このとき非常に熱心に職務に当たったらしく、当時横行していた偽金づくりの摘発を行っています。造幣局長官みずからが、逮捕された容疑者を尋問するほどで、1698年から1699年にかけての19か月で、127日間もそのために出勤したといいます。
そんなニュートン造幣局長官は1717年、1ギニー金貨=21ペニーシリング銀貨というレート(金銀比率1:15.2)を定めたのでした。
かつて古代エジプト王朝時代ナイル川で金銀が採掘されたとき、古代エジプト人は地球と月の回転率から金銀比価を1:13と策定しました。近世に入り、偽連金術が流行し、金銀比価が乱れましたが、1717年のニュートンの金銀比率決定以降、
それが、何と1931年にイギリスが永久に金本位制から離脱するまで、不思議とこの平価が守られていたのです。
イギリスは、途中、戦争などで金本位制から離脱するが、いつももとの平価戻り、二百数十年にわたってこのニュートン比価が続いたのでした。(国際的には1972年、ニクソン・ショックによって各国が信用本位制に移行するまで、250年あまりに渡って継続されることとなる。)
まさかあのニュートンが金本位制の起源となっていたのは驚きですね
はい、金融トリビアはこの辺にしておいて、
ではイギリスが金本位制に至るまでの背景とはどのようなものだったのでしょうか?
イギリスへの金流入には以下のような背景があったようです。

参考:お金の情報室

①ニュートンによって定められたヨーロッパでの金銀交換比率が「金:銀=1:15」の時に、イギリスの植民地であるインドでの金銀交換比率が「金:銀=1:10」と銀高であったことである。この場合、銀10をインドで金1に交換し、その金をヨーロッパで銀に交換すれば15の銀を受け取ることが出来るので、銀5の儲けが出る(金銀の輸送は可能で、輸送コストや手数料は無視する)。これに銀5を加えて銀10を再びインドで金1に替え、当該金1をヨーロッパで銀に交換すると、更に銀5の儲けが出て、トータル銀10の利益を得ることが出来る。これを繰り返せば、金銀を移動するだけで儲かるのだ。現在のように交通・通信・情報網が発達していない時代には、このような裁定は簡単に行うことが出来たのである。この結果、銀の流出、金の流入が続いた。

②ポルトガルと結んだ「メシュエン条約」だ。産業革命前、17世紀のイギリスも当時のヨーロッパの強国と同様、重商主義政策を採っていた。そのため、海上の安全確保と海上覇権獲得を目的として戦争を繰り返していた。このような時代に、戦火を交えることなく外交で成立した条約が「メシュエン条約」である。この条約は、ポルトガルが輸入禁制品に指定していた毛織物の輸出をイギリスに認める一方、イギリスはポルトガル産ワインの輸入関税を低率にするという内容のものであった。当初ポルトガルおよびその植民地であるブラジルの購買力は低く、この条約のメリットは少ないと思われていたが、ブラジルでゴールドラッシュが起こったことにより事態は一転した。つまりブラジルが金を産出したことにより、ポルトガル・ブラジルの購買力が増したため、イギリスは毛織物を輸出することで莫大な金を受け取ることが出来るようになったのである。

③スペインの植民地であるメキシコの銀山やポトシ銀山(現ボリビア)などの大鉱脈が発見され、南米からの銀の流入が続き、銀の価値が大きく下落したことである。金銀交換比率は13世紀頃には「金:銀=1:9」であったが、16世紀には「金:銀=1:11」、18世紀の初めに「金:銀=1:15」にまで下落した。その後東インド会社による厖大な銀の搬出のため、一時的に銀の下落は止まったが、銀産出国でありかつ「銀本位制」を採っていたドイツが「金本位制」に移行した19世紀後半頃から、銀は底なしの暴落過程に入って行ったのである。
〜中略〜
以上のように金がイギリスに集中し、かつ世界的に植民地を持ち、貿易の中心となって決済のネットワークを構築したことも手伝い、結果的に金を本位貨幣とすることになったのである。

こうしてみると、安易に金本位制にしてみても(安易にできるかどうかは後にして)、交換比率によっては錬金術を駆使して誰かが儲かるという仕組みが出来上がってしまうのですね。
金のような幻想価値に信用を置くような通貨システムではない、新たな通貨システムの模索が急がれます

List    投稿者 tutinori | 2009-05-06 | Posted in 06.現物市場の舞台裏8 Comments » 

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コメント8件

 p | 2009.11.10 22:02

>バブル崩壊に伴う経済危機は、人々の間に危機感発の安定欠乏を生起させ、目先の安定志向を強めさせる(注:この危機発の安定志向は、’70年以来の充足発の安定志向とは別物である)。
「危機発の安定志向」と、「’70年以来の充足発の安定志向」とは、どう違うのでしょうか?

 イルカ | 2009.11.10 22:46

>危機発の安定志向は、「自由」が空中分解したことも相まって、目先の秩序収束の潮流を生み出してゆく。タバコ、セクハラ、食品叩きと続く魔女狩り=マナーファシズムは、この秩序収束の潮流に乗った法曹官僚とマスコミの仕掛けである。
やりすぎと思えるような法制化(禁煙・同和)って、いまだに声高に要求する人(小数)の意見を通すことで特権階級の権力行使につながっていますね〜。この不況で、必要か否か?の判断でひっくり返せないのかな?って感じます。

 finalcut | 2009.11.16 19:51

>Pさん、イルカさん
危機感発の安定志向は、不安を排除することで安定を達成しようとします。その意識が排他性を生むので、共認の広がりに限界があり、全く共認されないこともあります。周囲との関係は何がしかの軋轢をはらんでおり、安定には到りません。
充足発の安定志向は、相手との共認や人々との規範などの共認によって実現するので、共認収束の潮流を形成します。どんどん対象が広がっていき、まわりの人間との関係の中で安定を実現していきます。
詳しくはこちらを参照ください。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=218502

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お世話になります。とても良い記事ですね。

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