2010-12-12
ゴールドの真相に迫る16〜「天皇の金塊」とは?(1)
前回までの15回の記事では、まず金(ゴールド)の基礎知識を押えた上で、「ゴールド—金と人間の文明史」からその歴史を押さえ、さらに「金を通して世界を読む」「純金争奪時代」の2冊の書籍をもとに、現在の世界の金市場の動向と、その注目すべきポイントを押さえてきた。
今回からは、これらの表の情報では出てこない、金(ゴールド)の闇に当たる領域を調べ上げてきた著者たちの書籍を基に、金貸しを初めとする世界の支配階級たちが金(ゴールド)を巡ってこれまでどのような企てを行い、これから金を使ってどのように世界を動かそうとしているのかを追求してみたい。
今回はまず、第二次世界大戦時に秘匿された想像を絶する量の金(ゴールド)の存在を示した、高橋五郎著「天皇の金塊」を2回に渡って紹介する。
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● 情報元について
この本は、高橋五郎氏が天皇の金塊について下記の3つのルートから得た情報を元に書かれたものである。
①元ドイツ人スパイ ベラスコからの情報:
高橋氏は、1980年(昭和55年)の初頭、昭和天皇の名義とされる「天皇の金塊」=秘密マネーがバチカン系の銀行で運用されていた、との話を元ドイツ人スパイのベラスコから聞いた。
ベラスコは、ドイツ国内はもとよりスペイン、イタリア(バチカン教皇国)、日本、南米スペイン語圏の大小の諸国と太平洋の島嶼フィリピン諸島に及び活動するドイツ国防軍情報部の機関長。
ベラスコ
②シーグレーヴ夫妻著の『黄金侍(Gold Warriors)』からの情報:
元フィリピン大統領マルコスはフィリピン山中に埋められた天皇の金塊を掘り出して、世界王朝一族が支配する金融ネットワークを通じ換金していた。シーグレーヴ夫妻は、マルコスの民事訴訟裁判における法廷資料からそのことを明らかにし、『黄金侍』という書籍にまとめた。
マルコスに日本軍の財宝の存在を教えた人物は、通称サンティと呼ばれたアメリカ軍人。サンティは後述する山下奉文将軍の専属運転手を務めてきた小島香椎中佐の尋問担当者であり、小島を拷問し「金の百合」の隠し場所の一部をいち早く知った。その情報は、サンティの上司であるOSS(戦略諜報局)の情報官エドワード・ランスデール中尉を通じて米国中枢にも伝わった。
マルコス 山下奉文
③日本人金融ブローカーからの情報:
高橋氏は1988年頃、フィリピン山中の金塊話を日本人の国際金融ブローカーたちから聞かされた。彼らの周辺には、元OSS出身のアメリカ人がコンサルタントとして控えていた。
● 天皇の金塊とは
その情報によると、天皇の金塊とはフィリピン山中に隠された膨大な量の略奪金塊のこと。
どれぐらいあるのか?:14万1千トン。
うちバチカン名義分1万4千トン、日本皇室名義分2万4千トン。
残り10万トン強は名義不明(強奪先が不明という意味)。
(14万1千トンは、金の地上在庫の9割に相当する膨大な量である。)
誰がどこの金を略奪したのか?:
満州事変から太平洋戦争敗戦まで、天皇の名のもとに、陸軍と日本から呼び寄せた愛国者団体の黒龍会や玄洋社のリーダーや手下の荒くれ者達が中国の地下組織と組んで、アジア12カ国から略奪。その略奪先は、政府の金庫や民族の祖先を祭る募所、銀行、博物館、華僑の会社金庫、個人住宅の裏庭など、ありとあらゆる場所に及んだ。彼らは朝鮮半島から満州、中国、インドシナ半島から南下してインドネシアさらにフィリピンへと場所を移していった。当初集めた金塊財宝類は朝鮮半島から船と飛行機で日本へ運び込み、うまく隠しこんでいた。
日本軍のアジア侵略範囲
なぜフィリピンにあるのか?:
しかし、太平洋戦争は開戦2年後から劣勢を強いられ、1943年頃からフィリピンと日本を結ぶ洋上航路は連合軍の潜水艦に封鎖された。そのため海上移送は困難となり、やむなくフィリピン各地の地下に退蔵することに。日本が敗戦を認める2ヶ月前、日本の親王(昭和天皇の弟である秩父宮や、従兄弟である竹田宮)たちが指揮監督して金塊財宝をフィリピン国内の175ヶ所のトンネルサイトに分散退蔵した。終戦直前に全てのサイトの出入り口を爆破した。
爆破の直前には、陣頭指揮を執った竹田宮の他、山下奉文(ともゆき)陸軍大将とベン・バルミス・ハーミン(フィリピン人)のみ脱出、他の175名の日本陸軍将官が騙され、生き埋めで殉死した。
地下で縦横に繋がるトンネルサイトの所在を示す精密な地図は竹田宮が潜水艦で日本に持ち帰った。爆破の直前に倉庫から逃げ出したのは、山下奉文(ともゆき)陸軍大将とベン・バルミス・ハーミン(フィリピン人案内人)であった。
トンネルサイトの所在を示すと言われる地図 フィリピン山中の写真
●その金塊はゴールドカルテルの手元へ
隠匿場所(12ヶ所のサイト)から回収された天皇の金塊の一部は、サンティとランスデールの会社で純度の高い金のインゴッドに再鋳しなおされ、世界42カ国、176のゴールドカルテルメンバー銀行に納入(預託)された。それを指示したのは、OSSウィーン支局長アレン・ダレス(初代CIA長官)、OSSの生みの親ビル・ドノバン将軍、それにヘンリー・スチムソン陸軍長官(フィリピン総督および国務長官)、ハリー・S・トルーマン大統領らだった。
アレン・ダレス ヘンリースチムソン ハリー・S・トルーマン
それらの純金のインゴッドは預託先のゴールドカルテルの手で運用または売買された(ただし、当時1トロイオンス35ドルの金相場を崩さないよう慎重に)。つまりゴールドカルテルのメンバーは、フィリピンの地下に埋められた強奪金塊のロンダリングに成功したのだ。
なぜこのようなことが可能だったのか。
それは金(ゴールド)の資産としての特徴にある。
1) まず、純金のインゴッドは万能型の決済担保物である。なぜなら、即金化が可能であり、またデリバティブ(金証券や金融派生商品)にも替わる。
2) 鋳造をやり直せば財宝(金地金)の本来の持ち主の痕跡は消える。つまり戦後処理につきまとう返還訴訟や賠償請求は記録不明を盾に排除できる。
3) サンティとランスデールの会社を、ワシントン政府(情報機関)とカルテルの間にダミー会社として介在させることで、両巨大組織に対する不意のリスクを回避出来る。
なぜロンダリングする必要があったのか?
米国が主導してロンダリングした「天皇の金塊(金の百合)」は、敗戦国である日本の支配階級自身もその恩恵に預かるものであった。そのため、この大量の金塊の存在が明るみに出れば、サンフランシスコ講和条約に基づき、金塊の略奪先であるアジア各国を含め、条約加盟各国に対して膨大の戦後賠償金の支払い義務が発生してしまうからである。
●天皇の金塊はゴールドファンドとなる
1945年秋スチムソン達は、GHQが日本国内で接収した金塊財宝の一部とフィリピン山中の「天皇の金塊」を、ブラック・イーグル※1,※2に合体し、拡大版信託基金「黒鷲信託基金(ブラック・イーグル・トラスト)」が誕生した(黄金ファンド)。
※1:ブラック・イーグルとは、第二次世界大戦 終結一年前に、連合軍が押収したヒトラー財宝を基にロンドンとニューヨークの金融街(ゴールドカルテル)が合意し、スチムソン長官らが創設した信託基金である。
※2:黒鷲はナチスのシンボルである。
このように、ゴールドカルテルの物となった強奪金塊(天皇の金塊)。
しかしこの本によれば、この金塊も、金融業者や国家や、まして連合国のものでも枢軸国日本軍の物でもない。金塊はそもそも戦争事業主である世界金融資本家たちの、さらに上位にある ロイヤルファミリー(世界王朝一族)の私有物である、という。
これはどういう意味なのか。そしてロイヤルファミリーとは誰なのか。戦争事業主とは?
次回も『天皇の金塊』から、今回紹介した第二次世界大戦前の歴史と、敗戦後の黄金ファンドの使われ方などから、これらの問いを明らかにしていこうと思う。
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