2010-09-26

ゴールドの真相に迫る−5 ゴールドの歴史(1)〜人類とゴールドの歴史の始まり〜

前回の記事では、闇勢力の金(ゴールド)を把握する為にもまずは、公にされている世界中の金(ゴールド)は、どのくらいの比率で世界中で保有されており、その構成と動向はどうなっているのか?、また、金(ゴールド)生産の基盤である金鉱は誰の物なのか?を押さえる事により、今シリーズの命題である「今、現物の金(ゴールド)はどこにあるのか?誰が握っているのか?」の解明に迫った。
そこで今回は、金(ゴールド)の所有者、量が現在のこのような構成に至ったまでの過程を、金と呼ばれる金属に人間が如何に魅了され、夢中になっていったかの歴史を書き綴った、ピーターバーンスタイン氏の文献を元に読み解き、明らかにしていきたい。
参考文献:「ゴールド 〜金と人間の文明史」
   著:ピーターバーンスタイン
文献を見ていくと、人類が金を手にした約6000年前以降、序列社会の拡大によって豊かさの象徴となった金は、それ自体が価値のある物として認識されるようになり、貨幣としての役割も持つようになっていく。金を持っている事=力の象徴となり、金の価値はますます人を魅了していくとの事・・
以下、各章毎の要約です。
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第1章:人類とゴールドの歴史の始まり(紀元前4000年〜前1300年)
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人類が金を手にしたのは、約6000年前、古代エジプト人であり、特権のための装飾用として用いられたことが始まりだった。

エジプト人が産出した金は年間にわずか約1トンだった。 貨幣が普及して、多くの人の手に渡って需要が拡大するようになるまでは、金のほとんどは君主か僧侶が保有していた。用途はたいてい儀式に関連することで、権力や冨や身分の高さを誇示したり、自らを神格化するための手段とされた。それ以外は装身具や何らかのかたちで身を飾るものとして使われていた。

古代エジプトを源流とし、紀元前13世紀頃になると「聖なるもの」として神格化された金は、モーセの出エジプトを通じて、ユダヤ教(イスラエル)などの宗教へと広がっていき、金を獲得するために他集団を略奪することもあった。

ひとたび約束の地に落ち着くと、イスラエルの民は金を蓄えなくてはならず、まずは戦って征服した部族を略奪した。モーセの率いた部隊はミディアン人から「腕輪、指輪、耳輪、耳飾のような金の飾りもの」として一三〇キロ以上の金を奪っている。

このように、宗教や序列社会が拡大していくにつれて、金の必要性と価値も同時に高められていくこととなった。
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第2章:金貨の誕生(紀元前4000年〜紀元前700年)
大昔、金はそれ自体が価値のあるものとして認識され、物々交換の対象であった。
そして金だけが特に、貨幣としての役割を持つようになっていく。
金が貨幣として適している理由は下記の通り。

金はその耐久性と密度の高さと美しい輝き故に、おのずと富の貯蔵手段として選ばれた。同じ働きをする全てのものと同じように、古代にはお金は欲望をかきたてるものであり、権力の華々しい表現であり、敵や下々の人々を羨ましがらせたり人の機嫌を取ったりする為の手段でもあった

金銀の貨幣を鋳造してした最初の民族はリュディア人と言われており、リュディアの首都サルディスは豊かな砂金に恵まれ、その殆どはパクロス川の源流から流れ出てた物であった。また、リュディアス人は、最初の小売商人であったとも言われ、金貨を最初に発行した民族でもあった。
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クロイソス(リュディア メルムナス朝の最後、5代目)の父アリュアッテスは金貨を発行した最初の人物だった。金貨はリュディアに富をもたらす輸出品となり、輸入品の多くの決済に使われた。ほかの用途では使えないものを役立つものと交換することで、リュディアはうるおったのである。金貨が自国の繁栄にどれほど貢献しているかをよく知っていたクロイソスは、エレクトラム貨をすべて回収して溶かし、新しく純銀と純金の貨幣を鋳造した。

そしてリュディアのこの貨幣制度が各地に広まり、金が富と貨幣の標準となり、この貨幣制度がその後の経済の仕組みの基礎ともなった。
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第3章:装飾品としてのゴールドから貨幣としてのゴールドへ(紀元前300年〜300年)
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世界最古のリディア金貨
リュディアで世界初の金貨が発明された後、ペルシャ帝国、古代ローマ帝国の興隆を通じて、「装飾品から貨幣へ」金の役割の移行が進んだ。

ギリシアの硬貨は主に銀貨だったが、リュディア式の金貨の使用は別の地域に広がり、最終的にはローマ帝国全土で通用する貨幣制度のモデルになった。しかし、ローマ帝国よりはるか以前に、サルディスでクロイソスを破ったペルシア帝国のキュロス(在位前五五八〜五二九年)と、のちにペルシアを継いだダレイオス一世(在位前五二一〜四八五年)は、国境を越えて受け入れられたクロイソスの通貨をさっそく採用し、ペルシア帝国で流通させた

貨幣として使われることで金の需要は大きく膨らみ、ペルシアでは史上初めて硬貨による徴税が行われ、ローマでは財産の大きさは蓄えた金貨の量で計られ、国事への発言権もどれだけゴールドを持っているかであった。

地中海から黒海まで、スコットランドの境界からエジプトの南端まで領土を広げたローマ帝国では、年間に最低でも五トンの金を産出してもなお、造幣用の金の供給はつねに需要に追いつかなかった

貨幣需要が増大すると同時に、貨幣改鋳(まぜ物)の問題も生じた。3世紀ガリエヌス皇帝時代のローマでは、これにより手のつけられないインフレが起きた。この貨幣改鋳問題を解消するた、4世紀にコンスタンティヌス皇帝がべザント金貨を発行。ベザント金貨はその後、700年の間、重さも純度も変わらずに鋳造され続けた。
こうして舞台はアラブ、ローマへと拡がって行き、金を中心にした私権拡大の歴史は更に広がっていきます。次回はローマ帝国の分裂、アラブ勢力の拡大、十字軍遠征を経て、金を巡るパワーバランスはどのように変化して行ったのか?金はどのように人々を魅了していったのかを見ていきたいと思います。
・・続く。

List    投稿者 mtr919 | 2010-09-26 | Posted in 06.現物市場の舞台裏, 08.金融資本家の戦略3 Comments » 

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コメント3件

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