2011-10-11

世界の闇の支配勢力から日本の支配史を読み解く 【歴史No.6 江戸時代に拡大した性市場】

 江戸時代では、町人の分業化で生産力が向上し、貨幣経済も発達、格差も拡大していきます。また戦(いくさ)という外圧がなくなり、解脱欠乏(遊びたいというような気持ちなど)が大きくなっていきます。おおらかな性の田舎とは異なり、江戸では男女比率が1対4ということも相まって、性市場が発達していきます。
 そこで江戸時代は「吉原」という超高級風俗街(風俗料金の異常高騰)が誕生しました。かたや、川縁で格安で性が売られていたり、銭湯でもサービスがあったり、茶店でもあったりと一般向けの性風俗も発達します。
 江戸時代は、戦国時代と変わって、セックス産業が花開いた時代といっても過言ではないと思います。
 
 ちなみに戦国時代にもセックス産業はありました、都や賑わっている城下が主であったし、また戦で敵地にて、”人さらい”や強姦は当たり前のように行われ、上杉謙信や織田信長、武田信玄にいたるまで、足軽、雑兵にそういった行為を認めていたのでした。豊臣家が崩壊し、江戸時代が完全に始まってから(だいたい1615年以降)、大規模な戦はなくなり、現在の風俗店に相当するものが多く現れ始め、幕府も公認していく(吉原から税を取る)ようになっていき、吉原のような大規模風俗街が登場したのです。
 格式と見栄を第一とする吉原は、大名や豪商の接待などに使われる社交場でもあり、また服飾や流行の先端を切っていた芸能界としての面も持っていました。
 江戸時代になって風俗店が発達した事例と、江戸時代の風俗店の特徴を調べ、なぜ風俗店が発達したのかを考えてみたいと思います。
前回までの記事はこちら
NO.1 幕府の独占交易〜本当は鎖国ではなかった江戸時代〜
NO.2 金貸し(カトリック)の狙い〜時の為政者の思惑〜
NO.3 鎖国の狙い〜貿易を独占し大名の経済基盤を奪った幕府〜
NO.4 幕藩体制の確立〜諸大名の「武力」+「資力」を削ぎ落した江戸初期の政策〜
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江戸時代の新吉原(江戸名所図絵より)  画像はこちらからお借りしました。

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 江戸幕府が唯一公認した吉原(公娼)に対し、非公認・非合法の売春婦を私娼と呼びます。戦という外圧がなくなって、平和な江戸時代では様々な性風俗が発達します。江戸の街が”娘一人に婿八人”と言われたほど男女比率が不均衡だった(実態は1対4くらいらしい)ということがあるわけですが、武家や大商人などが複数の側女や妾を囲っていたり、将軍家の大奥のように数百名の女性を一人の男性が占有していたりしたことも少なからず影響を与えていたようで、女日照りにあえぐ庶民達が多数いました。
 江戸後期になると、男のたしなみとしても「廓遊び」は一般化していきました。落語などでは、結婚後も遊郭に行く夫に妻が遊び賃をやる場面も見られます。その頃の記録に残っている遊郭は悲惨や堕落の場所ではなく、華やかで活気に溢れた場所です。宵越しの銭を持たない(稼いでもすぐに使う)江戸っ子が見栄を張る場でもありました。実際、売春以外にも遊郭では(お金次第で)盛大な宴を催す場所というイメージが庶民にはあったようです。本気の恋愛をしにいく場所ではありません。擬似夫婦の関係やお気に入りの妓と小粋な会話を楽しみ、性欲を発散し、極楽を謳歌して大門をくぐり 元の日常に帰っていく というのが吉原遊びの流れです。
 その他の地域でも、宿場や街路を私娼が出入りしていたため非常に風俗は身近だったようです。特に高名な寺社の周辺には、必ずといっていいほど遊郭があります。参拝客の増加を当て込んだ寺社側は黙認、参拝客は「○○参りに行く」などと女房に言い訳をして、参拝を済ませてから遊郭で遊ぶという寸法です。
 
 
【様々な性風俗が発達、その御遊び料金の紹介】
 江戸時代の一般の人たちがどれくらい稼いでいたかというと、現在の円に換算して、年収がおおよそ400万円から600万円ぐらいとします。
 庶民の風俗のお値段は現在と比較すると安いものでした。
 吉原遊郭には高級店が連なる中、すぐにベッドインできるお店が局見世と呼ばれるものです。局とは簡単に言うと小さな部屋ということで、現在で例えるなら店舗型のヘルス店の一室みたいに思えば分かりやすいでしょう。ここで働くおねさんは吉原の中では、最下級の地位で、お客のお遊び代もかなりお手ごろな値段で、一般庶民でも遊べる値段でした。平均は200文から300文で、1文は約30円と計算すると6000円から9000円でした。
 少し高い見世だと金1分で、円に直すと約36000円でなかなか遊べる値段ではなありませんでした。例えるなら、普通のサラリーマンが高級ソープで遊ぶ感覚でしょうか。
 岡場所はもとはお寺や神社の近くに多くありました。発祥は鎌倉、室町時代あたりに遡り、神社の宮司さんが綺麗な女性を側におきたいから、ご近所の有力者より年頃の娘を募集し、巫女さんに選ばれた女性に贅沢な暮らしをさせました。ところが巫女さんは定年になると追い出され、追い出された女性も贅沢な暮らしに慣れているから、元の家の質素な生活に戻れない、そこで元巫女さんは神社やお寺あたりをうろついて、通りかかる男性に適当な祈祷といったり、もっとお金がほしいときは、体を売ってお金を稼いだのがはじまりだそうです。岡場所の多くが寺社の領内にあり、町奉行所の管轄外であったためという理由もありました。江戸四宿(品川、千住、板橋、内藤新宿)と深川を中心に、二百カ所以上の岡場所が存在し、数千名の”飯盛り女郎”という遊女が在籍していたようです。岡場所の場合は、人気がある飯盛り女郎でも1分(2万円くらい?)程度だったようで、下の方になると相場が25文(750円)と言われた夜鷹と良い勝負だったようです。
 一番お安い夜鷹になると定価25文(750円)でしが、一応チップを与えるのが一般的で約100文は払ったようです。それでも約3000円です。なので、夜鷹は”数”をこなしました。
 船饅頭(饅頭を売るのを表向きに隅田川の船中で売春をした最下等の私娼)は定価32文(1000円くらい)でした。
 素人の売春であったと言われる、提重(提げ重箱をさげて餅やまんじゅうを売り歩きながら売春、個人営業で僧侶のいる寺院や勤番侍のいる長屋を訪れた)や枝豆売、また、飯盛女(宿屋や茶屋の娘)の場合は、平均500文から700文ぐらいかかったとされているので、15000円から20000円といったところです。湯女(ゆな)もそのうちのひとつで、 500文〜1000文でした。
 
 あと当時のストリップ劇場である意和戸ややれ吹けそれ吹けなどは10文たらずで、500円程度でした。
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「新吉原江戸町二丁目丁子屋之図」清長図      画像はこちらからお借りしました。
【吉原の遊女の最高位”太夫”とのお遊び料は特別高い】
 吉原の遊女の最高位”太夫”とのお遊び料金は、定価は約12〜5万円程度ですが、いたすことをするまでに3回は指名して会うわけで、それだけで約40万近くかかるわけですが、現在の銀座の高級クラブと同じでお店に払う料金だけでは彼女達を”モノ”には出来ないので、チップを定価の何倍以上に払いました。今で言うなら個人的に高級時計やバックを買ってあげるのと同じようなものでした。実際にはまともに相手をしてもらうには、600万円〜800万円はかかったようです。太夫の下のクラスのホステスであっても、200万からかかる〜というような感じでした。吉原の遊びでは上は天井無し(紀伊国屋が一度の遊びで2〜3億円使ったのが事実上の上限になっているそうです)でした。吉原は、大名や豪商の接待などに使われる社交場でもあり、また服飾や流行の先端を切っていた芸能界としての面も持っていたので、芸能人(最高の女優)と遊ぶというイメージでしょうか。性の幻想価値が高騰していったのです。
 ただし江戸時代も後期になると、摘発された私娼が官許の吉原へと送られるようになり、安値の遊女が吉原に増えるにつれて上妓は減少し、遊客の幅が広くなり、これによって、元私娼のいる岡場所遊里と公娼のいる遊郭との差があまりなくなっていきます。
 最高の花魁である太夫も、吉原では1760年の玉屋・花紫を最後にいなくなりました。
【地方(田舎)ではおおらかな性】 かたや地方では夜這いという風習があったように、日本では性がおおらかでありました。御祭りの日にのみ行なわれる、毎日行なわれるなど、地方によってルールは様々でしたが、子供は「村の子」、みんなで育てるということで、個人のものという感覚はないほどでした。だから基本的に風俗料を支払うとか料金が高くなるということはなかったのです。本源性が高い田舎の村では、いつでも性を楽しむシステムがあったということです。
 もともと地方から集ってきた人々で構成された江戸で性を手に入れるには、お店に行くしかなかったという事情もありました。
【まとめ 〜超高級と格安風俗というふうに二極分化した理由】
 上記のように吉原のような超高級と夜鷹のような格安風俗というふうに、二極分化した、という特徴が江戸時代にはあります。その特徴が生まれた要因は何だったのでしょうか。
 戦(いくさ)という外圧がなくなり、江戸という街では町人の分業化がすすんで生産力が向上し、貨幣経済も発達(幕府が貨幣統一した)、格差が拡大していきます。また外圧低下で、解脱欠乏(遊びたいというような気持ちなど)が大きくなっていきます。おおらかな性の田舎とは異なり、江戸では男女比率が1対4ということも相まって、性市場が発達していきます。
 格差拡大と性市場の発達で、超高級店で御遊びする料金を支払えるお客が生まれたということです。これは大儲けしているか、消費階級になっている層がいたということです。顧客は商業か武士(石高の高いという条件がつきます。)の階級に限られていたでしょう。
 自分で汗水たらして働いて給金をもらうくらいでは遊べない金額です。「当時の花魁は現在でいうハリウッド女優のようなものであり、一般庶民には手の届かない憧れの存在であった」と語られています。一般人はたくさんある格安店にいくことで充分ということになるでしょう。
 また参勤交代で地方から来た大名も吉原で遊ぶことを楽しみにしていたかもしれません。幕府も大名がお金を使うことを奨励したでしょう。諸大名の「武力」+「資力」を削ぎ落とさせた江戸初期の政策とも合致しました。幕府は吉原から税を取ることで、大名から間接的に吸い上げる効果もありました。
 
 最後にまとめると
①外圧低下から性市場の発達、②江戸では男女比率が1対4という地域事情、③もともと日本人はおおらかな性、の3点セットが、江戸の性市場(お金で性が買える)を産みました。
そのうえに、④江戸時代の諸大名の力減少対策と吉原からの税収期待という幕府政策と、⑤貨幣経済の発達から格差拡大という経済状況、の2点セットが、①〜③の3点セットに塗り重ねられて、吉原(風俗料金の以上高騰)を生んだということになるのではないでしょうか。

List    投稿者 norio | 2011-10-11 | Posted in 06.現物市場の舞台裏No Comments » 

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