2007-04-16

地方自治と国家の歴史

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現代の日本は中央集権体制の社会。
いまや、既成の体制・制度はあちこちにガタが生じている。
このシリーズで注目している、地方自治体もガタガタで崩壊寸前!
今の中央集権体制に日本社会が大きく舵を切ったのは、…学校で習ったとおり、明治時代ですね。
そして、明治以来の中央集権体制は、実は古代から繋がっているらしい…?
今回は、これからの自治体を考える出発点として、国家と地方の統治体制の関係について、少し歴史を遡っておさらいしてみたいと思います。
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日本列島に本格的な国家と呼べそうなものが登場した時期は7〜8世紀頃。
唐から移入した律令制度によって、国—郡—里の3階層からなる地方制度が敷かれた。
国の長官は中央政権から派遣され、郡と里は地方の豪族や有力者があてられた。
国・郡・里は全て国の機関で、土地制度は公地公民(全ての土地と民は国=天皇家のもの)という中央集権体制がつくられた。
その背景は、当時の朝鮮半島に領土があった日本が敗退し、中国の王朝による侵略のリスクが高まり、それに備えた国防のために、九州から西日本各地に山城が築かれ、都が移され、同時に中央集権体制が強化されたといわれている。
その後、唐による侵略のリスクが弱まるにつれ中央集権体制は緩んでいき、8世紀前半頃から私有地(荘園)が認められるようになっていった。
平安時代には貴族や寺社などが広大な荘園を個別に管理する分権型の国家体制になった。
その後、荘園の警護を担っていた武士たちに実権が移り、武家社会の封建体制が成立すると、土地を基盤とする分権体制がよりいっそう進展していった。
鎌倉時代、室町時代を経て江戸時代に至るまで、日本列島は分権体制の社会。
歴史の中で、村落地域に自治組織が明確なかたちで登場するのは室町あたりで、惣村と呼ばれている。(リンク
江戸時代の幕藩体制は、半中央集権的・半分権的な社会体制と言われる。
藩は幕府の統制下にあり、幕府によって国替えや取り潰しなどがなされることもあるという中央集権的体制だが、藩の領内に幕府の役人は立ち入れないという分権的体制。
江戸時代の安定期には、村落はかなり豊かになり、農民たちの自治的な体制も確立していった
19世紀になり、明治政府による中央集権体制がつくられたのは、西欧列強による侵略の圧力が高まったから
第2次大戦の敗戦後にアメリカ流の社会体制に変えられたが明治以来の中央集権体制は継続している。
そして現代、その旧い体制のあちこちにガタが生じてきている。
どうやら、国家に加わる外圧によって中央集権体制が強化されたり緩んだりする ということが言えるようです。
⇒これからの時代はどうなのか?
もともと、国家というものが登場する前から集団による自治体制はあったが、現代に繋がる自治的な組織の始まりとして室町時代の惣村が注目される
⇒ということで、このシリーズの次回は、惣村における自治の状況を見てみます。
by わっと

List    投稿者 wyama | 2007-04-16 | Posted in 03.国の借金どうなる?1 Comment » 

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コメント1件

 beige hermes bags | 2014.02.02 3:53

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