2008-07-11

地方経済がどうして破綻してきたか

13_1.jpg
これまで、地方分権についてコメントしてきましたが、今回は、地方経済がどうして破綻に追い込まれたのか?を戦後から1970年代の貧困が消滅した時期までの間に何が起こったのかを時系列的に追いかけてみたいと思います。引用’
その前にポチッと押して下さい。
   ↓

にほんブログ村 経済ブログへ


1,地方分権への最初の試み(1945年〜54年)
1947年、地方自治法が制定。内務省は自治省に改組。中央政府の地方政府に対する管理は弱められ、地方分権への動きが始まる。政治的には、選挙民は、自らの知事を選挙で選出。戦後最初の知事選挙では4人の左派系知事が誕生。
1949年には、シャウプ勧告により日本の地方財政の基礎が課税面から整備。シャウプ改革では、財政面で、理想的な地方分権が追求され、中央政府は地方財政に介入せず、地方政府が課税と地域の公共サービスに最終的な責任を持つべきだとみなされた。しかし、現実の課税面では国税から地方税への税源の移転が十分ではなく、①地方の民間企業等が地方政府に必要な金額を納税するだけの経済力が十分ではなかった。②義務教育や警察サービス等が地方政府に回された。
こうしたナショナルミニマム(国が総ての国民に対して補償する最低生活水準)として全国共通に整備すべき公共サービスや公的インフラも決定的に不足していた。結果、地方政府は税収不足。地方分権への動きは地方政府の財政赤字を引き起こす。
1951年15の県と145の市町村が財政赤字
1954年35の県と1644の市町村が財政赤字
多くの地方政府は中央政府に財政面での支援を要求。
こうした状況で、中央政府は、地方政府への監視を強化。出先機関を確立し、監視と指導を行なう。一方、概念的には、地方分権は追求されるべきものと考えられており、実際には中央政府と地方政府の2重の行政・財政機能が働いていた。
中央政府は交付税制度を活用して地方政府を支援するようになる。この制度によって、中央政府の意向に添った支出に対して中央政府は地方政府の財源を支援する事ができた。また、中央政府の各省庁は補助金を通じて、地方政府を監視・誘導する事ができるようになった。こうして、地方政府が財政危機に直面して中央政府に依存するようになると理想を追求しようとした地方分権は、次第に現実的な対応が可能である中央集権的な制度に変化していった。
政治的には、首長の公選等地方分権が進展したものの、財政面では各地方政府が健全な財政基盤を確立する事に失敗した時期であった。それでもまだ、中央政府による規制はそれほど強くなかった。
2,地方政府への監視拡大の時期(1955〜1980年)
この時期には、多くの地方政府の機能が中央政府の監視・監督・指導の元に行なわれるようになった。
地方政府が機関委任の機能をはたすようになると、地方政府は中央政府の代理的な色彩が強くなる。
こうした機関委任の業務が拡大し、県レベルでは、半数以上の業務がこうした代行業務になっていった。中央政府は、機関委任以外の面でも地方政府に対する管理を強めるようなり、ほとんど全ての地方政府の行政活動に対して、ガイドライン、基準、規制を設定した。本来地方政府固有であるはずの行政サービスもそうした規制が行なわれた。また、中央政府の各種補助金は、そうした規制の効果を高める上で重要な役割を果たした。各省庁が補助金を支出する場合でも、特定の地方政府を差別する結果にならないように配慮した。
地方交付税は地方政府間での公共サービスの水準を均一化する上で大きな役割を果たした。中央政府が設定した基準財政需要の水準で、全ての地方政府が公共サービスを提供できるようになり、中央政府の各省庁も補助金額を増加させた。そして、中央政府が、地方政府を指導・管理・監督する構図が構築された。
他方、地方政府は補助金をより多く獲得しようとする誘引を持つようになった。中央政府からの補助金が増加しても地方住民の税負担は増加しないように決められ、地方政府は中央政府の財源にただのりするようになる。
高度成長期前期には中央集権による政府間財政制度は有効に機能したが、高度成長期後期からは、公共事業の配分をめぐる地方利益団体のレント行動が顕著となった。これは、高度成長の結果、都市部と農村部の格差が拡大したためによる。
1960年代後半には、①公害問題により環境汚染②都市部で革新知事ブーム③農村部の自治体は、保守的な政党の支持母体となる。この時期田中角栄の日本列島改造論が登場する。
1970年代初期にオイルショックが生じ、①経済成長率が低下→都市部の地方政府は財政危機②革新自治体では社会福祉関係の支出が抑制できない→財政危機が一層深刻
この時期、自治省は、出先機関を持つ各省庁と同様に、地方政府の利害や政治的要求を反映して、中央政府からの交付税や補助金を増加させようとした。大蔵省は支出拡大を抑制しようとした。こうした中央政府内部の政策決定の姿勢の違いにより、地方政府の歳出抑制は進まず、地方政府の自立的な財政運営機能も低下。
以上引用
そもそも、地方政府は、理念では自立を掲げながら、実質(財政面)では全く、現実を直視していないところから始まっています。更に、補助金・地方交付税は、直接、地方住民の税負担にならなかった事によって理由さえつけば、後先考えず、予算は取り放題という構図になっており、これが、地方の財政を更に悪化させていったようです。何とも場あたり的な状況が垣間見えます。こうした、中央政府べったりの地方政府の有り様が現在まで、続いてきたのです。

List    投稿者 orisay2 | 2008-07-11 | Posted in 03.国の借金どうなる?2 Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kanekashi.com/blog/2008/07/595.html/trackback


コメント2件

 通行人 | 2008.11.01 11:46

ジャスダック上場のダイナシティが破綻しましたね。
「民事再生手続きの申し立て」のプレスリリースは以下。
http://www.dynacity.com/shared/pdf/press/081031.pdf

 nakamura | 2008.11.03 14:32

通行人さん..コメントありがとうございます。
今年に入ってグレース、レイコフ、スルガコーポ、ゼファーと言った不動産デベロッパーの相次ぐ倒産や建設会社においてもキョーエイ産業、真柄建設と倒産しています。
外資投資家たちの日本引き上げで資金が集まらないと言った状況です。
今後、益々増え続けるのでしょう。

Comment



Comment