2019-01-20

迫りくる大暴落と戦争刺激経済-16~利子こそが資本主義を回転させるエンジンである~

ラテラノ大聖堂ルター

 

今回の記事は、利子の歴史を遡り中々興味深い内容になっています。

「利子を取るな」のルールが壊れたのは、1517年ルターの年。

これについては当ブログでも過去に扱っているので参考されたし。→金貸しによる洗脳教育史⑤ ~16世紀の宗教改革の黒幕はベネツィアの金融勢力だった

 

 

利子が資本主義の根本。利子があるから経済成長ができる。これが近代の経済原理だった。それが僅か500年で崩れ去ろうとしている。特に日本は“ゼロ金利”になって15年。物が飽和状態で、それまでの私権獲得の旨味も薄れ、国民の活力もどん底の状態。嘗ての私権活力に代わる新たな活力源を見いださないと日本は終わってしまう。

逆に言うと、私権崩壊を最も敏感に感じ取っているのが日本人とも言え、それは大きな可能性。

 

私権時代の経済システムが通用しなくなり、崩壊寸前の状況である今こそチャンスと見ることもできる。皆が「これは!」と感じる新たな収束先:目標を創出できるかが鍵となる。

それは、人と人との結び付きを根幹とする共同体社会、そこでの贈与経済が次代の可能性になると確信する。その萌芽に着目していきたい。

 

『迫りくる大暴落と戦争“刺激”経済』(副島隆彦 著)からの紹介です。

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■■世界経済における巨大マネーの秘密

■複利で爆発的にお金が増えるのが資本主義だ!

資本主義(カピタリスムス)というのは、爆発現象だ。まるでエンジンが元気よく火を噴いて、爆発(激しい燃焼)が続くように、企業と社会が成長することだ。資本主義は成長があること、が大前提だ。今、地球上で一番激しく成長しているのは中国という赤い資本主義の国だ。成長というのは爆発なのだ。成長経済がなければ資本主義ではない。ということは、今の日本は本当に資本主義なのか?

 

「マイナス成長」が25年もずっと続いていて、それで資本主義の国だ、などとはたして言えるのか。大きな成長というのは、100万円が一気に1000万円になるような世界のことを言う。資本主義というのは激しい金儲けへの熱狂であり、爆発だ。

 

お金というものがなんで増え続けていくかというと、考えれば分かることだけれど、金利(利息)があるからだ。銀行員(金貸し業)をやった人はよく知っている。黙っていても土日でも、祝日でも、金利は付く。簡単に言うと、100万円が、5年で倍の200万円になるためにどれくらい掛かるか。複利計算で年利15%が必要だ。複利でだ。これが単利だと利子分が20万円ずつ増える必要(20万円×5=100万円)があるから、年始20%である。これぐらいないと、世界基準では投資とは言わない。

 

株の投資で儲かって、100万円が200万円になることはよくある。複利だと年利15%で5年で2倍になる。この元金(もとで)が、ぼこぼこ増えていく様子のことを資本主義というのだ。利子があるから経済が過熱して資本が増殖して社会が成長してゆく。資本主義の爆発力、推進力は利子(インタレスト)である。

ところが利子を取ることは、同時に、ユダヤ商人だけに許された、歴史上穢い仕事であった。

 

■利子こそが資本主義を回転させるエンジンである

利子を取ることは、長い間、全ての民族、国家で許されないことであった。これが人類の長い歴史である。中世のヨーロッパでも、「利子を取る貸付をすることを許さない」と言う厳しいおきてがあった。第3回ラテラノ公会議(1179年)で、キリスト教のローマ教会が、「利子をつけて金銭を貸す者は、キリスト教徒として埋葬しない」と宣告したのだ。このラテラノという地は、同じローマ市の中で今のバチカンより前の古い大聖堂があった市の南側の場所だ。ラテラノがカトリック教会の総本山だった。1593年からミケランジェロが設計図を引いてバチカンという新地に聖ペテロ(サンピエトロ)大聖堂ができて、こっちに移った。

 

このようにローマ教会でさえ12世紀になっても、「利子を取るものはキリスト教として埋葬しない」という、恐ろしい宣言を出した。利子を取ったらキリスト教として死ねない、ということは、死んだら地獄に落ちる、ということだったから、市民や民衆はひどく驚いておびえた。だが当時、商業活動はすでにものすごく栄えていたから、利子のようなものは、いろいろな形で取られていた。利子(金利)さらには高利がつかなければ、富の増殖、資本の蓄積は起きないのだ。

 

利子を取ることを認めるべきか。ここに人類(人間)の巨大な苦しみと転換点があったのだ。そこで利子を取らない代わりに、手数料だとか貸付金の違約金だとか、頭金の割引だとか、回りくどい計算による為替だとか、両替商の保証料だとかリスク・プレミアムだとか、いろいろな理屈をつけて、結果的に利子と同じお金を取っていた。それがヨーロッパの中世だ。

 

12世紀ぐらいから両替商という商人が、ヨーロッパ各地に支店を置いて、為替取引で大きな利益が生まれるようになった。物を売るのではなくお金を売り買いすることで、利益が出るようになった。「利子というのはお金の値段」のことなのだ。私は何かヘンなことを書いている、と思う人が多いだろうが。あのフィレンツェのメディチ家が、その典型だ。日本でも江戸時代の両替商が、明治に近代銀行になっていった。その前の室町時代の土倉、酒屋、油売り、という職業も実態は金貸し業だったろう。

 

「利子を取るな」のルールが壊れたのは、1517年ルターの年だ。ルターが北ドイツのヴィッテンベルクのお城の下の修道院の扉に、「95か条の論題(質問状)」を打ち付けて暴れだしたのと同じ年だ。この年のラテラノの第5回宗教会議が「利子をつける貸し付けを認める」、に変わった。だからヨーロッパにおける人類の近代(モダーン)の始まりは、この1517と考える考え方があってもいいのではないか。

 

普通は、オランダ独立戦争(オランダの都市同盟が、ローマ教会とスペイン帝国に対して立ち上がった)の始まりの1581年(「忠誠破棄宣言」)を近代憲法典の元祖とし、近代の始まりとする。そしてオランダの独立軍が勝ち始めた1574年のライデン市の解放を「ヨーロッパ近代市民社会成立の年」とする。

 

だからルターのプロテスタント(抗議するもの)の宗教改革宣言(1517年)は、人類史にとってものすごく重要な転換点なのだ。

 

ルターの「95か条の論題」には、はっきりとは書かれていないが、それとなく「商人が商業で栄える自由。利子を取る自由」が書かれているらしい。ルターは同じく、僧侶であっても自然な性欲が認められるべきだ、と自ら尼さんと結婚して子供たちを作った。ルターは人間の世俗の欲望を明るく朗らかに宣言した。

 

利子が公然と認められたことで、それまで隠れて金貨(ゴールドコイン)などで溜められて蓄蔵されてあまり使われなくなったお金が、社会の所得循環の中に組み込まれた。お金がグルグル廻りだした。これによって、お金の貸し手は、金細工師と両替商が、やがて銀行になり、そこにお金を預けるだけで、利子所得を受け取ることができるようになった。一方、融資を受けた借り手は、利子分も含めて銀行に返済しなければならない。つまり、借り手の利子分以上に経済が拡大しなければ返済できない。だから必死で働くから成長が起きる。

 

ヨーロッパ近代の諸都市は、1500年代から、ドカーンと巨大な成長を始めたようだ。特に市民に尊敬された啓蒙君主(エンライトンド・キング)がいた都市は、ユダヤ商人が山ほど集まり、商業が栄えて、大繁栄をうみものすごい成長が起きた。例えばアウグスト大公がゲーテを宰相(行政官)にした都市ワイマールが大隆盛した。利子うみ資本があることでGDP(国民経済)は拡大しなければならない、という理屈になった。資本主義は、本来インフレでなければいけないのである。

 

ところが、なんとしたことだ。一体、何か起きたのだ。今の日本は「ゼロ金利」だ。日本に何が起きているのか。金利がゼロだと成長がない。成長がない社会、体制を資本主義とは呼ばない。今の日本やヨーロッパは本当に、資本主義の国なのか?かえって、この30年間で巨大な成長(おそらく30年間で1000倍)を遂げた中国こそが、生き生きとした資本主義国そのものではないか。どうして、この奇妙な逆転劇が起きてしまったのか?ここには私たちが真剣に深刻に考えるべき重大な問題がある。現実には、今、日本の預金の利率は0.01%みたいになっている。デフレ(不況)の中で、経済が死につつある。

 

あれほど金利が大事で、資本主義というのは金利の爆発現象のことだと経済学者たちも教えていたのに。現実は、皆さんも知ってのとおり、”ゼロ金利の時代”にはいって、しかもそれが15年になる。この事実にびっくりして驚かなければ、ほかに驚くことなどない。一体、何が起きたのか、なんでこんなことになったのでしょうと、不思議に思わなければいけない。私は知識をひけらかすだけのインテリではない。知ったかぶりの専門家の薀蓄本なんか書きたくもない。本当の真実をあからさまに書きたい。なんでこんなことになったんだろうかと、みんなで考えなければいけないのだ。

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