2011-02-28

市場縮小の深層:3 『勉強しないといけないのは、なんで?』

「貧困消滅⇒市場縮小」の深層にある「私権の衰弱」と「序列原理の崩壊」に着目した今回の『市場縮小の深層シリーズ』。前回は「性の衰弱」に関する事例を取り上げました。
今回は「子どもと大人の意識潮流」に着目してみたいと思います。 😉
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るいネット 子供たちに『勉強の必要性』を語るのは難しい…?! より以下引用

露店で『勉強しないといけないのは、なんで?』のお題を選んだ学校の先生。子供たちに『勉強の必要性』を分からせるのにホトホト困っているらしい。「理科の授業で『オームの法則』を理解しても、ほとんどの子供たちは日常も、また将来も使うことはない。むずかしい数学なんかできなくても日常生活に支障はない。一体どのように『勉強の必要性』を伝えたらいいのか。」理科や数学の授業において子供たちがソッポを向いて授業が上手くいってないのだろうか。それとも「先生、なんでこんなこと覚えなあかんの?」、と言われて返答に窮したのだろうか。昔なら、「子供の仕事は勉強。そんなこと言ってたら高校に通らないぞ」とか、「今一生懸命努力したそのことが、将来の壁を突破する力となるのだ」などと話せば、一定納得して勉強したものだが…しかし、今の子供たちにそんなこと言っても子供の心に響かない。「勉強の必要性は、自分の将来役に立つかどうかではない。勉強は自分のためにやるというのではなく、みんなのお役に立つため、みんなの期待に応えるため。」という店主の半答え。なるほどと頷きながら、でも実際に子供たちに話す場面を想定すると、必要性を納得させるのはかなり難しいと感じる。「お役に立つ」ことが将来へ保留されるので、子供に実感させにくいのか…。

この事例の学校の先生に限らず、家庭でも『なんで勉強しないといけないの?』『この勉強、将来役に立つの?』って、実際子どもに聞かれてドキッとした経験の方も多いのではないのでしょうか?
上記のように「子供の仕事は勉強」や「勉強しないといい高校(大学or会社)に入れないわよ」等と答えてませんか?
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また、上記引用中の店主の半答え、「勉強の必要性は、自分の将来役に立つかどうかではない。勉強は自分のためにやるというのではなく、みんなのお役に立つため、みんなの期待に応えるため。」は正しいと思うのですが、例えばこれをそのまま皆さんが子どもへ伝えても、両者ともになんだかスッキリしない感覚が残るのではないでしょうか。
このスッキリしない感覚が残るのはなんで?

このお題、考えてみると結構奥が深い。「みんなのお役に立つ立派な社会人になれ」、というのは60年代から70年代にかけての学校教育においてよく言われたこと。学校が私権(社会)秩序維持のための教育機関であることを考えれば、その中身は、「私権規範の遵守」(これが教育でよく言われる「文化の継承」の意味)と「豊かさを追求」(これが「文化の創造」の意味)することに他ならなかっただろう。さすがに勉強することが、みんなのためだとは誰も思っていなかった時代だし、みんな自分のために勉強していたのだが、しかし、「勉強の必要性」は「社会で役立つため」というのは、子供たちの心には観念的にはほぼ受け入れられていたように思う。もっとも、ほとんどの子供たちは、勉強しているより仲間といっしょに遊び回っていた方がはるかに面白いので、昔の子供たちの多くもいやいや勉強していたのは言うまでもない。

『末は博士か大臣か』一昔前にはよく聞かれたフレーズですが、下表より現代では大学数1180校(国公立・私立、短大含む)、進学率56%となっています。
戦後の昭和29年(1954年)の大学進学率が15%程度ですから、大学から大学院を経て、博士号を取得するハードルは、昔に比べてかなり低くなったように思われます。 🙄
『末は博士かワーキングプア(又はホームレス)』といった皮肉は、博士を取ったとしてもそれだけでは豊かな生活を送れない現実を現しています。
また、昨今の政治家や官僚の腐敗ぶりを耳目にすれば、かつての褒め言葉は嫌みにしか聞こえません。
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でも団塊の世代が、子どもの頃(高度経済成長時代)によく聞かされたであろう『末は博士か大臣か』も、教育ママに『勉強しろ!勉強しろ!』と言われ続けて、それでも将来の豊かな生活を夢見て、さしたる疑問も抱かずに机に向かって勉強していたのは、その時の両者の思いが一致していたからです。

何が違うのだろう。子供を取り巻く圧力構造が全く違うからではないか。60年代〜70年代は豊かさがどんどん実現され、私権獲得の可能性が開いていった時代。個人も家庭も企業も、そして社会全体が私権で統合されていた時代。だから、自分のためであろうと、社会のため、みんなのためであろうと、どれも私権原理による圧力構造の下で一致していた。だから、豊かな「社会」の実現のために勉強は必要、と言われても子供たちは納得していたのだろう。ところが、現在統合原理が私権原理から共認原理へと移行しつつある。が、教育制度をはじめとする古いパラダイムの中で、人々の意識もまた完全に転換できていない。人々は統合不全を抱え、個人も学校も社会もイコールで結ばれていない。一方、子供たちは大人社会よりも先行する形でみんな収束し、より共認原理の働きやすい圧力空間を作ろうとしている。にも関わらず、お役に立つべき「新しい共認社会」はパラダイム転換途中であり、顕在化していない。その証拠にみなの期待に応えるというならば、大人たちは一体彼らにどんな「期待」をかけているのだろう。自信を持って彼らの社会における役割(出番)を語れるだろうか。もしかれらに寄せる「期待」があるとすれば、まさに君らの時代こそ、新社会=共認原理で統合される社会をいっそう実現してくれ、という期待しかないのではないだろうか。だから、子供たちが「何のために勉強するの?」と問いかけているのなら、その問いの本質は「なぜ大人社会とこども社会の圧力構造、統合原理がずれているの?」という問いかけではないのだろうか。

団塊の世代が親になり子育てをする頃、日本はバブル経済の真っ只中。前回のシリーズ記事で扱った性権力は最大に肥大しています。
すると親の期待(難関大学を卒業→優良企業に就職=いい生活)と子どもの期待(異性にモテるブランド大学→有名企業に就職=異性の獲得=いい生活)に微妙なズレが生じてきます。
大学難易度ランキング(東進ドットコム)
子どもに入れさせたい大学(出典:C-NEWS編集部)
彼氏にしたい大学ランキング(出典:ランク王国)
「高校生に聞いた大学ブランドランキング2010」(リクルート)
「通ってみたい首都圏の大学ランキング」(大学ランキングネット)
バブル崩壊→私権観念の崩壊→性の衰弱→現代に至る過程で、両者のズレはより大きくなってきているように思われます。
親の期待は過去から、『難関大学を卒業→優良企業に就職=いい生活』の私権第一の旧いフレームから外れることがありませんでした。それは過去(自らが歩んできた子ども時代)の経験や今も企業の採用方法、世間一般の認識が『学歴重視』だからです。
一方で現代の子どもは、バブルに浮かれていた時代など知らず、逆に仲間第一の価値観の中で育ってきています。
例えば勉強方法は、昔は一人でガリガリ勉強するガリ勉や皆には勉強してないよと言いながら、隠れるように必死で勉強して試験ではいい点を取る奴らはたくさんいました。受験戦争を勝ち抜くには抜け駆けであろうが騙しであろうが、人よりいい点を取ることに腐心していました。
それが今では、一人でガリガリ勉強するよりも皆でマックやスタバ集まって一緒に勉強する、分からないところは教え合う勉強方法が主流になってきているようです。この傾向は塾通いをしている子どもたちも同じで、空き時間に自習室で皆で勉強し、教え合う、そして友達と一緒に志望校に合格することが励みになっているそうです。
%E5%8F%97%E9%A8%93%E6%88%A6%E4%BA%89.jpgこのような流れに逆行しているのは大人たちの方で、「図書館では一人で静かに勉強するものだ」と古臭い観念を振りかざしたり、勉強だけ(自分さえ合格すればいい)を強要している塾も未だに存在しています。
私権が衰弱、性も衰弱している現実を目の当たりにして、自ら私権第一の時代ではなくなってきていることに薄々気付き?ながら、でも『答え』が出せないから序列原理で無理矢理説き伏せる。これでは大人と子どもたちの意識がすり合ってくることはありません。

「なんのために勉強するの?」という子供の問いかけは、実は子供発なのではなく、むしろ、新しい子供社会と古い大人社会の矛盾のはざまに存在する、講師たち自身の発する葛藤の言葉ではないか。そうであれば、この問いを素直に言葉として発し、「勉強の必要性=認識の必要性」を共認すべきは、旧パラダイムから早期に脱却すべき講師達ではないかと思う。そうしないと、子供たちは誰もついてこないだろうから。

人間は活力を持って物事に取り組んでいる時、「なんでこんなことしているの?」ってことは考えません。「なんのために勉強するの?」という子どもの問いかけは、必要か否かの判断の土俵上から出てきています。本質は『勉強』の中に多分に含まれている『私権獲得のための試験勉強』が、私権第一から仲間第一に転換している現実に必要なのか?が問われているのだと思います。
この疑問に答えられる大人たちは残念ながら、ほとんどいないように感じます。 🙁
その現実を受け入れ、過去の経験や認識(旧観念)では答えが出ないことに気付き、自らが『認識の必要性』から新しい認識を獲得する方向に転換することが求められています。
否定発から肯定発、不全発から充足発への転換へ、勉強に対する子どもたちの意識を肯定課題、充足課題に置き換えてやる、そしてその場作り、この中身を具体的に語ってやることが大人たちの『答え』なのではないのでしょうか。
次回は、大人(親)たちの子どもに対する関わりについて扱ってみたいと思います。 8)

List    投稿者 mtup | 2011-02-28 | Posted in 04.狙われる国の資産1 Comment » 

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コメント1件

 wholesale bags | 2014.02.10 1:30

金貸しは、国家を相手に金を貸す | 北朝鮮、これからどうなる?② 〜国際関係−瀬戸際外交〜

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