2017-10-24

世界を操るグローバリズム-7~独立戦争も南北戦争も金融支配を巡る争いだった~

 

 

ジャクソン大統領 リンカーン大統領

アメリカ独立戦争から南北戦争につながる英米戦争は、通貨発給権を巡る金融支配戦争だったとのことです。

その間には、アメリカにも中央銀行が登場したり、廃止になったりと、国際金融資本家とそれを阻止する愛国派との攻防が繰り返されてきました。

 

その中でも特筆すべきは、第七代大統領のアンドリュー・ジャクソンと第16代大統領のリンカーンです。

ジャクソン大統領は、アメリカ2回目の中央銀行である合衆国第二銀行の期限満了に伴う更新を行わず、中央銀行存続を阻止しました。そのため、金融筋により暗殺されそうになりましたが、運よく逃れることができました。これがアメリカ大統領の最初の暗殺未遂事件とのことです。

 

リンカーン大統領は、ご存知の通り財務省発行のドルを発給し、経済政策を実行しました。当時のドル紙幣の裏側がみどり色をしていたことから、以来、ドル紙幣はグリーンバックと呼ばれているとのことです。(参考:アメリカの政府紙幣の歴史〜グリーンバック紙幣

 

しかし、人気4年余りで暗殺されてしまい、ここから国際金融資本勢力が力を増していきます。ちなみに、リンカーンの暗殺が大統領初の暗殺事件です。

 

暗殺の首謀者はイギリスのロスチャイルドであることはほぼ明白で、南軍に資金を貸して、南北戦争に持ち込んだのも彼。それに対し、北軍を支援し対抗したのが、なんとロシアであったとのこと。

この頃も、ロシアは反金貸しであったとのことです。

 

以下、『世界を操るグローバリズムの洗脳を解く(馬渕睦夫著)からの紹介です。

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 ■英米戦争は金融支配を巡る争いだった

アメリカに渡ったピューリタンたちは、アメリカに新しいエルサレムを作ろうとしましたが、イギリスはアメリカの独立を認めず戦争状態が続きました。

しかし、もはや独立は避けられないと考えたイギリスは、政治的には独立させても、金融的には支配することを狙いました。

 

イギリスといっても、イギリス政府ではなく、イギリス政府を動かしているロスチャイルドなどシティの銀行家たちのことです。

シティがアメリカを金融的に支配するには、アメリカにイングランド銀行のような、政府に借金させて通貨を波及発給するシステムをつくる必要がありました。

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本来は、アメリカ政府にイギリスのポンド通過を使用させて、ポンドで借金をさせたかったのだろうと思いますが、アメリカが独立をした以上、そういうわけには行きません。アメリカは独自通貨の「ドル」を発給することになりましたが、シティはその発給券を握ろうとしました。

 

この通貨発給権を巡る英米の戦いが、アメリカ建国以来の英米関係史であり、アメリカの金融史です。

 

国際銀行家たちは、自分たちが金融支配をするために、アメリカに中央銀行と称するものを作ろうともくろみました。大括りにいえば、中央銀行設立に賛成したのはフェデラリスト(連邦派)、反対したのはジェファソニアン(州権派)です。

 

連邦派は、強い中央主導の連邦制を目指していましたので、全米の通貨を発給する権限を持つ中央銀行の設立に賛成します。一方、州権を保持して、連邦政府の干渉をできる限り排除したいと考えていた州権派は、中央銀行の設立に反対しました。

 

初代財務長官のアレクサンダー・ハミルトンは代表的な連邦派で、ベンジャミン・フランクリンやトーマス・ジェファーソンは州権派です。ハミルトンはシティのエージェントのような役割を担い、通貨を独占的に発給する中央銀行設立を推進しました。それに立ちはだかったのが強硬な反対派であるフランクリンです。

 

そのフランクリンが1790年に亡くなったため反対派の勢力が弱まり、翌年の1791年に合衆国第一銀行という中央銀行が設立されました。合衆国第一銀行は、80%が民間出資で、政府の出資は20%でした。つまり、民間の出資者達が経営し、利益を得る銀行です。

 

ちなみにこの民間出資の形態は現在に至るまで受け継がれています。今のFRB(連邦準備銀行)は100%の民間銀行であり、政府は全く株を保有していません。

 

最初の中央銀行である合衆国第一銀行は、20年間という期限付の銀行でした。1811年に期限切れを迎えた際に、免許を延長するかどうかで議会が紛糾しています。結果的に上下両院とも1票差で否決され、この時点で中央銀行は消滅しました。アメリカ国内で通貨を独占的に発給する銀行がなくなったのです。

 

翌年の1812年に英米戦争が勃発しています。英米戦争が起こった理由については、歴史書を読んでも明確に書かれていませんが、一連の流れを見ていただければ、想像がつくのではないかと思います。通貨発給権を巡るイギリスとアメリカの対立がその背景にあったのでしょう。

 

ロスチャイルド家のマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは、「自分に通貨の発給権を認めてもらえれば法律は誰がつくってもいい」という言葉を残しています。この言葉の意味するところは、通貨を握ればすべてを握れるということです。法律をつくらなくても、ドルの発給権を握ればアメリカの実質的な支配権を得られるのです。

国際金融資本家たちの発想はこれに尽きます。彼らは各国の通貨発給権を握ることでその国を実質的に統治しようとしています。

■南北戦争は実はロシアとユダヤの戦いだった

アメリカ史の中の重要な出来事として南北戦争があります。教科書的にいえば、工業力が高く連邦制維持を目指す北部諸州と、奴隷を使った農業が盛んで連邦からの独立を目指す南部諸州の戦いです。

 

しかし、この南北戦争にも中央銀行と巡る動きが大きく関わっています。

 

中央銀行の歴史に戻りますと、一回目の中央銀行である合衆国第一銀行は1791年に設立され、20年間の特許期間を終えて、1811年に終了しました。その後、英米戦争による政府負債の拡大を捉えた金融勢力の猛烈な働きかけで、5年後の1816年に、合衆国第二銀行という二回目の中央銀行が設立されました。この銀行も特許状の期限は20年間でした。1836年、第七代大統領のアンドリュー・ジャクソンのときに期限切れを迎えます。

 

国際金融資本家は中央銀行の更新をさせようと働きかけますが、ジャクソンは更新を強硬に拒否しました。事実だけ述べれば、彼はアメリカの大統領として最初に暗殺のターゲットになりました。ピストルが不発だったために、結果的には暗殺未遂に終わっています。事件に至った理由は不明ですが、中央銀行を巡る対立が背景にあったと考えても間違いではないだろうと思います。

 

ジャクソン大統領の反対で中央銀行の免許は更新されず、1836年に中央銀行は消滅しました。ジャクソン大統領は非常に優れた大統領であり、金融資本家たちの様々な嫌がらせを克服していきました。彼はアメリカの真の愛国者であり、一部の民間資本家の利益になるだけの中央銀行設立を認めませんでした。

 

しかし、ジャクソン以降も金融資本家との戦いはずっと続き、やがて1861年から始まる南北戦争へとつながっていきました。

 

南北戦争は、純粋なアメリカの内戦ではなく、南北戦争を仕掛けようとする外部勢力によって引き起されたものです。外部勢力とはイギリスです。

 

アメリカ分裂させて、新興国のアメリカを弱体化させれば、イギリスにとって有利になります。当時のアメリカは工業力を増しており、放置しておくと強力な国家が誕生しそうな勢いでした。イギリスはアメリカの南部州をそそのかして連邦から脱退させる働きかけをしています。

 

イギリスがアメリカの分裂を目論んだ理由はいくもあり、経済的な理由も存在します。

当時、北部はイギリス製の安い製品に対して国内産業保護のために高い関税をかけていました。イギリスはイギリス製品を流通させないことに対して不満を持っていました。北部は、外国からの製品を締め出して工業の育成を図り、南部に対して国内製の高い製品を売って儲けていました。イギリスは北部のやり方に強い不満を持っていましたので、南部を支持する側に廻りました。

 

戦争をするには、戦費が必要になります。戦費をどこから調達したのかを見ていかなければ、戦争の本質を捉えることはできません。

 

南部は、イギリスのロスチャイルド家から借金をして戦費を調達していました。ロスチャイルドは30%もの高い利子をとったと伝えられています。

それに対して、北部のリンカーンは全く違う方法をとりました。財務省から通貨を発給させて戦費を調達したのです。ドル紙幣のことをグリーンバックと呼びますが、この時にリンカーンによって発給された紙幣は裏がグリーン色でした。以来、ドル紙幣はグリーンバックと呼ばれています。

 

政府に通貨を発給されてしまうと、中央銀行を設立しようとしているロスチャイルドをはじめとする国際金融資本家たちにとっては大きな痛手です。彼らが握りたいと望んでいる通過発給権が政府の手に渡り、設けることができなくなります。国際金融資本家たちはなんとしてでもリンカーンを倒さなければならなくなったわけです。

 

※後述しますが、北部はロシアが支援していました。

 

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