2019-05-14

国際情勢の大変動を見抜く!-12~ロシア革命の真相を理解するカギはウィルソン大統領~

ウィルソン大統領 キッシンジャー

今回はロシア革命について。

ロシア革命というので分かりにくいが、史実は「ユダヤ革命」。ロンドンやアメリカのユダヤ人が入り込んでロマノフ王朝を潰し、ロスチャイルド主導の政府を樹立したというもの。

アレクサンドル一世以来100年に亘って抵抗し続けてきた金貸しについに乗っ取られた革命であった。レーニン→スターリンと続くソ連邦という社会主義国が誕生するが、内実はエリート独裁政権で、しっかり中央銀行(建前上は政府系銀行ですが)を設けています。

 

これと時を同じくして、アメリカにも連邦準備制度法が設立されて、中央銀行:連邦準備銀行が設立された。ご存知の通り株主にはロスチャイルド家。

こちらも100年前からジャクソン大統領以来一身を賭して拒否し続けてきたが、遂に陥落。

 

金貸しに従順な大統領を要し、側近に実質の指導者が居座る傀儡政治のパターンがここから始まる。側近として有名なのがキッシンジャーやブレジンスキー。

 

トランプはどうか。最初は金貸しの手先の側近を排除するほうこうに動いていたが、中国との関係を見ると現在は怪しい。それも単なる見せかけなのか?ウィルソン大統領から100年余りにも及ぶ金貸し傀儡政治の歴史から決別することが容易ではないことが見て取れる。

 

次回、スターリンの造反からソ連邦崩壊までの道筋を見ていきながら、トランプの今後も推察していきたい。

 

 

『世界を操る支配者の正体』(馬渕睦夫 著)からの紹介です。

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3.ロシア革命

 

■それはロシアのユダヤ人を解放するための革命だった

 

ロシア革命について、もちろん私たちは歴史の教科書で学んだわけですが、残念ながら真実は隠されていました。そもそもロシア革命という名称自体が誤解を招く元です。ロシア革命はロシアの皇帝の圧政に苦しむロシア人が蜂起して帝政を転覆した革命では決してありません。ロシアの少数民族ユダヤ人を解放するために、国外に亡命していたユダヤ人がロンドン・シティやニューヨークのユダヤ系国際金融勢力の支援を受けて起こした革命であったのです。その意味で、ロシア革命ではなく「ユダヤ革命」と言うのが正しいのです。

 

イギリスの高名な知識人であるヒレア・べロックは『The Jews』の中で、ロシア革命は「ジュイッシュ・レボリューション」であると明言しています。当時のイギリスやヨーロッパ諸国では、ロシア革命がユダヤ革命であったことは常識でした。しかし、わが国では現在に至るもロシア革命の真相が教えられていません。ロシア革命で成立したソ連邦が1991年に解体されたにもかかわらずです。

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(中略)

 

私たちが克服しなければならないのは、共産主義は労働者を解放する人道主義思想であるという間違った思い込みです。東西冷戦時代に育った私たちの世代は、共産主義は歴史の必然であり、正義の思想であると左翼知識人などから洗脳されてきました。しかし、共産主義の真相は労働者の思想でもなく、歴史の必然でもなく、正義のイデオロギーでもありませんでした。共産主義とは、国の資源と物言わぬ大衆を効率よく搾取管理する一握りのエリート支配層のための思想なのです。であるからこそ、共産主義国が少数のエリート支配による独裁政治になるのは必然でした。

 

私がソ連時代の在モスクワ日本大使館勤務(1979年~1981年)の際に目撃したのは、労働者大衆が生活物資に事欠きながらもくもくと生活を送っている一方、贅沢品に囲まれた一握りの共産党エリートたちが超然と大衆を睥睨しているという超格差社会の実態でした。超格差社会の特徴の一つは、支配される側の一般大衆の人々に生気と笑いがないということです。人々は例外なくうつむき加減に、怒りと悲しみを押さえた生のエネルギーを喪失した無表情で行き交っていました。それはあらゆる面で管理されている大衆の姿でした。共産主義とはエリートの少数者が大衆を強圧的に管理するイデオロギーなのです。

 

 

1917年の11月革命によってウラジミール・レーニンたちのボルシェビキが権力を握りましたが、ロシア民衆の支持を得たわけでも、ましてや選挙で選ばれたわけでもありません。武装闘争によって権力を奪取したに過ぎないのです。ボルシェビキ革命政権の指導部は、8割がユダヤ人によって占められていました。レーニンは4分の一がユダヤ人です。

 

レフ・トロッキーはアメリカ在住のユダヤ人をひきつれアメリカ政府のパスポートによってロシアに入国し、革命に従事しました。トロッキーがまず行ったことは、ロシア人から金(ゴールド)を取り上げることでした。資本の私有を禁じる共産主義にあっては金の私有は禁止されるべきだというのが表向きの理由ですが、こうして国民やロマノフ王朝から取り上げられた金銀財宝は、革命に資金援助をした国際金融資本家たちへの返済に使われたのです。

 

金の収奪意外に彼らがどのような政策をとったかは火を見るよりアキラかです。ロシア人に対する復習でした。皇帝ニコライ2世一家は惨殺されました。何百万というロシア人がロシア人であるという理由だけで反革命の烙印を押されて銃殺されていきました。ノーベル文学賞を受賞したアレクサンドル・ソルジェニツィンは『収容所群島』の中で、収容所の管理者であるユダヤ人の弾圧ぶりを描いています。

 

■ロシア革命の真相を理解するカギはウィルソン大統領

 

ことほど左様に、ジュイッシュ・レボリューションの実態は「人民民主主義」とはかけ離れたものでした。しかし、強力な言論統制の結果、これらの実態はあまり世界に知られることがありませんでした。アメリカのウッドロー・ウィルソン大統領に至っては、「素晴らしい民主主義国が誕生した」とソ連を賛美しているほどです。世界の情報を掌握しているはずのアメリカの大統領ともあろう人物にしてもこの有様です。

 

私たちは、ウィルソン大統領はアメリカ民主主義の鏡であるかのように教えられてきました。しかし、ウィルソン大統領の業績を調べれば調べるほど、優れた民主主義者ではなく無害な操り人形であることが分かってきます。ウィルソン大統領の人物像を理解することが、第一次世界大戦やロシア革命の真相を理解することにつながるのです。

 

ウィルソン大統領が極めて凡庸な学者であったがゆえに、今日まで続くアメリカの悲劇が開始されたのだと私は考えています。ブリンストン大学総長を務めた後、ニュージャージー州知事になっていたウィルソンに大統領候補の白羽の矢を立てたのは、国際金融資本家でした。アメリカ政治では彼らの意向を無視した大統領選びは決して起こりません。ジョークとして語り継がれているように、アメリカにおいては大統領になるよりも大統領候補になるほうが難しいのです。

 

その意味はこういうことです。大統領候補は共和党、民主党の予備選挙によって選ばれますが、両党の大統領候補を誰にするかを最終的に決めるのはニューヨークの国際金融家たちなのです。まず、両党の大統領候補への指名を求めるものは予備選挙に立候補しなければなりません。予備選挙にはお金がかかります。どれだけ献金を集められるかが決め手になります。資金不足のため予備選から脱落する候補が相次ぐ事になります。次に重要なのはメディアによるスクリーニングです。メディアが候補者の過去の行状や予備選中の言動を批判的に報じれば、まず生き残れません。

 

以上のことは何を示しているのでしょうか。資金とメディアを支配している勢力が大統領候補選出に決定的影響力を有しているということです。このようにして選出された両党の大統領候補はどちらが当選しても彼らにとっては大きな違いがないということになります。だから、両党の政治家にとっては、大統領候補になることが極めて難しいことになるわけです。大統領選挙はお祭りということになるのです。

 

では、ウィルソン大統領はなぜロシア革命を礼讃したのでしょうか。その理由は、彼の周囲を固めていた側近たちが皆社会主義者であったということです。ウィルソン大統領が第二の自分とまで呼んで信頼していたエドワード・マンデル・ハウス大佐は社会主義者でした。ハウス大佐は一介のユダヤ系民間人にすぎませんが、ホワイトハウス内に執務室を与えられていました。ウィルソン大統領の側近中の側近の補佐官であったのです。このように、議会の承認を必要としない、いわば令外官がアメリカ大統領に最も影響を与える地位に就くことができるのです。

 

この方程式は現在まで続いています。有名なヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官は、私人の身分でニクソン大統領の外交政策を牛耳りました。カーター大統領の安全保障担当補佐官であったズビグニュー・ブレジンスキーは、オバマ大統領の外交顧問を務めたほど、長期にわたり民主党の外交政策に影響を与え続けました。

 

■ロシア革命とアメリカ中央銀行設立が同時期であった理由

 

ウィルソン大統領の「功績」として、世界が忘れてならないのはアメリカの中央銀行である連邦準備制度を成立させたことです。(1913年12月)。連邦準備制度を構成する連邦準備銀行は100パーセント民間銀行です。ロスチャイルド家などの国際銀行家が株主であることが特徴です。側近たちのアドバイスに忠実であったウィルソン大統領であったからこそ、かつてジャクソン大統領が一身を賭して拒否し続けた民間の中央銀行を認める複雑怪奇な連邦準備制度法に署名することができたのでしょう。ウィーン会議から100年にして、ここにアメリカは完全に国際銀行家たちの軍門に降ったのです。

 

ユダヤ人が主導するロシア革命とアメリカ中央銀行の設立がほぼ同じ時期に起こったことに注目すべきでしょう。国際銀行家たちは、アメリカとロシアの支配権をここに手中にすることができたのです。第一次世界大戦は、このアメリカとロシアの事件と密接に絡んでいます。

 

アメリカに民間の中央銀行ができたことは、アメリカが第一次世界大戦に参戦する金融的基盤が揃ったことを意味します。戦争には資金が必要です。しかし、この連邦準備制度のおかげで、アメリカは後顧の憂いなく戦争資金を調達する道が開けたのです。もちろん、借金することに変わりはありませんが、外国で戦費を調達するのではなく、連邦準備銀行から借りることで可能になったのです。

 

ここで注意していただきたいのは、連邦準備銀行から借りるというのは、株主たる国際銀行(多くは外国の銀行)から借りるのと同じですから、結局外国人から借金することと同じだということです。株主の国際銀行家たちは喜んでアメリカ政府に戦争式を融資してくれるでしょう。アメリカ政府は確実に戦費を返済することができるからです。なぜなら、連邦準備制度法と同時に連邦所得税法が成立しましたので、アメリカ連邦政府は国際銀行家たちに返済を確約できるわけです。アメリカ国民から所得税をとることが可能になったのですから。

 

ロシアの中央銀行はどうなったのでしょうか。ソ連邦政府は中央銀行を設立しました。アレクサンドル一世以来100年以上続いた国際銀行家への抵抗は、ここに終了することになったのです。もっとも共産主義体制下の中央銀行ですから、建前上民間の中央銀行ではありませんが、ロンドン・シティやニューヨークの金融資本家たちの代理人の政権ですから、事実上国際銀行家たちの中央銀行であったわけです。

 

ところが、これでひと段落した分けではありません。ソ連の歴史は資料が十分公開されていないことなどもあって、まだ全貌が明らかになっていませんが、少なくとも次の二点に関して歴史家は検証しなければならないと感じます。第一は、スターリンの評価です。第二は、ソ連はなぜ解体されたのかということです。この二点は国際金融資本家のロシア支配と関連が深いからです。

 

 

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