世界を操るグローバリズム-11~日本にキリスト教が根付かなかった訳~
アジアで唯一欧米諸国の植民地にならなかった日本について、その理由を芥川龍之介の小説から分析している記事です。
日本には先祖供養の文化があり、キリスト教では、キリスト教徒以外の人の死後は「地獄に落ちる」ことになっており、それが日本人には到底受け入れられなかったとのことです。
また、あらゆるものに神々が存在する精霊信仰の国である日本には、一神教であるキリスト教が異質のものと見なされ、布教活動の障壁となってきたとのことが、宣教師の回述にもあったとのこと。
外来の様々な文物と同化→融合→日本化してきた歴史から見ても、同化できない対象がキリスト教であったと思われます。
キリスト教が根付かなかったことから植民地化を諦めた金貸しは、日本を戦争に巻き込み、戦争による国力の低下を待って間接支配:傀儡政治に舵を切ったと思われます。
途中にはキリスト教化と同じ位相でさる国語を英語に変える戦略も二度ほど試みられましたが、心ある人たちによってそれは阻止され、かろうじて「日本人の心」:本源性は失われることなく現在に至っています。
それが日本の可能性に繋がっています。共同体社会への欠乏が高まっていく今後が、日本という国が世の中をリードしていく役回りであるということが、徐々に確信に近づいています。
からの紹介です。
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■日本人の伝統的な知恵が明治維新を成功させた
幕末に開国を迫られた日本が、明治維新以降のわずかな期間で国力を高め、日清戦争、日露戦争にまで勝利したことは、世界の人たちにとって驚くべきことでした。
なぜ他のアジア諸国と違って、日本だけが植民地にされずに、欧米と伍すまでになったのかは、世界の人々が知りたがるところです。
明治維新が成功を収めたのは、日本の伝統的な力、日本人の知恵があったからです。それは、外国の文物を日本化する力です。西洋からの文明を受け入れて、日本の国体に合うようにつくり替えて融合させたのです。このような視点から歴史を見ている教科書は残念ながら皆無です。
これは今日の日本を考える上でも重要な視点だと思います。
現在はTPP(環太平洋経済連携協定)などで欧米から「新たな開国」を迫られていますので、明治時代と状況はほとんど同じです。日本の伝統的な民族文化を守りながら、欧米流の市場化をどこまで受け入れ、いかに両立させていくかを考えていかなければなりませんが、日本には民族文化と欧米化の両立を成し遂げる力と知恵があります。
日本という国は、昔から外国文化をどのように取り込んでいくかを常に考えてきた国です。欧米化との関わりについて触れておきたいと思います。
さかのぼれば、欧米化への対応はフランシスコ・ザビエルが日本に来た時点から始まったといえます。以来、日本をキリスト教化しようという欧米諸国の動きはずっと続いてきました。
ところが、最終的に日本にキリスト教は根付きませんでした。それは伝統的な神道の力が強かったからです。多くの人は気付いていませんが、日本には神道の強い影響が残っています。
言い換えるなら、日本の国体が強かったために、日本をキリスト教化できなかったのです。一方、外国からは行って来た宗教の内うち、仏教は日本人に深く根付きました。その違いを考えてみることが重要です。
私は、芥川龍之介の短編を集めた『奉教人の死』の中に、ヒントを見つけました。
■日本人受け入れたもの、受け入れなかったもの
芥川龍之介は、天才的な作家ですが、なぜキリスト教が日本に根付かないかを『神神の微笑』『おぎん』などの一連の短編小説の中に書いています。
(中略)
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幼くして両親をなくしたおぎんという少女は、敬虔なキリシタンの養父母にキリスト教徒として育てられました。
ある日、三人は隠れキリシタンとして火あぶりの刑に処せられることになり、刑場に連行されました。
ところが刑の執行の直前に転向の機会を与えられたところ、おぎんは転向することを明らかにしたのです。
その理由は、なくなった実の両親に会いたくなったからでした。
キリスト教の教えでは、キリスト教徒ではなかった両親は地獄に落ちていることになります。このままキリシタンとして天国に行けば、永遠に実の両親とは会えないのです。子のおぎんの話しに、最後は養父母も折れて、三人とも転向したというストーリーです。
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この話は、日本人の心の中に根付いている先祖供養の気持ちをうまく表しています。
芥川龍之介は、キリスト教がなぜ日本に根付かなかったかという理由をこの短編小説の中で示唆しているのだと思います。
キリスト教は、日本人が最も大切にしている先祖供養の感情と合わないのです。
フランシスコ・ザビエルの本を読むと、同様のことが書かれています。
彼が日本人からの質問で一番困ったのは、「私が死後にキリストの身元に行くのだとしたら、私のご先祖たちはどこに行っているのでしょうか」というものだったそうです。それに対する応えは、「地獄へ行っている」ということになります。
キリスト教の教義に従うならば、そのように答えざるを得ません。そうすると、日本人はみな悲しそうな顔をするとザビエルは観察しています。(ピーター・ミルワード『ザビエルの見た日本』)。
ザビエルは日本人の心をそれ以上には解明していません。先祖供養の心が根付いていることには気付かなかったのでしょう。
もし、キリスト教が『ご先祖様の供養をしてもいいですよ』と認めていれば、日本でキリスト教が受け入れられた可能性があります。仏教が日本で受け入れられたのは、先祖供養を認めていたためです。
■共存共栄を考える日本の国民性が国力を発展させた
先祖供養というのは、日本民族のもともとの信仰である神道の考え方です。
日本人には、神道の精神との両立ができるのなら、仏教でもキリスト教でも受け入れる気持ちがあります。先祖供養さえ認めてくれれば、宗教上の修行は仏教式でもキリスト教式でもかまわないというのが日本人の考え方です。
言い方を換えると、日本の国体さえ守ってくれれば、外国のやり方であっても受け入れるということです。この考え方が、明治時代にうまく欧米化を取り入れてきた日本人の知恵と通ずるものがあります。
日本人は、天皇と言う「権威」が守られるなら「権力」は誰が握ってもかまわないという考え方すら持っています。政権をとるのは、自民党でも民主党でもいいのです。
実際に、あの民主党政権ができました。さらに言えば、マッカーサーが権力を握っても日本人は受け入れました。
天皇がいらっしゃる限りは、そして、日本神道と言う日本人が誕生したときから持っている信仰を認めてくれるのであれば、誰が権力を持ってもいいのです。
宗教についても、仏教でも、キリスト教でもユダヤ教でもイスラム教でもどうぞ、と言う考え方です。
残念ながら、キリスト教もユダヤ教もイスラム教も一神教であり、他の宗教を認めないから日本では根付かないのでしょう。仏教だけは神道を認めて、神仏習合の形で日本に根付いていきました。
つまり、日本人は多文化との共存、共栄の考え方を持っている国民だということです。外国のものを受け入れて共存させることができます。
一方、外国に対しても、日本のものを押し付けることはしません。日本のものも受け入れてもらって、共存共栄を図りたいという考え方です。欧米がアジアを植民地として、アジア人を統治しようとしたのに対して、日本人はアジア人たちとの共栄を目指しました。アジアを侵略する気持ちなど全くなく、共存したい。そういう国民性なのです。
■日本には外国からの文化を「造り変える力」がある
芥川龍之介の短編小説『神神の微笑』には日本に来たキリスト教の宣教師が布教活動をするのがいかに難しかったかが書かれています。
この短編は、安土桃山時代に活躍した実在の宣教師オルガンティノと日本を守護している老人の霊との対話の物語です。
小説の中に、オルガンティノが心情を吐露した言葉として、
「この国には山にも森にも、或いは家家の並んだ町にも、何か不思議な力が潜んでおります。そうしてそれが、冥冥の中に、私の使命を妨げて居ります。」
という一節があります。
これは、機にも、川にも、風にも、夕明かりにも神々が宿っているという日本の信仰文化を表しています。その日本の神々によってキリスト教の布教という使命が妨げられているというのです。
キリスト教を布教しようとしても、ありとあらゆるところに神々が宿っている日本に於いては、「キリスト教の神だけを信じなさい」と言う一神教の考え方は受け入れられません。日本人には、日本に存在している神々を否定することはできません。仏教の場合は、それらの神々との共存を選んだから日本で広まりました。
この芥川の短編小説の中では、老人の霊がキリストも日本に来ればやがて日本人になってしまうと述べています。これが重要な点です。
日本という国は、外国の文物を土着化させ、日本化させて受け入れることをしてきました。芥川はキリストを日本人に変えてしまう力のことを「造り変える力」と表現しました。日本においては外来の仏教、儒教などが広がりましたが、日本古来の文化と共存できるように作り変えて受け入れてきたのです。それが日本人の知恵です。
明治の開国以降、日本はアジアの中で唯一植民地にされませんでしたが、西洋の文化は受け入れました。欧米文化を日本風に造り変えて受け入れることで近代化を図り、国力を発展させてきたのです。
しかし、一点忘れてはならないことがあります。『神々の微笑』が書かれたのは大正時代ですが、芥川龍之介はキリスト教が勝つか日本神道が勝つかはまだ断定はできないとして、今後の私達の事業が勝敗を明らかにするだろうと指摘していることです。
つまり、日本型の近代化は大正時代の時点まではまだ実現していないと言うことです。
当時の大正デモクラシーの風潮を考えれば、芥川の目には日本が本当に西欧文化を日本化できたか疑問に写ったとしても、不思議ではありません。芥川が指摘した日本人の課題は、21世紀の今日まで引継がれてきているといえるといえるのです。
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