2019-05-01

国際情勢の大変動を見抜く!-10~左翼革命運動と国際金融資本家の奇妙な連動~

アレクサンドル一世 マルクス

今回から歴史を遡って、金貸し支配とそれに対抗するロシアについて。

ウィーン会議後、ロスチャイルド家を中心に推し進められる中央銀行制度に、ロシアのアレクサンドル一世が対抗。後にアレクサンドル一世は謎の不審死を遂げる。

アメリカも同様。中央銀行設立をめぐり紛争が沸き起こる。後にアンドリュー・ジャクソン大統領は暗殺されそうになったが未遂に終わる。その後の紛争や南北戦争のきっかけにもなったようだ。

世界中に中央銀行制度が拡大し、金貸しの世界戦略が侵攻していく。

 

フランス革命等によるユダヤ人開放運動による国際社会への進出を成し遂げ、「分割統治」の理念を背景に、左翼革命運動等の相対する思想を広めていく。マルクスへの資金援助等、当ブログでもおなじみの認識が数々登場する読み応えある内容。

 

その中央にあるのがスイス。永世中立国化した背景には、古くは宗教改革に始まり、国際決済銀行、国際連盟設立等金貸しの総本部として機能させようとする意図があったことも述べられている。

 

『世界を操る支配者の正体』(馬渕睦夫 著)からの紹介です。

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■■国際金融勢力対ロシアの200年戦争

1.ウィーン会議

 ■ナポレオン戦争で巨大な富を築いたロスチャイルド

ロシアの支配をめぐる国際金融勢力との戦いは、今からちょうど200年前の1814年9月から、翌年6月まで続いたウィーン会議で始まったとみることができます。ナポレオン戦争の後始末を話し合い、「会議は踊る」と揶揄された、あのウィーン会議です。

私たちは歴史教科書でオーストリアの宰相メッテルニヒやイギリスのカースルリー外相、フランスのタレイラン外相の活躍を学びました。しかし、ここには最も重要な二人の人物が抜け落ちています。その一人はロシアのアレクサンドル一世であり、もう一人は陰の主役ロスチャイルド家でした。

 

ウィーン会議の目的は、ヨーロッパ全土を巻き込んだナポレオン戦争後のヨーロッパ新秩序の建設であり、以後勢力均衡に基づくヨーロッパ協調体制ができました。これによってヨーロッパは1914年の第一次世界大戦までの約100年間、基本的には平和が保たれたというのが、歴史学者の間の通説です。果たして、この説は正しいでしょうか。第一次世界大戦に至る経緯を検討してみると、決してこのような見方が正しいとは思えないのです。では、ウィーン会議の本当の目的は何だったのでしょうか。

 

ロシアとユダヤ金融資本家の役割を抜きにしては、ウィーン会議の真相はわかりません。ナポレオンをロシアから敗走せしめたロシア皇帝アレクサンドル一世は、戦後秩序の指導者を自任していました。そこで、キリスト教国による神聖同盟を提唱したのです。その神聖同盟はいわばキリスト教徒による国際連盟のごときものでした。このロシアの呼びかけに応じたのはオーストリアとプロイセンでした。いわば、最初の国債機関ともいえるものです。

 

のちの歴史は、この神聖同盟は実効性のない空虚な理想に過ぎなかったことを示していますが、キリスト教国の団結を訴えた精神的効果は決して少なくなかったと考えます。敬虔なロシア正教徒であるアレクサンドル一世は、ヨーロッパを戦乱に導いた諸悪の根源が国家の反宗教性にあるとみていたのです。ヨーロッパの支配者はキリスト教の紐帯によって国家間及び国民との信頼関係を構築するべきであるとするのが、アレクサンドル一世の主張であり、このような紐帯こそヨーロッパの平和を保障するものであると考えたのです。

 

当然のことながら、何よりもユダヤ教を敵視するキリスト教の団結という「神聖同盟」の構想に嫌悪感を示したのが、ロスチャイルドを筆頭とする国際金融勢力でした。ロスチャイルドたちの狙いは別にありました。それは、ヨーロッパ諸国を自分たちの金融力を使って支配することです。なぜなら、ナポレオン戦争というヨーロッパを疲弊させた戦争によって、巨大な富を蓄積したのがこれらの金融勢力だったからです。彼らは、各国政府に戦争資金を貸し付けて、巨額の儲けを懐にしたわけです。

 

政府に対する貸付以外にも、いわば情報操作によって富を築いた有名な例がロンドンのネイサン・ロスチャイルドの国債操作です。

 

ナポレオン戦争の雌雄を決したベルギーのブリュッセル郊外のワーテルローの戦いにおいて、イギリスのウェリントン群勝利のニュースを誰よりも早く入手したネイサンは、ロンドン証券取引所でイギリス国債を売り始めました。これを見た仲買人たちは情報通のネイサンが売りに回ったのは、ウェリントン軍が負けた証拠だと思い込んで、証券市場はイギリス国債売り一色に染まったのです。イギリス国債は紙くず同然になりました。この時ネイサンはこれらの国債をまさしくただ同然で買い集めたのです。そこへ、ウェリントン勝利の報がもたらされ、イギリス国債は暴騰します。ネイサン・ロスチャイルドが一夜にして巨万の富を築いたことがお分かりいただけたと思います。

 

これによって、ネイサン・ロスチャイルドはフランスに代わって世界の金融市場の覇者となったイギリスをコントロールする力を持ったのです。彼は、イギリス帝国を統治する傀儡など誰であってもかまわない、イギリスの貨幣供給を掌握する私(ネイサン)が大英帝国を支配するのだ、と自慢げに語っています。

 

これが、金融支配による政府支配のメカニズムなのです。この構図は200年を経た今日でも変わっていません。私たちは、この表には見えない隠された事実をいま改めて心する必要があります。現在世界には200の国がありますが、民間金融資本家による政府のコントロールという図式を免れている国は数えるほどしかありません。のちに説明しますが、その例外的な国の一つがプーチン大統領のロシアなのです。

 

■ロシア皇帝が謎の不審死

ナポレオン戦争を戦った諸国は戦勝国であれ、戦敗国であれ、すべて膨大な債務に見舞われます。債権者がロスチャイルド家であることは言うまでもありません。こうしてロスチャイルド家はヨーロッパの実質的権力者となったのです。ヴェルナー・ゾンバルトは自著『ユダヤ人と経済生活』の中で、19世紀の半ばにはヨーロッパにはただ一つの権力しか存在しない、それはロスチャイルド家だ、と明言しているくらいです。

 

このように権勢を誇るロスチャイルド家によるヨーロッパ新秩序に従わなかったのが、ロシアのアレクサンドル一世でした。ユダヤ教徒であるロスチャイルドの企てに反抗するかのようなイエス・キリストを救世主と仰ぐ神聖同盟は、ロスチャイルド家のヨーロッパ支配の野望に立ちはだかる目障りな存在に映ったとしても不思議ではありません。アレクサンドル一世はロスチャイルド家の怨念を買う羽目になってしまったのです。

 

アレクサンドル一世は当然のことながら、ロシアに中央銀行を設立すべきだとのロスチャイルドの提案にも同意しませんでした。後でも触れますが、ロスチャイルドのいう中央銀行とは民間の通貨発行銀行のことです。ロスチャイルドたち国際金融資本家は、イギリスを皮切りに各国に民間の中央銀行を設立していきました。世界の通貨発給権を握ろうとしたのです。各国の民間中央近郷を通じた世界支配。これが、アメリカの歴史学者キャロル・キグリーの言う民間金融資本家による世界支配のための国際的ネットワークなのです。ロスチャイルド家たちのヨーロッパ金融支配に挑戦したロシア皇帝アレクサンドル一世はやがて不審死を遂げることになります。

 

なお、余談ですが、ウィーン会議が終結した翌年、アメリカにおいて中央銀行が再び設立されました。再びという意味はアメリカの最初の中央銀行(株の80%はロスチャイルド家とその仲間が握っていました)は1791年に設立されたのですが、1811年に20年の認可期限が切れていたのです。アメリカ議会は認可の更新をあくまでも認めませんでした。そこで、1812年、イギリスとアメリカは戦争に突入します。戦争目的のはっきりしない戦争と言われていますが、読者の皆様は想像がつくと思います。ロンドン・シティの国際金融形がイギリス政府に対米戦争の圧力をかけたのです。

 

無益な戦争のため国家債務が膨らんだアメリカの連邦議会は、ついに中央銀行の設立(期限は20年)を認めました。さらに、20年後にはまた同様の争いが繰り返されることになるのですが、土岐のアンドリュー・ジャクソン大統領は最後まで中央銀行法案を認めませんでした。その結果、1836年をもってアメリカでは中央銀行が廃止されたのです。

 

アンドリュー・ジャクソンは、ロスチャイルド家に抵抗したため暗殺のターゲットとなった最初のアメリカ大統領となりました。1835年にジャクソン大統領は暗殺者リチャード・ローレンスに狙撃されましたが、二丁のピストルは奇跡的に不発であったっために難を逃れることができたのです。しかし、中央銀行の不在がのちの南北戦争の遠因になるのです。

■左翼革命運動と国際金融資本家の奇妙な連動

ここまで見てきた諸点以外のウィーン会議の結果を見ておくことにも、大変意義があります。

 

一つはユダヤ人の開放です。それまで都市のゲットーに押し込められていたユダヤ人は大手を振って街中に出ることができるようになったのです。フランス革命を機に始まったユダヤ人開放の動きは、ウィーン会議をもって完結しました。ユダヤ人はヨーロッパ人と平等になったのです。差別や迫害から逃れることとなったユダヤ人たちの喜びは想像するに難くありません。

 

かくして、能力に長けたユダヤ人たちは政府の閣僚や役人、教育者、企業経営者などになりました。その一方で、同じユダヤ人富豪の金融資本家たちは、自らの富をもってヨーロッパ支配に乗り出したのです。ウィーン会議後ヨーロッパで頻発する革命騒ぎは、主として貧しい都市のユダヤ人が中心的役割を果たしました。既存秩序の打破を謳う左翼革命運動の高まりとロスチャイルド家など国際金融資本家の支配の強化とは、不思議に連動しているのです。

 

1848年にはユダヤ人カール・マルクスによって有名な『共産党宣言』が出されます。ユダヤ教徒を両親に持つマルクスの共産主義研究に資金援助をしたのは、ロスチャイルド家でした。資本主義を否定する研究に資本家の雄が援助するとは一見矛盾しているように感じられますが、実はそうではないのです。そこにはロスチャイルド流の深慮遠謀がありました。同時に、ロスチャイルドは共産主義とは対立する思想の研究にも援助を惜しみませんでした。その理由は、相対立する思想の力によって、イデオロギーの違いを利用、扇動して、人々を派閥に分割し、お互いを対立させることにありました。思想の力によって互いに戦い、破壊しあい、政治制度や宗教組織をことごとく破壊するように洗脳していったわけです。

 

これは、いわば「分割統治」方式です。人々の思考を分裂させることによって、紛争を起こし、紛争の双方の当事者に援助することによって彼らに対する支配を容易にするという戦略なのです。

 

「分割統治」というと、私たちは欧米列強の植民地統治を思い出しますが、分割統治の有効性は何も植民地だけに限りません。後ほど詳しく説明しますが、19世紀半ばから20世紀にかけて勃発した数多くの革命騒ぎを裏から支援していたのはロスチャイルド家などの国際金融資本家であったことを記憶しておいてください。

 

もう一つはスイスの永世中立国化です。私たちはスイスは永世中立国であると学校で習いましたが、なぜスイスがそうなったのかについては教えられませんでした。戦争を嫌ったからスイスは永世中立国になったわけではありません。

 

スイスは4万平方キロ(九州程度)の面積に、フランス語圏、ドイツ語圏、イタリア語圏など4つの民族言語から成り立っており、とても独立国としての条件を備えているとは考えられない国です。しかし、永世中立国であるスイス国内に銀行を持てば、戦争に際し両陣営に資金を供給することが可能になり、また、戦争が起こっても安心して財産を保管できることになります。スイスの永世中立国化は国際金融資本家の利益のために計画されたのです。

 

後のことになりますが、スイスのバーゼルには世界の中央銀行の「中央銀行」である国際決済銀行(BIS)が置かれることになります。また、約100年後、ジュネーブの地にユダヤ人が主導した国際連盟の本部が置かれたことを考えると、スイスの中立化は決して偶然の出来事ではなかったのです。ちなみに、ジュネーブは宗教改革時代の昔から国際都市でした。カルヴァンがジュネーブを根拠に後にピューリタニズムとなる思想を広めたことは、教科書で習った通りです。

 

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