2019-06-02

国際情勢の大変動を見抜く!-14~グローバリズムという妖怪~

ボルカー

金貸しによるグローバリズム戦略で、学者を使った洗脳が進んできた歴史を辿る。

市場拡大のためには、市場に任せ政府は関与してはならないというバカげたイデオロギーがまかり通る。

規制緩和や民営化という甘い言葉に踊らされ、実際には市場に関する情報は公平に共有されないことや、民営化とは私有化であるという事実から遠ざけ、選択の自由をあたかも自分たちが持っているかのように洗脳する。

 

そして、「現在の私たちは、市場という言葉の魔力に無感覚になっています。膨大な大衆が無感覚になっているからこそ、市場経済を通じて貧富の格差が拡大したのです。」とあるように、金貸しは庶民を思考停止にさせることを意図的に実行し、世界を支配することがグローバル化の本質と思われる。

 

『世界を操る支配者の正体』(馬渕睦夫 著)からの紹介です。

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■■道徳と民族を破壊する4人の洗脳者

■グローバリズムという妖怪

 

これまでロシアと国際金融勢力との攻防の歴史を見てきました。この戦いは、なにもロシアに限ったことではありません。現在地球的規模で世界をグローバル市場化しようと策動している国際金融勢力と、民族文化を擁護し、国家の独立を守ろうとする国家との戦いが繰り広げられているのです。すなわち、グローバリズム対ナショナリズムの戦いです。

 

この戦いの渦中に我が国も投げ込まれています。2012年12月の安倍政権成立以来、安倍総理の地球儀を俯瞰する外交上の活躍によって我が国の国際社会におけるプレゼンスが高まりました。ところが、まさに我が国の国際的プレゼンスが高まったがゆえに、安倍総理に対する中韓のみならず同盟国アメリカからの批判が高まってきたのです。本章は、その理由を明らかにするものです。まず、グローバリズムとは何か、その正体に迫りたいと思います。

 

 

1848年にカール・マルクスが『共産党宣言』を刊行しました。以後21世紀に至るまでの歴史は、革命と戦争の世紀であったと総括できると思います。マルクスは「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している。共産主義という妖怪が」と謳い上げて、世界の虐げられた人々に福音をもたらしたかのように誤解されましたが、実際に世界は革命騒ぎと戦争の惨禍に覆われてしまいました。そして東西冷戦が終了して二十数年、いま世界には別の妖怪が徘徊するようになったのです。その妖怪こそ、グローバリズムです。

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東西冷戦時の共産主義陣営の雄であったソ連邦が衰退する時期と、西側世界でグローバリズムが勃興する時期とは、奇しくも一致しています。ソ連の衰退は1979年12月のソ連軍によるアフガニスタン侵攻に始まりました。翌1980年にはポーランドで自由労組のソリダリティ運動が起こり、ソ連の東欧衛星国の中から反ソ連運動が勃発しました。この時ソ連は軍事介入することなく、翌年に強硬派と言われたヤルゼルスキ―将軍をポーランド共和国第一書記に据えることで、一旦は危機を逃れました。しかし、ソ連陣営の鉄の規律が緩み始めたことが、当時モスクワに勤務していた私にもひしひしと感じられました。

 

1986年にはウクライナのチェルノブイリ原子力発電所爆発事故が起こります。当初、ソ連当局が事故の事実を隠したため周辺住民の避難が遅れ、救えたはずの数多くの生命が犠牲になりました。この事故処理の不手際は、ウクライナやチェルノブイリに近いベラルーシの人々に対し、ソ連という共産主義制度そのものに対する不信感を抱かせる結果となりました。加えて、この年は国際石油価格が低落した結果、石油など天然資源輸出に国庫収入の大半を依存するソ連経済に極めて深刻な影響を与えることになりました。さらに、アメリカのレーガン大統領のスター・ウォーズ軍拡計画によって、ソ連はアメリカの軍事増強に追いつけなくなってしまったのです。

 

このようにソ連の衰退がはじまった、まさにその時期にソ連の指導者についたのが、ミハエル・ゴルバチョフ書記長でした。ゴルバチョフは有名なペレストロイカとグラスノスチのスローガンのもとに、疲弊した社会主義体制の立て直しに着手しましたが、1989年にベルリンの壁が崩壊し、ここに社会主義陣営が終焉することになったのです。ソ連軍のアフガニスタン侵攻から、わずか10年後のことでした。それから2年の後、ソ連は解体され、ロシア、ウクライナはじめ15の構成共和国はすべて独立国家となりました。これらの新興独立国がそれまでの中央統制経済から市場経済に向けて一斉に舵を切りました。その後のロシアの事情については、第3章で見た通りです。

 

■ボルカーは正しかったか

 

他方、アメリカでは80年代になっていわゆる新自由主義と呼ばれる経済政策がとられるようになりました。一言でいえば、経済は市場の調整に任せるのが最も効率よく運営されるので、政府の経済活動に対する規制は出来るだけないのがよいとするイデオロギーです。この新自由主義経済政策の理論的支柱になったのは、フリードリッヒ・ハイエクでした。有名な『隷従への道』を発表したハイエクの主張を一言でいえば、「経済への国家の介入は有害であり、市場を信頼すべきである。経済活動を市場に任せれば、自然と秩序が形成される」というものです。

 

ハイエクの後を継いだのがシカゴ大学のミルトン・フリードマンで、政府の行動を縛ることと、自由な個人の活動を保障することによって、素晴らしい未来が約束されると強調しました。フリードマンの学説はマネタリズムと呼ばれていますが、マネタリズムとは要するに経済の自由化のことなのです。経済活動に政府は介入するなということですが、それがなぜマネタリズムと呼ばれるのかがミソなのです。この点を詳しく述べる紙幅の余裕はありませんが、マネーを供給しているのは誰なのかが分かれば、なぜ経済の自由化とマネタリズムが結びつくのかが分かります。

 

すでに、拙著『国難の正体』でアメリカの中央銀行たる連邦準備銀行(FRB)のカラクリについて述べ、本書でも触れたように、アメリカのドルを発給しているのはロンドン・シティやウォール街の国際金融銀行家が株主である民間の中央銀行です。通貨発給に関し、アメリカ政府は何の権限も持っていないのです。したがって、アメリカ政府が経済活動を市場に任せるということは、政府が通貨問題に一切介入しないことを確認することでもあったわけです。ここに、フリードマンのマネタリズム(通貨供給量の多寡によって経済運営をすること)と新自由主義経済が結びつくのです。

 

以後アメリカではシカゴ学派の主張通りの政策が行われるようになりました。注目すべきは1979年から1987年の期間、FRB議長を務めたポール・ボルカーです。1981年に大統領に就任したレーガンは選挙運動期間を通じてFRBの活動に関心を表明していました。また、ボルカー議長を交代させる考えも表明していたのです。しかし、ボルカーはそのままいつくことになりました。

 

このへんの駆け引きがどうであったか、外からはうかがい知れませんが、ボルカーの後任になるアラン・グリーンスパンは、回想録『波乱の時代』の中で、ロナルド・レーガン大統領にFRBの決定に干渉しないように忠告したことを明らかにしています。当時、ボルカー議長主導の高金利政策への批判は強く、通貨供給量を増やすように求める声が強まっていました。グリーンスパンは、ボルカー議長の政策は正しいこと、ホワイトハウスとFRBが公然と対立すれば投資家の信任が揺らいで景気回復が遅くなるといってレーガンを説得したというのです。

 

グリーンスパンはレーガン大統領とボルガ―議長との微妙な関係についても触れています。レーガン大統領が会いたいと希望しているのに、ボルガ―議長はなかなか応じませんでした。そこで、ホワイトハウスでもFRBでもなく、財務省で会うことになったのです。リーガン財務長官室での昼食会でレーガンは開口一番「いつも不思議に思っているのだが、FRBがなぜ必要なのかと聞かれることが多いのだ」とズバリ切り込みます。これにはボルガ―議長が仰天したそうです。グリーンスパンは、その後二人は静かに協力するようになったと述べているだけで、おそらく緊迫したやり取りがあったと想像されるにもかかわらず、二人の会話を詳しく書いていないのが残念です。

 

ところで、大統領就任直後の1981年3月30日にレーガン暗殺未遂事件が起こります。犯人はジョン・ヒンクレーという精神異常者の単独犯行とされましたが、何かすっきりしないものを感じます。警備が厳重な大統領にピストルを持ったヒンクレーがどうして至近距離まで容易に近づくことができたのでしょうか。ちなみに、ヒンクレーは後に裁判で精神異常を理由に無罪になっています。本件は幸いレーガン大統領が一命をとりとめ職務に復帰することができたことで、その後の検証は行われませんでしたが、FRBとの確執がこの背景にあったのかどうか、疑問の残る暗殺未遂事件であった気がします。

 

■私たちに「選択の自由」はあるのか?

 

ボルカー議長の政策はフリードマンの学説通り、通貨供給量の調整に重点を置くことでした。そして、金利は自由化されたのです。通貨供給を減らした結果、金利が上昇し世界のマネーが高金利を求めてアメリカに集まりました。ちょうど私のニューヨーク総領事館勤務時代でしたが、市中金利が20パーセント近くまで上昇しました。この結果、投資へのインセンティブが削がれ、アメリカの製造業は海外立地を目指すようになり、アメリカの経済は不況に陥りました。工業大国アメリカを象徴する自動車会社のGM、フォード、クライスラーは軒並み赤字に転じ、輸入日本車への風当たりが強くなりました。

 

レーガノミックスは、フリードマンの学説、すなわち通貨供給量による経済コントロールを実践しやすくするため、経済活動に対する政府の規制を可能な限り撤廃して、市場の調整に経済運営を任せる狙いを持ったものでした。当時、アメリカでは規制緩和という言葉には誰も抵抗できないほどの権威がありました。経済活動が刺激された側面があったのは確かですが、同時に本来規制すべき分野にまで緩和政策が及んだため、例えば航空事業の規制緩和の結果、次々と格安航空機会社が出現し、航空機の安全問題が深刻化するなどの負の側面が現れました。

 

また、同じころイギリスでは、「鉄の女」と称されたサッチャー首相が1979年に政権について以降に実施した自由化政策、いわゆるサッチャリズムのおかげでそれまでのイギリス病を克服できたと、もてはやされました。しかし、公共サービスの民営化による料金値上げや教育・福祉予算の削減は庶民生活を直撃したほか、とりわけ教育の荒廃を招きました。後のブレア首相が、一に教育、二に教育、三に教育と教育の再生を叫んだことはいまだに記憶に新しいところです。

このような負の側面があったにもかかわらず、政府の経済活動に対する規制は悪いことだという刷り込みがはじまりました。規制はなければないほどよいという掛け声の下で、規制緩和自由競争が奨励されたのです。その結果何が起こったか、貧富の格差が拡大したことを私たちは記憶しています。

 

先にハイエクの「隷従への道」を避けるべしとの主張を見ましたが、フリードマンは隷従に代わるものとは個々人の「選択の自由」であると強調しました。一見もっともらしい見解ですが、経済活動が行われる市場の実際を知らされていない多くの個人にとっては、市場で適切な選択ができないのです。これは、市場に関する情報は公平に共有されてはいないことを意味するのです。しかし、その点をあえて無視して選択の自由をあたかも私たちが持っているかのように洗脳する新自由主義者の欺瞞に気付かなければなりません。後にも触れますが、この欺瞞は現在でも行われています。

 

かつて民営化という言葉がわが国でもはやりました。「民でもできるものは民で」という美しいスローガンに、多くの国民は騙されてしまいました。「郵政民営化、イエスかノーか」とのシングル・イシューの総選挙で、小泉自民党は大勝しましたが、民営化という言葉の魔力に選挙民は騙されてしまったといえます。

 

民営化という言葉は正確ではありません。正しくは、私有化というべきです。つまり、市場は私人が支配しているのです。私人は公共の福祉に対し何ら責任も持ちません。そのような私益を追求している人たちが支配している市場で、経済の効率的運営や資源の最適配分ができるはずがありません。現在の私たちは、市場という言葉の魔力に無感覚になっています。膨大な大衆が無感覚になっているからこそ、市場経済を通じて貧富の格差が拡大したのです。

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