2020-01-01

国際情勢の大変動を見抜く!-45~共産中国の成立はソ連の支配下に置くためにアメリカが仕組んだ~

初日の出 マーシャル・プラン

あけましておめでとうございます。令和初のお正月を迎えました。

昨年はアジアとアメリカの関係での様々な動きがあり、また、ヨーロッパでは、ドイツ銀行の危機や世界支配の奥の院のあるイギリスのEU離脱を巡る動きなど様々な出来事がありました。

 

当ブログでは、これまで扱ってきたように、これらの動きは、大きくはこれまでの金貸し支配の歴史からの転換と関連する事象と捉えています。

その観点で今年も世界の様々な動きを注目し、事実を追求していきたいと思います。本年もよろしくお願いいたします。

 

今回の記事はマーシャル・プランの正史です。

面白いのが通説と正史が真逆だということです。通説や共産主義抑止。正史はアメリカによる共産中国の設立で、ソ連の衛星国にしようとする意図があったとのことです。

その背景には、金貸しのお馴染みの手法「分割統治」で、直接的には戦争する双方の国々に対して武器を売り、破壊された都市の復興再生に参入するという軍産複合体の利権拡大が目的です。

最終的には世界統一政府樹立への試行の意味合いもあると考えられます。

『知ってはいけない現代史の正体』(馬渕睦夫 著)からの紹介です。

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■1948年 マーシャル・プランの開始

◇通説   :共産主義化防止を目的としてアメリカはヨーロッパに経済援助を行った

◇歴史の真相:ジョージ・マーシャルこそは共産党独裁・中華人民共和国の生みの親だった。

 

●共産党立て直しの時間稼ぎをしたマーシャル

 1948年、アメリカはヨーロッパ経済復興援助計画を発表します。正統派の歴史観によれば、戦後ヨーロッパの経済的困窮が共産党拡大の原因だとして始めた、反共反ソ政策・トルーマン=ドクトリンの一貫です。支援を発表した、当時の国務長官ジョージ・マーシャルの名を取ってマーシャル・プランと呼ばれています。西欧は支援を受け入れますがソ連・東欧は受け入れず、共産党勢力は共産党情報局・コミンフォルムを結成して対抗をはじめ、ここから「冷戦」と呼ばれる緊張状態が激化していった、とされています。

 

ジョージ・マーシャルは軍人です。第二次世界大戦時は陸軍参謀総長を務め、戦後に国務長官、国防長官を歴任しました。

 

第二次世界大戦後、直ちに中国では蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党との間で内戦がおこります。マーシャル将軍は、トルーマン大統領の特使として中国に派遣されました。表向きはもちろん、国民党援助です。しかしマーシャル将軍は国民党への武器援助実施を遅らせ、共産党軍との即時停戦を主張しました。そして共産党との連立政権を強要したのです。それまで有利に戦いを進めていた蒋介石に停戦を命じたことは、共産党軍立て直しのための時間稼ぎでした。

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マーシャル将軍のこのような行動は、マーシャルが共産主義シンパだったからだとか、アメリカ政府中枢にいたコミンテルンのスパイの謀略に引っ掛かったから、などと言われています。そう言った側面も否定は出来ないのですが、トルーマン大統領およびマーシャル将軍に対して指示した何らかの強力な勢力が存在していたと考える方が自然であり、それは公開資料からも見えてきます。

 

●ソ連の評価が高いマーシャル将軍

マーシャルは、共産党勢力を封じ込めるためのヨーロッパ経済復興援助計画の提唱者でした。1955年にソ連からワルシャワ条約機構を結成して対応しなければならなくなったアメリカを中心とする西側ヨーロッパ諸国の軍事同盟・NATO(北大西洋条約機構1949年成立)の強化に努めた人物でもあります。ソ連からすれば天敵のような人物ですが、ソ連側のマーシャルの評価には高いものがありました。

 

アンドレイ・グロムイコは1946年から49年まで国際連合安全保障理事会のソ連代表、その後外務大臣を長く務めた人ですが、『グロムイコ回想録―ソ連外交秘史』を見ると、「マーシャルの重要性は、テヘラン、ヤルタ、ポツダムの各会談に参加した事実から分かる」「アメリカ政府は戦場で彼の権威をあてにした」「マーシャルには外交官のモーニングコートも軍服も共によく似合ったようだ」など、マーシャルに対して可能な限りの賛辞を送っていることが分かります。マーシャルはソ連にとって信頼のおける仲間でした。

 

一方、1950年代アメリカの反共運動、いわゆる赤狩りのシンボル的存在だった上院議員ジョセフ・マッカーシーは、『共産中国はアメリカが作った―G・マーシャルの配信外交』で、共産主義親派であるところのマッカーシーは、マーシャルの前任の国務長官ジェームズ・バーンズの著書にあるスターリンのマーシャル評価を紹介しています。「スターリンはマーシャル将軍を称賛して、中国問題に決着をつけられる人間はマーシャル以外にいないといった。スターリンは正確にはこうも言ったかもしれない。自分が満足できるようにと」。

 

では、どのようにマーシャルは中国問題に決着をつけたのでしょうか。前掲『共産中国はアメリカが作った―G・マーシャルの配信外交』に驚くべき事実が明かされています。

 

●アメリカの過剰な中国共産党擁護

第二次世界大戦中、蒋介石軍の軍事顧問団として中国に派遣されていたジョセフ・スティルウェルという軍人がいました。マーシャル参謀総長による任命です。スティルウェルは、共産党こそは中国に民主主義をもたらす勢力であると称賛する一方、蒋介石はアメリカの援助を共産党との戦いに使おうとしている、と批判していました。スティルウェルはアメリカ政権の顰蹙を買い、1944年に解任され、後任としてアルバート・ウェデマイヤー将軍が中国に派遣されました。

 

ウェデマイヤー将軍は、米国からの支援武器がほとんど蒋介石軍に渡っていないことを突き止め、共産党との紛争解決のために国民党支援を強化するよう本国に要請します。これについてマッカーシーはとても興味深い解説を付けています。「アジアの兵力を集結して太平洋や極東の米軍をたたくためにも中国は戦争をやめるべきだという日本の申し出に抗い、無視しろ、戦争を続けろと蒋介石に言ったのは私たちだ。蒋介石には大きな借りがある」。つまり、蒋介石に日本との戦争を続けるように勧めたのはアメリカだったことを認めています。

 

ウェデマイヤーは終戦後、直ちに帰国します。蒋介石に対して報告書を提出しているのですが、そこには「中国駐留アメリカ軍の早期撤退に圧力が掛かっているとトルーマン大統領が述べた」と記されていました。アメリカ軍が中国から引き上げることは、毛沢東と対峙している蒋介石にとっては痛手です。マーシャルの対処方針は、米国務省と国防総省(統合参謀本部)が決めた中国政策に基づいていました。

 

その政策とは、「蒋介石が共産党征伐を進めることがあれば、支援を打ち切るだけにとどまらず、中国に対して統一政府の樹立つまり蒋介石政府に共産党を加えることを要請する」というものです。蒋介石政府にとっては死刑宣告です。つまりアメリカの中国政策とは、ルーズベルト大統領時代から一貫して変わらず、中国に共産党政権を作ることでした。

 

マーシャルこそは、共産党政権、中華人民共和国の生みの親なのです。なお、ウェデマイヤーは回顧録(『第二次大戦に勝者なし』)において、マーシャルの蒋介石切り捨てについて、マーシャルは第二次世界大戦の戦争式の激務に疲れ切っていたため、中国に来た時には正常な判断が出来ない状態にあったと、マーシャルを擁護しています。マーシャルに引き立てられたエリート将軍としては、ここまでしか書けなかったのでしょう。

 

ではなぜアメリカは、中国に共産党政権を成立させる必要があったのでしょうか。

 

●狙いは中国をソ連の支配下に置くこと

 

アメリカは、中国をソ連の影響下に置くために、中国での共産党政権樹立を必要としました。ソ連をアメリカとの対峙の強国に仕立て上げるために中国をソ連の衛星国にする、という狙いがあったのです。ソ連をより強国として仕立て、ソ連を中心とする共産主義の脅威を煽って西側諸国の世論を固め、軍拡を推進して軍産複合体の利益を図ることが当時のアメリカの目論見でした。

 

アメリカの支援を受けて中国で権力を握ることになったのが毛沢東です。毛沢東は当然アメリカからの援助を期待しますがアメリカはそれに応えません。毛沢東がソ連に援助を求めざるを得なくなるこの状況こそがアメリカの狙いでした。ソ連に中国をコントロールさせ、中国がソ連の衛星国になることで西側の反共世論はさらに強くなります。

 

アメリカはまた蒋介石を台湾で生き延びさせ、中国に紛争の火種を残しました。分割統治と呼ばれる帝国主義時代の植民地支配の鉄則です。蒋介石に共産中国を牽制させることで、共産中国はアメリカに刃向かうことが困難になります。

 

アメリカに袖にされた毛沢東は1949年暮れにソ連を訪問し、翌年の中ソ友好同盟相互援助条約締結の交渉を行います。相性が悪いのか、スターリンとの関係はぎこちないものでした。グロムイコは、条約締結の空気を、「前夜の両巨頭の間にはたいして心の通い合いがなかった、というのが翌日の同志たちの意見だった。続く数日間の雰囲気もほぼ同様だった」と、前掲『グロムイコ回想録―ソ連外交秘史』に残しています。

 

しかし、その後の中国は必ずしもアメリカの意図通りには動きませんでした。中国をソ連の支配下に置くというアメリカの目論見を毛沢東は知っていたのでしょう。朝鮮戦争にこそ義勇兵を送ってソ連に協力していますが、1960年代に始まるベトナム戦争には介入しませんでした。中ソ対立はベトナム戦争を境に激化していくことになります。

 

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