国際情勢の大変動を見抜く!-48~アメリカが故意に長引かせたベトナム戦争~
表題のとおりですが、アメリカの背後の金貸しが仕組んだものです。
ベトナムを支援するソ連には、アメリカが300億ドルもの【支援】を行っています。名目は「非戦略物資」ですが、曖昧な基準とすることでベトナムに実質上の戦略物資が供給され続けた。まさにマッチポンプ。
ケネディ大統領は戦争を中止しようとしたが、暗殺されて実現されなかった。中央銀行設立への抵抗が暗殺理由として有名だが、これも暗殺の大きな動機だったのだ。
金貸しは、中国のベトナム戦争への介入も仕組もうとしたが、金貸しの存在を認識している中国はソの手に乗らず、逆にアヘン栽培を推進しアメリカを麻薬漬けにした。
また、ソ連を介して中ソ合併会社を設立し、中国の石油と金を奪い取ろうとしたが、これも契約寸前で実現しなかった。これが理由でスターリンが暗殺されたらしい。
このような真の歴史を知るトランプ大統領が「アメリカはアメリカ人によって統治される」と金貸しに宣戦布告して立ち上がった。
『知ってはいけない現代史の正体』(馬渕睦夫 著)からの紹介です。
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■1954年 ベトナム戦争
◇通説 :アメリカはベトナム人民を殺戮し、その威信を低下させた。
◇歴史の真相:アメリカは故意に戦争を長引かせた。
●ベトナム戦争のそもそも
まずベトナム戦争が起こる経緯を見ておきましょう。19世紀フランスのアジア進出がことの発端です。1887年、清仏戦争に勝ったフランスはインドシナをフランス領とします。ベトナムはその一部でした。フランスは第二次世界大戦中の1940年にドイツに降伏、弱体化した仏領インドシナには日本軍が進駐します。
1941年、共産主義者で独立指導者のホー・チ・ミンがベトナム独立同盟会いわゆるベトミンを結成して本格的に独立運動を開始します。共産主義ですからソ連が支援しました。1945年に日本が降伏してベトナムが無政府状態になったところでベトミンが全土を掌握し、皇帝を退位させてハノイで独立宣言を発表、ベトナム民主共和国が建国されました。
しかし旧宗主国であるフランスはベトナム民主共和国を承認せず、インドシナに再び介入し、南ベトナム共和国という傀儡国家を建設します。南北に分断されたベトナムの統一をテーマとして北ベトナムとフランスとの間に1946年、第一次インドシナ戦争が起こります。フランスはこの戦争に敗北しました。1954年、ジュネーブ協定が締結されてフランスはインドシナから出て行きます。
アメリカはジュネーブ協定には参加せず、フランスに代わってベトナムに乗り込みます。ベトナムは南ベトナムと北ベトナムに完全に分断され、冷戦構造そのものの米ソ代理戦争となり、1960年には南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)結成、1965年にトンキン湾事件という北ベトナムによる対米艦船魚雷発射疑惑事件が起こったのをきっかけにアメリカが北爆を開始して大量動員体制に入り、ベトナム戦争は全面戦争へと拡大します。
宣戦布告があって始まった戦争ではありません。ベトナム戦争の開始年については、アメリカの介入を招くことになったジュネーブ協定締結時の1954年、ベトコン結成時の1960年、アメリカが北爆を開始した1965年など諸説がありますが、問題はケネディ大統領はベトナムから手を引くことを考えていたことです。しかし、ケネディは1963年11月に暗殺され、大統領を引き継いだジョンソンによってアメリカは本格的にベトナム戦争にのめり込んで行くことになりました。北爆を開始したのはジョンソン大統領であり、最盛時には50万人のアメリカ兵がベトナムに送り込まれました。それにもかかわらず、アメリカは勝てなかったのです。それはなぜでしょうか。
●アメリカのソ連への援助
アメリカがベトナムから完全撤退するのは1973年です。その後1975年にベトナムを統一することになる北ベトナム共産主義政権は、軍事力・経済力とあらゆる点でアメリカに勝てる要素はありませんでした。しかし結果はアメリカの敗北です。
1960~70年代、日本もそうでしたが、世界中に反戦運動が起こりました。しかし、反戦運動のためにアメリカが敗北したわけではありません。アメリカは、勝てる戦争をあえて勝ちませんでした。いたずらに戦争を長引かせた、と言った方が正しいでしょう。
ベトナム戦争が最も激しさを増した1966年、アメリカは敵・北ベトナムの後ろ盾であるソ連への大々的な経済援助を開始します。ソ連をはじめとする東欧諸国に貿易の最恵国待遇を与えるという、ときのジョンソン大統領の声明です。アメリカがソ連などに300億ドルを融資し、ソ連などはこの資金を使ってアメリカから「非戦略物資」を輸入するというプランでした。「非戦略物資」の範囲は緩く、石油、航空機部品、レーダー、コンピュータ、トラック車両など常識的に考えて戦略物資に入るものもOKでした。
つまり、アメリカはソ連に金を貸し、ソ連はその金でアメリカから戦争物資を買うのです。ソ連は、アメリカから買った戦争物資を北ベトナムに送ります。北ベトナムはこれらの物資をアメリカによって破壊された施設や武器の修復に使い、ベトコンの武装強化に使いました。アメリカは自国の兵を殺傷するために敵側に資金を提供していたようなものです。
前掲『グロムイコ回想録』の、「1966年のソ連共産党大会において、ソ連および他の社会主義国はベトナムに必要な支援をすると宣言したが、これはもっと真剣に受け止められても良いものだった」という内容のグロムイコ回想は意味深長です。この時に世界がからくりに気が付いていれば、その後の様々な茶番的な戦争は避けられたかもしれません。
ジョンソン政権末期からキッシンジャーが北ベトナムとの和平交渉に絡み、1973年、ニクソン政権下で和平合意が成立します。その間の1972年、ニクソンが訪中してアメリカは中国と和解します。中国との和解はベトナム戦争終結に必要でした。中国とソ連は中ソ対立という状態にありました。中国がベトナム戦争に介入しなかった理由も中ソ対立にあります。
●スターリンの激怒
ベトナム戦争には当初、朝鮮戦争と同様、中国を巻き込んで戦争を拡大しようという狙いもあったと言われています。しかし結果的に中国は介入しませんでした。私は、中国は米ソの意図を見抜いていたのではないかと思っています。前掲『キッシンジャー「最高機密」会話録』に収録されている、先に紹介したキッシンジャーと毛沢東のナチスドイツの戦法をめぐる会話を見る限り、毛沢東は常に世界政治の背景には何か目に見えない勢力が介在していると疑っていたのではないでしょうか。
ベトナム戦争を機に先鋭化する中ソ対立の知られざる遠因が、前掲、『グロムイコ回想録―ソ連外交秘史』から見えてきます。ソ中合併会社の設立問題です。
1949年の中華人民共和国の樹立間もなく、中国はソ中石油会社とソ中金属会社という両国合併会社をソ連に提案しました。交渉は数回行われましたが、結局、中国側の方針変更で行き詰ります。ソ連側の交渉団長を務めていたグロムイコは、事態の報告を受けたスターリンの様子を「スターリンはこの問題に対する自分の感情を最大限の強い表現で吐露した。その後契約不履行が続いて起き、中ソ関係全体に及ぼす影響はたいしたことはなかったものの、ソ連指導部にとって後味の悪いものになった」などと書いています。中国側の契約不履行が重なって結局この合併プロジェクトは失敗することになったようです。
スターリンが、たかだか新興の中国との合併会社設立問題くらいで激怒することは通常では考えられません。プロジェクトには何か隠された秘密があったのです。この秘密の私大はスターリンが間もなく亡くなったため、「ソ中関係全体に及ぼす影響はたいしたことはなかった」とグロムイコが言及していることからすると、合併会社がスターリンの個人的なプロジェクトだったことが示唆されています。そしてこの「石油」と「金(ゴールド)」のプロジェクトにはスターリンの政治生命が掛かっていたのではないか、だからこそ失敗に対する激怒だったと考えられるのです。
スターリンはその後まもなく1953年に死去しますが、暗殺されたという説は根強くあります。グロムイコもまたほぼめかしています。このソ中合併会社の失敗が暗殺にひとつの原因という推理はそれほど的外れなことではないと思います。だからこそ、合併会社の失敗はソ連首脳部にとって「後味の悪い」ものだったのです。
個人的なプロジェクトとは、スターリンが個人的に利益を得るプロジェクト、という意味ではありません。ソ連の国家体制でそれはまず不可能です。ソ連の外にいる何者かと約束した、あるいは強要されたプロジェクトではなかったかと考えられます。
現在、石油はロックフェラー財閥が、金はロスチャイルド財閥がそれぞれ圧倒的な支配権をもって事業展開を行っています。グロムイコは、スターリン暗殺に秘められた真相をほのめかす目的をもってソ中合併会社の失敗を回想録に残したのだ、と私は考えています。
●アメリカ政府は必ずしもアメリカ人の政府ではない
ベトナム戦争はまた、アメリカに麻薬が蔓延する契機ともなりました。毛沢東は雲南省でのケシ栽培を認め、アヘンをベトナムに流して米兵士の戦意を喪失させました。中国にとってのベトナム戦争はアヘン戦争の意趣返しの側面を持ちます。
アメリカを巨大な麻薬市場にしたベトナム戦争とは、アメリカにとって一体何だったのでしょうか。ベトナム戦争後、アメリカ国内は分裂します。帰還兵は英雄ではなく、アメリカの名誉を傷付けた忌むべき存在のようにアメリカ社会の一部で扱われます。経済は停滞し、治安は乱れました。ベトナム戦争はアメリカ社会に荒廃をもたらしただけでしたが、利益を得た人々は確かにいました。300億ドルもの「非戦略物資」をソ連に輸出できた企業がそれにあたります。
ベトナム戦争は、アメリカという国家を疲弊させるためにベトナム人ゲリラとアメリカ軍が利用された戦争です。なぜ、アメリカ政府が自らの国家を壊すような真似をするのかについては、理解しがたいところがあるでしょう。しかし、いままで述べてきたように、「アメリカ政府は必ずしもアメリカ人の政府ではない」のです。
欧米の政府はしばしば、国家意識のない国際主義者に支配されます。彼らは大統領になるわけでも首相になるわけでもなく、政府を背後からコントロールするだけです。そして彼らの意図を実践する舞台として、大統領などの側近に息のかかった人間を送り込みます。
アメリカの大統領は自ら政策を立てるわけではありません。これら側近たちがおぜん立てしてくれるのです。
例えば、長くロックフェラー家の当主を務めたデビッド・ロックフェラーは『回顧録』の中で、「私は国際主義者であり、世界中の仲間たちとともに、より統合的でグローバルな政治経済構造、つまり一つの世界を構築しようと努めてきた」と述べています。
ここでお気づきのように、トランプ大統領が「アメリカはアメリカ人によって統治される」と宣言しているのには、歴史的な意味があるのです。トランプ氏はそれまでのアメリカ政府がアメリカ人の政府ではなかった、つまりアメリカ国民の利益を第一に考える政府ではなかったと強調しているのです。
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