2010-04-26

シリーズ「活力再生需要を事業化する」6 〜金融、ITビジネスはもはや古い?!新しいビジネス“社会的企業”〜

シリーズで発信している「活力再生事業を事業化する」
これまでは、
「活力再生需要を事業化する」〜活力源は、脱集団の『みんな期待』に応えること〜
シリーズ「活力再生需要を事業化する」2〜ワクワク活力再生!〜
シリーズ「活力再生需要を事業化する」3 〜老人ホームと保育園が同居する施設『江東園』〜
シリーズ「活力再生需要を事業化する」4〜企業活力再生コンサル〜シリーズ「活力再生需要を事業化する」5 〜企業活力再生需要の核心は「次代を読む」〜

とお送りしてきました
社会不全が高まり元気のない日本。それを打破していくためには、新しい認識である社会的(みんな)期待に応えていくことが重要との認識を提示しました。既存の枠組み・集団縄張意識から脱却して、社会にある潜在的な期待を発掘し、それに応えることで社会的評価が得られ活力が再生していくという構造です。
今回は、その先端事例として、企業間取引から社会貢献事業へと取組む、その潮流と実在する集団を紹介していきます。
では、続きに行く前に・・・
     

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◆1.金融、ITビジネスはもはや古い
金融、ITが発展(&破綻?)したアメリカでここ数年、ビジネスモデルに異変が起きています。従来の営利目的一辺倒から、人のために、世の中のために何かをしたい、ビジネスを通して社会貢献したいと意識の底流での変化が見られるのです。
“社会的企業家”と呼ばれる彼らの事例を最初にるいネットより紹介します。

 現在、ハーバード・ビジネス・スクールやコロンビア大学、オックスフォード大学といった名だたる名門大学で注目されている新ビジネスがある。それは金融ビジネスでもITビジネスでもなく“社会的企業(ソーシャル・エンタープライズ)”と呼ばれるビジネスだ。
>社会的企業とは社会的課題の解決を目的として収益事業に取り組む事業体のことである。(ウィキペディアより)
 ハーバード・ビジネス・スクールでは毎年恒例の「ハーバード社会事業大会」が開催され、日本人参加者も「急増中」だそうだ。(http://hokkamuri.exblog.jp/6518702/)
 またイギリスのオックスフォード大学SAIDビジネススクールでは社会的企業コースが設立され、学生の注目を集めている。(http://www.glinet.org/inspiredetail.asp?id=1720&CatID=959)
 アメリカでは一流大学を卒業し、モルガンスタンレーやマッキンゼーといった人がうらやむ経歴を持った人が「やりがい」を求め退職し、社会的企業に就職するケースも増えているようだ。
>かつてハーバードやイェール等を卒業し、一旦はモルガン・スタンレーやマッキンゼーでガリガリと収益追求のビジネスに生きるのですが、数年後「何か違う」とやめて、社会起業家を始めてしまうのです。確かに、前職に比べると、格段に年収は落ちるのですが、彼らは「これは、生き方だ。」と確信犯で社会企業を始めます。
 こういった流れの背景には世界的な「私権原理から共認原理への転換」があります。
 そして新たな「共認原理社会」におけるビジネスモデルを模索し始めたと言うことを意味するのではと思うのですがどうでしょうか。
るいネット より

私権原理一辺倒だった欧米、しかも世界でも一流と言われる大学を中心として、私権原理からの離脱とも言えるこのパラダイムシフトが見られるのは、注目に値します。豊かさを実現した一定の層から、次代の新しいビジネスの探索過程に入っている、そんな現象です。
しかし、既成の概念で括れない社会的企業。なかなか想像しがたいのも事実でしょう。一体どのようなものがあるのでしょうか?
◆2.日本の事例紹介
先ほどの投稿では、欧米の事例をご紹介しましたが、一早く豊かさを実現したといえば、我が国日本です。社会的企業、事業の中身を把握するために、日本での事例を2つご紹介したいと思います。
何の所縁もない、海外において地雷撤去に燃える企業(事業)と、高齢化が進む小さな町で全国に遡及力を持つまでに至った高齢者による企業(事業)運営を取上げます。


上の2つの画像は、何かわかりますか?
最初の画像は、アメリカ製の対人地雷(中に750発ものパチンコ玉状の金属片が入っており、それが爆発に伴い飛散し、多くの犠牲者を出す)
次の画像は、その地雷を用いて、耐爆実験を行ったキャブのガラスです。
1つ目にご紹介するのは、対人地雷撤去機を作成する、山梨日立建機(株) の取組みです。

地雷との出会いと、ソーシャル・アントレプレナーシップ
1994年、雨宮氏は内戦終結後のカンボジアを商用で訪れた。中古の建設機械の修理・販売を主な業務とする山梨日立建機にとって、戦後復興期のカンボジアにはビジネスチャンスがあるとふんでの訪問であった。しかしそこで雨宮氏は、手足を負傷した多くの人の姿と、「悪魔の兵器」と呼ばれる地雷の恐ろしさに強い衝撃を受けることとなる。
致命的な殺生能力は持たず、人々の手足を奪い、死なない程度に傷つけることで生きる希望をそぎ、家族には心身ケアの負担を課し、生活の糧を得るための労働力を失くしてしまう地雷は、国力を衰えさせる上で極めて戦略的な悪魔の兵器である。そしてそんな兵器が家のすぐそば、畑までの道中、学校の敷地内に無数に埋まっている現実があった。
この状況を目の当たりにして雨宮氏は、若い頃に亡くなった母親からの「人のためになるような人間になれ」という言葉を思い出し、「自分に何かできることはないのか」と考えた。そして自らの持つ技術を活かし、地雷を撤去する機械を創ることを思い立つ。そして帰国後すぐに地雷除去機の開発に着手したのであった。
想いを形にするまでの苦しかった3年間
強い想いを胸に日本に帰国したが、地雷についての知識・情報も全くなく、まさにゼロからのスタートとなった。地雷の専門家や関係機関などから精力的に情報を集め、社内に対人地雷除去機材開発プロジェクトチームを立ち上げた。試行錯誤での地雷除去機開発が行われたが、3年間は失敗の連続であったという。
灌木地帯に埋まっている地雷を除去するには、まず木を除去することが必要であるため、油圧ショベルカーの先端に高速回転するカッターを設置することにした。しかし、地雷爆発時の1,000度を超える熱と爆風に耐えられる耐久性・耐摩耗性が得られず、開発は何度も行き詰った。
そして開発コストも約10億円にまでかさみ、苦境に陥る中、何度も迷いに捉われたが、そんな雨宮氏を支えたのは社員や現地の人々の「やめないで欲しい、何としても地雷除去機を完成させて欲しい」という声だったという。
そして1998年、十分な耐久性を備えた地雷除去機1号機が完成した。
山梨日立建機の地雷除去機がもつ強み
今も世界120ヵ国に約1億個の地雷が埋設されている。手作業での地雷除去は1000年かけても終わらないと言われている。これに対し、同社の地雷除去機だと最大で時間当たり1700m2もの広さを除去できる。耐熱性・耐爆性に長けた除去機は連続使用が可能で、万が一欠損が発生した場合でも部品交換を行えば、また直ぐに使用できる。部品交換の頻度も年に数回で済む。この、地雷処理能力の高さ・優れた耐久性は、山梨日立建機の地雷除去機を世界トップシェアレベルにまで押し上げた。
そして地雷除去だけでなく農地回復・整備まで1台で行うことができる機械もある。油圧ショベルタイプは地雷原での潅木伐採(前処理作業)と地雷除去とを、アタッチメントを切り替えることなく行うことができ、アタッチメントを付け替えると、畝作りなど農地回復・整備の作業にも活用できるのだ。
そして現地政府の地雷除去センターと連携し、地雷除去後の土地の安全確認を行っている。地雷を除去することそのものが目的ではなく、地雷除去後の土地を有効活用し、現地の人々の自立支援に役立つことを目指している。実際、地雷除去後の土地に学校が建設され、農地や農業研修所ができるなど、各地で成果が見え始めている。たとえばニカラグアの村では、地雷を除去した後の土地が果樹園として再生され、年間60万ケースのオレンジを出荷している。

ソーシャルビジネスとしての事業性
同社における地雷除去機の製造・販売は、まさに本業を生かしたソーシャルビジネスであるといえる。そもそも地雷除去機は、もともと同社が保有していた油圧ショベルの製造技術を応用して作られており、(機種にもよるが)1台あたり3,000万円〜8,000万円の値段設定がなされている「商品」である。世界で活躍する除去機の中には「寄付」として無償提供されたケースもあるが、原則としてODAの枠組みの中で、途上国政府によって入札され販売されている“ビジネス”である。同社の売り上げ29億円(2009年3月期)のうち、当事業は9.8億円となっており、3分の1以上を占めているのだ。
雨宮氏は、社会的な事業活動をするためには収益を上げるべきであること、さもなければ継続した取り組みにならないことを、明確な方針として掲げてきた。また国際協力の分野においては、NGOだけでなく企業がもっと本業を活かして取り組むべき、という姿勢をとっている。「企業はCSRを果たすことは当然であり、CSRを果たさない企業は21世紀には生き残れない」という信条の下、事業展開を図っている。
Social Ecoo より

社会的な事業活動をするためには、収益を上げるべきであること、さもなければ継続した取り組みにならない、という最後の文章(方針)が印象的です。社会的に必要な仕事・事業であれば、評価としてのお金を通す
まさに、お金は、現実の必要度を測るモノサシというわけです。
さて、2つ目は、人口2,200人の徳島県の山あいの町、上勝町にある企業 「(株)いろどり」  です。町の総面積の86%が山林で高齢化比率は47%という典型的な山村で繰り広げられる、新しいビジネスとは?


おばあちゃんたちのビジネス
恵まれた自然を活かして、もみじや南天、笹などの「葉っぱ」を採取/栽培し、全国の料理店、ホテルなどに出される料理の名脇役「つまもの」として出荷する「葉っぱビジネス」に携わるおばあちゃんたちは、一人ひとりが経営者。まず商品としての葉っぱを採取/収穫する。葉っぱは、料亭が日本料理を提供する際に必要な季節感を添えるために使用されることから、料亭が求める微妙な色合いを選りすぐり、お手製の道具を使って大きさを整え、丁寧に梱包して出荷している。その際、髪の毛や虫が入らないよう商品管理も徹底している。この丁寧な作業によって商品価値が高められ、同じ葉っぱでも市況価格が数倍〜10倍にもなるのである。市場では鮮度の良い季節感のある商品が求められていることを踏まえ、葉っぱビジネスに参加している各戸には毎日、光ファイバーを通じたパソコンや防災無線を利用したFAXでその日に必要な出荷量が株式会社いろどりから伝えられる。おばあちゃんたちはこの情報を受けて、高齢者のために開発された入力装置を備えたパソコンを駆使しながら、市況と在庫(山の木々の状況)を踏まえ出荷戦略をたてて受注する。そしてそこには、ただ売るだけではなく「料亭の職人の気持ちになって」とエンドユーザーのことを考えるプロフェッショナリズムが存在する。
いろどりサイト上では「個人情報」と表示される各戸の出荷・売上状況を見ることができる。これにより、田舎のコミュニティに潜在する「他の人たちに負けたくない」という競争心が良いモチベーションとなり、今や年間2億5,000万円を売り上げるビジネスに成長した。最近では、急な注文にも対応できるよう携帯電話を持ち歩くお年寄りもおり、おばあちゃんたちの言葉を借りれば「忙しくて病気になる暇もない」ということである。葉っぱビジネスに参画するお年寄りたちは収入が上がれば上がるほど元気になり、医療費も寝たきり率も下がり、町全体の活性化に結びついている。

社会的な側面
かといってこのビジネスを「お年寄りたちの金儲け」として捉えてしまってはあまりにも短絡的である。特筆すべきは、お年寄りたちにとってこの事業に取り組むことが「楽しみ」であり、「生きがい」であり、また人によっては「家族のきずなを深めるツール」であり、「健康長寿の秘訣(病後の良いリハビリ)」であるという、高齢者を社会から孤立させない新しいタイプの社会参加なのである。
こうして、昭和61年に始まった本ビジネスは2006年に20周年を迎え、ビジネスの担い手としても開始当初から基盤を固めてきたお年寄り世代から、後継ぎとして参画した娘さん・息子さん世代にまで広がっている。繁忙期に期間限定でお手伝いに来ていた若い世代が、Uターン・Iターンで上勝町に腰を据えて取り組むケースも増えてきている。
 本ビジネスが帯びる社会的な意義、葉っぱに付加価値をつけることで採算性を成り立たせるビジネスモデル、過疎の町を元気なお年寄りの町にした革新性、お年寄りが生きがいを持ってビジネスと社会に参加する為にITを効果的に利用していること、が評価され、本ビジネスは2006年にソーシャル・ビジネス・アワード(主催:NPO法人ソーシャル・イノベーション・ジャパン、協賛:マイクロソフト株式会社)「ソーシャル・ITビジネス賞」を受賞した。
■株式会社いろどり代表取締役 横石 知二氏 
いろどりの「葉っぱビジネス」にとってなくてはならない存在—横石氏は本事業のまさに立役者である。おばあちゃんたちのコメントの中にも「横石さんに誘われたからやり始めた」「横石さんが毎日手書きのFAXで分かりやすく情報をくれる」などしばしば登場する。横石さんとは一体どんな人物なのだろう。
上勝町の人々とともに
横石氏は、ニューズウイーク日本語版(2007年7月18日号)で「世界を変える社会起業家100人」に選ばれた気鋭のソーシャル・アントレプレナーである。氏のお名前やご活躍は今日、その他のいろんなメディアでもお見かけするが、有名になられた今も昔も、氏の姿勢には「まちの人々、地元の人々に敬意を払い、彼らとともにビジネスを行う」というコンセプトが一貫している。
1979年に上勝町農業協同組合へ営農指導員として入社以降、氏は農産物の売上増加に取り組んでこられたが、1981年には大寒波でそれまで上勝町の主要産業であったみかん農業が壊滅的なダメージを受けるという困難に直面された。そこでみかんに代わる新しい産業を興す必要に迫られ、上勝町に豊富にある葉っぱを「つまもの」事業として産業化する取り組みを始めたが、上勝町の人々からは「葉っぱが金になるか」とほとんど取り合ってもらえなかったという。しかし、彼は、生来の負けずぎらいであり、立ちはだかる困難にめげず、積極的に取り組み続けることで、徐々に理解者を増やしていくこととなった。彼は、このように仲間を増やしていった秘訣を「気を育てること」と語る。仲間を元気にしていくためには、手作りのイラスト入りのFAXやおばあちゃんへの心配りの一言が、高齢者の疎外感を共感に変えるのである。しかしながら、市場は厳しく、彼はどうしても料亭が必要とする「つまもの」がどのようなものか理解できなかった。そこで料亭に日参し、ようやく熱意にほだされた料理人の方に教えてもらえることが出来たという。このように、新しい試みを始めるために考え方や技術を人々に「移植」するのではなく、熱意を以て「理解」してもらう、横石氏の姿勢を表す苦労話である。
Social Ecoo より

何歳になっても仕事が生きがいを生む、活力に繋がっている好例です。企業の宿命である利益追求を超えた新しい価値軸(評価共認の価値)を生み出す、先端のビジネスモデルといえます。仲間を増やす⇒「気を育てる」、そのための心配りは文字通り相手発(みんな発)の行動。こういった成功事例を見ると、地方を中心として高齢化が進行する我が国でも、地域に根ざしたまま社会的な評価を獲得できる可能性がまだまだあることを示してくれているように思います。
◆3.まとめ
冒頭の欧米の事例、上の日本の事例に共通する構造は、人の、社会の役に立つことです。私権から脱した国、地域、人々から「自分発≒自分(たち)のための利益優先」という私権の価値軸から、「相手発・社会発→共認原理」へと移行していると言えます。
人と人との間にある同類圧力・評価圧力こそが活力を生む源泉であることに気付き始めた人たち。潮流の先端にいる人たちが、徐々に活力再生事業を形にしていっています。
社会には無限の課題群=期待があり、社会から受ける評価を受け止め、自らを研鑽するによって成果を高め、再び社会的期待に応えていくという無限の上昇ループを、活力再生事業なら描けるのです。
世の中のほとんどの企業が社会的事業に取組む時代がすぐそこまでやってきています。

List    投稿者 pipi38 | 2010-04-26 | Posted in 10.経済NEWS・その他3 Comments » 

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コメント3件

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