新しい潮流7 同類圧力は、新しい認識によって生み出される
人収束に留まっていた人たちも、私権原理が完全に崩壊し、社会のガタガタ状態がますます顕在化するにつれ、仲間内の馬鹿話ではまったく充足できなくなり、マジ話を中心とした認識仲間へと転換しつつあるわけですが、今後は、そんな人たちの為に、チンケな課題を越える為に、構造認識とより本格的な社会課題が必要になりそうですね。
さて、そういう人々が構造認識や課題に向かうモチベーションはどのようにして生まれるのかを考えて見ましょう。
極限時代の人類は圧倒的な不全状況の中で、集団が生き残るためにみんなが全身全霊を懸けて「課題」に向かっていました。どうしたら突破できるか、どこに可能性があるか、全員が探索を続けたのです。
社会がガタガタになっている現在、私たちはそのようなやる気=活力を再び取り戻すことができるでしょうか?
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私権社会で生きてきた人にとっては、「課題」といえば誰かから与えられる「試練」であったり、「苦しいもの」であったり、「がんばって乗り越えるもの」であるわけです。だからできることなら避けて通りたいし、誰かにパスしてしまいたくなるものだったわけです。それが上手な人が「世渡りのうまい人」などと評価されていました。
社会がどんどん閉塞していく現代では、それではうまくいかないことを、みんなが潜在思念で感じ取っています。でも答えが見つからないから「とりあえず人収束」となっています。ただの人収束からもう一段階ステップアップして認識追及という課題に向かうには、どうしたらいいのでしょう?
そのためにはまず、「課題」というものを捉えなおしてみればいいのです。
新しい潮流7 同類圧力は、新しい認識によって生み出される
生存圧力を克服したこれからの人類にとって、課題圧力とはもはや向こうからやってくる不全課題・不全圧力では在り得ない。今や、課題圧力とは同類圧力に他ならず、それは仲間充足がそうである様に、向こうからやってくる不全課題ではなく、自分たちで作り出す充足課題である。実際、皆でより充足できる(or鮮明なスッキリする)認識を作り出す過程は、可能性発の充足過程である。
また、同類圧力(意識生産or認識競争)の時代においては、新しい認識こそが真の実現態(の中核)となる。そして、本源収束・社会収束の可能性の実現態たる新しい認識によって、本来の同類圧力(=課題圧力)が初めて生み出される。そこでは、答え=新しい認識が豊かなほど同類圧力は上昇し、より充足度の高いまつりとなる。
この新しい認識が生み出す課題圧力=認識競争という同類圧力こそ、時代閉塞を突破する真の活力源である。
そして又新しい認識こそが、人と人をつなぐ真の紐帯となる。従って、新しい認識(=実現態)と同類圧力が豊かになるほど、充足度が上昇し、その創出と充足は、新しいまつりとなる。
残る不全=自我発の私権闘争は、日常的には放っておいても衰弱してゆき、本来の同類圧力(上記)の上昇によって、葬り去られる。(世界的には、放っておくと残り続けるが、時期が来れば始末される。)
この新しい認識→課題の誕生によって初めて、人収束は無為徒集のつながりから、認識の追及という課題を軸としたNWに脱皮する。
それは、ただの人収束=つながり・広がり欠乏が、真の社会収束(答え欠乏)へと脱皮する過程でもある。
○創造過程(上図左側の⇒)
今や、課題圧力とは同類圧力に他ならず、仲間充足がそうであるように、新しい認識を創造することは自分たちで作り出す充足課題である。
○拡大過程(上図右側の→)
新しい認識が提示されることにより充足度が上昇し、充足を求めてみんながまつり場に参加する。
現代の「課題」とは、自分たちで作り出す充足課題=活力源です。
ただの人つながりでは可能性がないと気づいた人たちが次に向かうのは、新しい認識の追及という課題であり、そこから新たな答え=可能性を見出すたびに人々は充足を取り戻すことができるのです。
次稿では、そこで必要な「新しい認識ってなに?」を考えます。お楽しみに。
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