シリーズ「活力再生需要を事業化する」7〜社会起業家の歴史・各国の状況
シリーズで発信している「活力再生事業を事業化する」
これまでは、
「活力再生需要を事業化する」〜活力源は、脱集団の『みんな期待』に応えること〜
シリーズ「活力再生需要を事業化する」2〜ワクワク活力再生!〜
シリーズ「活力再生需要を事業化する」3 〜老人ホームと保育園が同居する施設『江東園』〜
シリーズ「活力再生需要を事業化する」4〜企業活力再生コンサル〜
シリーズ「活力再生需要を事業化する」5 〜企業活力再生需要の核心は「次代を読む」〜
シリーズ「活力再生需要を事業化する」6 〜金融、ITビジネスはもはや古い?!新しいビジネス“社会的企業”〜
とお送りしてきました。
既存の枠組み・集団縄張意識から脱却して、社会にある潜在的な期待を発掘し、それに応えることで社会的評価が得られ活力が再生していく、その先端事例として紹介している「社会起業家」。
前回は日本における事例を紹介しましたが、今回は社会起業家発祥の歴史と海外での事例を紹介したいと思います。
↓続きを読む前に押して行って下さい。
◆1.社会起業家の発祥
社会起業家の発祥は、1980年代のイギリスあるいはアメリカであるとされており、国家による福祉政策の行き詰まりを背景に、国家に変って自立型の福祉システムを構築して行く存在として注目され、広がっていったといわれています。
このことについて詳しく紹介されている「るいネット」の投稿を以下に引用します。
「金融、ITビジネスはもはや古い?!新しいビジネス“社会的企業”(リンク)」という潮流があるようです。
そもそも、社会的企業を興す社会起業家とはいつ頃発祥したのか、(リンク)で紹介されていましたので、引用します。
(以下、引用)
○社会起業家の発祥
社会起業家の発祥は、1980年代のイギリスあるいはアメリカであるとされている。斉藤槙、町田洋次らは、社会起業家とう概念はイギリスにおいて、福祉国家に変わって自立型の福祉システムを構築していく存在、停滞した社会を活性化する存在として注目され、広がっていったとしている。一方、渡邊奈々の説では、「ソーシャル・アントレプレーナーの父」と呼ばれるビル・ドレインなどがさきがけとなり、1980年代初めに米国で生まれたコンセプトが社会起業家であるとしている。
アメリカでベンチャー・フィアンソロピーという社会福祉型ビジネスを支援する事業「アショカ財団」を創立したビル・ドレインの記事によれば、財団の基盤となるアイデアが生まれた背景は次の通りである。
18世紀末に英国で起こった産業革命が世界に広まって以降、社会は消費・経済活動を行う「消費セクター」と呼ばれる部分と、教育や公共福祉、さらに環境など「社会セクター」と呼ばれる部分に分断された。この「消費セクター」と呼ばれる部分では、競争が激化する一方で、起業精神も活発になる。生産性を高めた起業には、より多くの富が集まるようになった。しかし、消費セクターが力を強めれば強めるほど、税金に支えられてきた社会セクターは競争による進化と発展から取り残されてしまった。本来切り離されるべきではなかった、この「消費セクター」と「社会セクター」の断絶を取り除き、両セクターを融合すれば、各セクターの可能性は倍々に膨らんでいくはずなのである。
この「断絶されていた経済活動と社会活動を再び統合する」という試み、それが社会起業家の始まりである。人が生きるために必要な収入と、福祉や環境、生きがい。そういった今まで分離して考えられていたものを、始めから総合的に捉えていこうとすることが社会起業家の根源的発想であるといえる。
(引用おわり)
社会起業家は欧米が発祥の地であるようです。そしてその考え方は、社会不全の現在において社会事業への転換という意識であり、真っ当な方向であるように感じます。
(るいネットより)
ここで注目してほしいのが、
「断絶されていた経済活動と社会活動を再び統合する」という試み
という部分です。
人間が生きて行くうえで必要な営みである「生産」と「消費」。本来ならば一体であるはずのこの二つの営みが、利益追求第一の社会では、さまざまなところで分断されています。
その中でも、生産という部分を除外して国家の支援にもたれかかり、消費するだけとなってしまっている福祉や環境といった分野に対して、もう一度「生産」と「消費」を結びつけ統合するという試みが、「社会起業家」という言葉が意味する中身だと考えられます。
では、具体的にどのような試みが行われているのでしょうか?
海外の事例をいくつか紹介しながら、「社会起業家」というものの中身についての理解を深めていきたいと思います。
◆2.海外の事例
社会起業家の事例として、以下の2つを紹介したいと思います。
○ジェイミー・オリヴァーの給食革命(イギリス)
○1kg More!(中国)
○ジェイミー・オリヴァーの給食革命(イギリス)
2006年10月にWOWOWで放映された内容から紹介します。
イギリスの学校給食は、20年前に政府の管轄を離れ民間業者に委託されるようになって以来、質の低下が問題となっていた。その事に危機感を持っていたセレブレティ・シェフのジェイミー・オリヴァーは、「育ち盛りの子供達に健康的な食事を」と、給食改善の運動に取り組む事を決意する。
ヘルシーな給食作りの実践の場となったのは、ロンドン南都のキッドブルック中学校。栄養価の低いジャンクフードが中心という給食の実態を目の当たりにする。そうした食事が子供達の健康に与える悪影響を調べてショックを受け、自分で考えた栄養豊富な料理を給食に出そうと試みるジェイミー。
だが彼は、加工食品を温めるだけの作業に慣れた調理師からの反発、子供たちのジャンクフード嗜好と野菜嫌い、一食あたりわずか37ペンス(日本円で約80円)という少ないコストでのやりくりなど、数々の問題に直面する。
1975年に生まれ、16歳のころから本格的に料理の勉強を始めたジェイミー・オリヴァーは、1999年に出演したイギリスの料理番組をきっかけに人気を集め、この番組は日本を含む50カ国あまりで放送されました。
2002年にはロンドンにレストラン「fifteen」をオープン。このレストランは、家庭の問題や貧困・差別などが原因となり、学校や社会からドロップアウトして麻薬や犯罪に手を染めて、目的を無くした若者たちに、料理を教え社会復帰へのサポートをすることを目的としており、開店までのドキメンタリー番組も放映されました。
そんな彼が次に取り組んだのが、先に紹介した学校給食の改革だったのです。
この改革の中で彼は、給食室では料理の味を見ることもなくただ加工食品を温める作業に追われていた給食調理師に、人に食べてもらう料理の楽しさを実感させ、ジャンクフードが蔓延し、野菜の名前すら知らなかった子供達には、あの手この手で本物の味を体験させました。
そして、地区の校長全員を自分の店に招き、キッドブルック中学校で出している給食を出し、素晴らしい給食に驚いた校長達は、殆どが給食改善運動への参加に同意しました。
こうしてジェイミー・オリヴァーは、イギリスの給食環境を改善していったのです。
○1kg More!(中国)
「同情、哀れみ、施し、救済」という古典的な慈善活動の観念に基づいた、公的組織の支援活動には持続可能性は見えず、大きなストレスの中で、ボランティアの熱意と責任感によって支えられている仕組みを変えるために、公益活動と旅行を結びつけるというアイデアで、中国農村地域の教育環境の改善に取り組んだ、余志海という人の試みを紹介します。
中国農村地域における教育の発展状況は、非常に立ち遅れた状態である。教育設備は粗末で、学生の活動スペースは狭く、教員スタッフは常に不足している。目下、農村の小中学生数は約6600万で、小中学校数は40万ヶ所以上だが、教育環境やレベルが不揃いで、交通が不便な僻地では、学校と教員が不足しているために就学機会を失ったり、中途退学になったりする学生が数多くいる。行政は農村教育のために学費の減免や希望学校の創設、教育ボランティア支援活動などといった幾つかの政策を打ち出したが、それらの行為が体現しているのはやはり責任感と同情心であり、持続可能性が見えないのだ。そんな中、ある旅行好きな若者が状況を変えたいと願い、公益活動と旅行とを結びつけた。
余志海の思いついた公益旅行とは、あくまで旅行を中心とし、公益活動を加味したもので、旅行者がボランティアとして旅先での公益活動を行うという新型の旅行スタイルだ。旅行者は自分の荷物の中に、本や文房具などの一キロぐらいの子供たちへのプレゼントを入れ、道中や目的地の農村学校で配る。それが「1kg More!(1kg多く背負う)」の由来だ。
最初の公益旅行は物の支援が主体だったが、2004年8月に余志海が貴州省、広西省の旅で行った学校で、より必要としているのは物ではなく、外の世界との交流だと言うことに気付いた。地元の教師からも、確かに物も必要だが、より大切なのは外との情報交流で、それが足りないために、子供に想像力が育たないと指摘した。
そこで余志海は、公益旅行の仕組みを改めて考え始めた。そして物を贈るとともに、ボランティアが地元の学生と交流もできるようにした。たとえば、アイスブレーキングゲームをしたり、学生に写真撮影を教え、旅先で撮った写真を見せたり、授業を行ってノートパソコンで都市の風景を見せたりした。同時に、ボランティアは旅先で新たな学校の情報を集め、「1kg More!」事業の対象範囲を広めるようにした。旅行から帰った後、サイトに新しい情報を掲載してより多くのボランティアに伝え、支援活動に参加することを勧める。こうして、「1kg More!」のサイトは、ボランティア個人と学校とのマッチングプラットホームから、以下の「伝達-交流-分かち合い」の3ステップで、よい循環ができるプラットホームに発展した。
「伝達」- 出発の時、一キロ多く背負い、貧困地域の子供にプレゼントする。
「交流」- 旅先で、子供と対面し、交流することにより、互いに視野を広め、自信と想像力を刺激し合う。
「分かち合い」-旅を終えた後、サイトに学校の情報や写真、経験したことを報告。より多くの人に参考となる情報を提供する。
2007年に「1kg More!」は130回を超える公益旅行を行い、98ヶ所の援助が必要な学校を新たに発掘した。2004年から今までに、千人以上の人が「1kg More!」の事業に参加し、百万以上の人に影響が及んだ。現在、「1kg More!」に加入した学校は400ヶ所を超え、有名な観光地には湖南省鳳凰、広西省龍勝、貴州省黔東南、雲南省元陽、麗江、徳欽、四川省濾沽湖、丹巴、甘粛省郎木寺、甘南、チベットのラサ地域などがある。
3.まとめ
紹介した二つの事例は、生産と消費を結びつけ、持続可能な状況へと統合し直す、システム改革の試みであり、主に生産(供給)部分の改革から着手しているというのが特徴的ではないかと思います。
持続可能なシステムの構築と、生産者(供給者)の育成。
社会起業家が実践しようとしている中心的な中身がこの二つであり、今回のシリーズ「活力再生需要を事業化する」で扱っている内容と共通する部分だと思います。
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