2021-06-14

【エリート=ペテン師】私たちは騙され続けてきた。しかし今や、洗脳からの脱却が始まっている2

『日本を守るのに右も左もない』2012年10月08日「私たちは騙され続けてきた。しかし今や、洗脳からの脱却が始まっている」からの転載。

このように、私たち大衆は騙され続けてきた。
そして、それは現代に始まったことではなく、近代300年間に亙って騙され続けてきたのである。
金貸しが社会(国家)を支配する仕組みは、大衆を共認支配(洗脳)することであり、だからこそ近世以降、金貸しは大衆洗脳に力を注いできた。
大衆共認支配の中身は法制共認(支配)と観念共認(支配)の2つである。

法制支配を担っているのが官僚・警察・税務署・労基署等の国家機関であり、観念支配を担っているのが学者やマスコミで、その下で学校の教師が大衆を洗脳している。従って、法制支配と観念支配の頂点さえ押えれば、末端まで支配できるようになっている。
実際、ルネサンス以来、金貸しは数万人に1人の才能を発掘しては芸術家や学者や政治家として育て、また他方では諜報機関や大学や広宣機関(マスコミ)を作ってきた。今日では、諜報機関や司法機関をはじめとする官僚機構や議会、あるいは中央銀行や大学やマスコミの中枢は、そのような金貸しの手先たち=私権エリートによって占拠されている。

そして、彼らは一貫して、金貸しに都合の良い観念群を作り出し、学校とマスコミを通じて発信し続けている。その観念の代表が戦後教育を貫く個人主義や民主主義であり、金貸しにとってこれほど都合の良い認識はない。
実際(日本では150年前に)学校制度が始まって以降は、全国民が近代観念によって金貸しに都合良く洗脳されることになった。一律に観念教育を受けるようになると、観念回路が成長してゆく時期に植えつけられたこの一律の近代観念は社会共認となり、人々の意識を強く支配するに至る。
同時に、試験制度が末端にまで浸透し、その結果、試験エリート=統合階級という身分が不動のものとして確立されてきた。
これが近代社会の共認支配(洗脳)の仕組みである。

洗脳と言えば、ソ連を中国・北朝鮮などの共産圏諸国でのことだとイメージしがちだが、決してそうではない。むしろ、金貸し支配が強い先進国(資本主義国=市場社会)の方が共認支配は強く、かつ広汎に行われている。金貸し支配は共認支配に完全に依存しているからである。
この近代観念(騙し観念)による共認支配(洗脳)が成立する前提条件は、大衆が自我・私権に収束していることである。だからこそ自我・私権の正当化観念である民主主義が蔓延ったのである。
「民主主義の権化=マスコミは権力の手先である。つまり、民主派の正体は私権派ではないか」

ところが、’70年豊かさの実現以降、本能回帰・共認回帰の潮流が生起する。
本能回帰の潮流は、’70年代以降のヒッピーや環境運動を含む自然志向に始まり、’90年代の健康志向、’02年以降の節約志向(「もったいない」)と、どんどん広がってきた。
共認回帰の大潮流は、’70年代の仲間収束を皮切りに、’80年代には(私権追求に代わる)やりがい志向を顕在化させ、’90年代半ばには自我発の性欲を衰弱させて一気にセックスレスを蔓延させたが、’02年になると課題収束の潮流を顕現させて遂に遊び第一の価値観を終焉させた。
この本能回帰・共認回帰の潮流は、自我・私権に基づく騙し観念と対立するので、洗脳からの脱却を促してゆく。
加えて、’85年以降追い詰められた金貸しと私権エリートの暴走が始まり、’00年代に入って以降暴走は加速する一方である。それを見てきた大衆の間で、’11年原発災害を契機として、ついに、脱洗脳という意識潮流が顕在化したのである。
その一つの表れが、学生・生徒の勉強離れである。

これまで洗脳されてきた中身は近代観念(近代思想と近代科学)であり、それは学校で教えられる教科書の中身そのものである。つまり、脱洗脳とは脱教科書と同義であり、勉強離れとは教科書離れであり、それは脱洗脳の潜在思念に基づく意識潮流だからである。

List    投稿者 tasog | 2021-06-14 | Posted in 09.反金融支配の潮流No Comments » 

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