2011-04-05

大転換の予感「潮流1」:共認原理と私権原理

2011年3月11日 東北地方を襲った巨大地震とそれに伴う津波によって、関東から東北地方にかけて、壊滅的な被害を受けました。

さらに、こうした災害を「想定外」として設計されている原子力発電所の大事故によって、被害が今後どこまで拡大していくのか、全く先が見えない状況にあります。

しかし、どんな状況にあっても、私たちは可能性を探索することをあきらめてはいけませんし、あきらめなければ必ず道は開けると信じています。

このシリーズでは、震災のみならず、迷走する資本主義経済、あるいは近代社会から、日本が復興する道標になるべく、震災によってますます健在化していく新しい意識潮流に焦点を当てていきます。

改めて、東北関東大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

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左:不自由な避難所生活が続く中、体調を崩さないように軽い運動をする住民たち
右:避難所で出合った男の子に絵本を読んで聞かせる女子高生
(写真はこちらからお借りしました。)

日本の大地震について、海外のメディアでも大々的に報道されましたが、その中で、日本国民について驚くべきことのように伝えられた内容があります。

「略奪のような行為は驚くほど皆無なのです」

 まず、CNNテレビ(CNNのサイト)の12日夜のニュース番組が顕著だった。この番組では米国のスタジオにいるキャスターのウルフ・ブリッツアー記者と、宮城県・仙台地区にいるキュン・ラー記者とのやりとりが日本国民の態度を詳しく伝えていた。

 ブリッツアー記者が「災害を受けた地域で被災者が商店を略奪したり、暴動を起こしたりという暴力行為に走ることはありませんか」と質問する。ラー記者はそれに対し、以下のように答えた。

 「日本の被災地の住民たちは冷静で、自助努力と他者との調和を保ちながら、礼儀さえも守っています。共に助け合っていくという共同体の意識でしょうか。調和を大切にする日本社会の特徴でしょうか。そんな傾向が目立ちます」

 ブリッツアー記者が特に略奪について問うと、ラー記者の答えはさらに明確だった。

 「略奪のような行為は驚くほど皆無なのです。みんなが正直さや誠実さに駆られて機能しているという様子なのです」

 この日本からのラー記者の報告はCNNテレビで繰り返し放映された。日本人はこんな危機の状態でも冷静で沈着だというのである。明らかに日本人のそうした態度が美徳として報じられていた。その報道は全米向けだけでなく、世界各国に向けても放映された。

「JPpress」古森 義久氏のリポート より

阪神大震災のときも同様で、日本人は略奪どころか、右翼団体やヤクザまでもが復興に向けて全力を尽くしたことは、記憶に新しいです。

「困っている人がいたら助けてあげる」「相手がよろこんでくれたら、自分もうれしい」日本人にとっては当然であるこれらの意識は、実は、人種・民族に関係なく人類に普遍的だったものなのです。

人類500万年を貫く統合原理は、共認原理である。事実、人類は500万年に亘って課題を共認し、役割を共認し、あるいは規範や評価を共認して存続してきた。そして、個体(の意識)や集団や社会は、人々が、それらの共認内容に強く収束することによって、統合されてきた。又、そこでは、集団を破壊する自我や性闘争は、永い間、封印されてきた。
(注:この共認収束→共認統合を可能にした共認機能は、サル時代に形成された機能である。従って、正確にはこの共認原理は霊長類3000万年を貫く統合原理である。詳しくは、実現論・前史実現論1_4_01を参照。)

類ネット「潮流1」より

災害という混乱時に、略奪なんかしたら、ますます秩序が崩壊していくのは誰の目にも明らかです。だから、自分のことは後回しにしてでも、今はどういう状況にあるのか、みんなは何を求めているのか、自分(たち)は何をすべきなのか、を考えて行動する。これこそが共認原理であり、人類の統合様式なのです。

ところが、日本人にとっては当たり前のこの意識が、現在の欧米ではすっかり失われてしまっています。

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ハリケーン「カトリーナ」の被害を受けたニューオーリンズで、略奪行為に対処するルイジアナ州軍
(写真はこちらからお借りしました。)

「無法地帯と化したニューオーリンズ」

 米国のキャスターがこうした場合に「略奪」という言葉を出してくるには、それなりの理由がある。米国では同種の自然災害や人為的な騒動が生じた際に、必ずと言ってよいほど被災者側だとみられた人間集団による商店の略奪が起きるからだ。

 米国では2005年8月に、ハリケーン「カトリーナ」がルイジアナ州を襲った。最大の被害を受けたのが、同州の中心都市ニューオーリンズ市である。

 当局の指示でニューオーリンズからは住民の大多数が市外へと避難した。だが、市内中心部にとどまった一部の人たちが付近の商店へ押し入り、商品の数々を略奪していった。その破壊や盗みの光景はテレビにも映され、全米に流された。

 その他、人種暴動や台風などの際にも、商店街から住民が避難すると、無人となった商店への押し入りや商品の強奪がよく起きるのだった。だから、こんな大規模な天災と住民避難があった日本ではどうなのか、という疑問が起きるのは、ごく自然のことと言えた。

 実際、ニューオーリンズでの状況は衝撃的だった。

 広大なスーパーマーケットに侵入して、食物や飲料を片端からカートに投げ込んで走り去る青年。ドアの破れた薬局から医薬品を山のように盗んでカゴに下げ、水浸しの街路を歩いていく中年女性。テレビやラジオなどの電気製品を肩にかついで逃げていく中年男性。色とりどりの衣類を腕いっぱいに抱え、笑顔を見せ、走っていく少女。何かの商品を入れた箱を引っ張り、誇らしげに片手を宙に高々と突き出す少年・・・。

 みな他人の財産を奪い、盗んでいるのだった。日本の古い表現を使うならば「火事場泥棒」だった。

「JPpress」古森 義久氏のリポート より

いつから、欧米人は変わってしまったのでしょうか。

「潮流1」の続きを引用します。

1万数千年前頃から人口が増大し始め、それにつれて集団間の軋轢も増大してゆく。やがて、その緊張状況に対応して、人々は自集団を正当化する守護神信仰に強く収束してゆく。こうして集団的自我が発現し、永い封印が解かれてゆく。そして遂に6000年前頃、乾燥と飢餓を契機として略奪闘争が開始され、玉突き的に世界中に伝播していった。こうして、5000年前頃には、人類最初の武力支配国家が成立する。(注:日本は1800年前頃で、はるかに遅い=権力支配の期間が短い。)

力の原理に貫かれたこの社会は、序列原理によって統合される。それが身分制度である。この力の序列原理は、性闘争を止揚する統合原理で、哺乳類やサルに一般に見られる統合様式である。しかし、人類社会は、力の原理だけで統合される訳ではない。力の序列は極めて不安定であり、すぐに崩壊する。人類社会は、人々が力の序列を共認し、それを言葉化した「身分」を共認することによって、はじめて安定的に統合される。つまり、この社会は、力の原理を追共認することによって秩序化されている。

この序列社会では、当然、力に応じた私権(私有権)が共認される。そして、私有権が共認されると、社会の全ての物財は(女も含めて)悉く私有の対象となり、人々は私権を確保しなければ生きてゆけなくなる。つまり、私権の共認は、否も応もない私権の強制圧力を生み出し、万人を私権追求の主体に改造してゆく。
実際、この序列社会の活力源は、女や財や身分を追い求める私権欠乏であり、誰もが私権を求めて争う私権闘争である。
従って、序列統合の社会は、誰もが私権(の獲得)に収束することによって統合された、私権統合の社会であると云い換えることもできる。

略奪闘争(=戦争)が始まったことによって、「私権を確保しなければ生きてゆけない」という状況に追い込まれた人類は、誰もが私権の獲得を第一に考えるようになりました。この自分第一である「私権統合」は、自分も相手もみんな一緒の「共認統合」とは相容れず、略奪闘争の伝播に伴い世界中が私権統合の社会へと変質していきました。

もちろん、日本も例外ではありませんが、極東の僻地のさらに島国である日本は、幸いにもあまり激しい略奪闘争を経験しておらず、本源的な縄文体質を色濃く残しています。

共認原理を色濃く残している日本と、私権統合に完全に収束した欧米人。この違いが、震災時の人々の行動に現れているのです。

欧米人の略奪性の高さ、自我の強さについては、先日(3/13)の第123回なんでや劇場「欧米人の、侵略性と支配志向と観念収束の成立構造」で扱いました。

詳しくは、議事録を参照ください。

3/13なんでや劇場議事録
(1) 牧畜によって何が変わったのか?
(2) 遊牧によって何が変わったのか?
(3) 交易によって何が変わったのか?
(4) 略奪集団であるが故に自我の塊になった西洋人
(5) 西洋人の精神構造と異常な性意識

今回は、日本賛美の記事になりましたが、私権統合への変質は、日本も例外ではありません。統合階級を中心に、日本も奈良時代以降は立派な序列統合社会=私権統合社会になっており、欧米社会の制度を「近代化」を旗印に取り入れた明治以降は、急速に私権統合社会へ転換していきました。

今回の震災やとりわけ原発事故に対する、政府、原子力保安院、東電、学者、マスコミの対応も、己や組織の保身しか考えていない私権統合そのものであり、自然災害を原発事故という人災に被害を拡大したのは、この国を支配してきた官僚統制中央集権政治そのものです。

次回は、共認原理という人類の可能性に蓋をしている、私権統合・序列制度について、戦後の日本を中心に見ていきます。

List    投稿者 watami | 2011-04-05 | Posted in 09.反金融支配の潮流2 Comments » 

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コメント2件

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