2010-11-05

’70年貧困の消滅で、市場は縮小過程に入った−その10「江戸時代にヒントがある?」

 前回、自給自足社会経済が実現すれば、メジャー支配(=金貸し金主支配)から脱却できるか?というテーマを扱いましたが、今の世の中見渡してみても自給自足できている国なんて、アフリカ未開部族ぐらいしか思いつきません。 🙄
 例えばマサイ族の人々も、一度文明に触れるや否や、あっという間に市場社会に組み込まれ工業製品が流入してきます。
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↑マサイの人たちも皆さん携帯大好きです
 画像は、マンボ アフリカ様よりお借りしました。
 そして市場社会に組み込まれてしまうと、悲しいかな後進国は先進国に半永久的に搾取され続ける存在になってしまうのです。また先進国も大量生産、大量消費により、膨大な廃棄物の処理に頭を悩ますという自己矛盾に陥ってしまうのでした。
 ところで、電気自体の普及が悪いマサイ族は携帯の充電どうやっているのだろう?という疑問を残しつつ、続きは ポチ ポチ ポチッと応援してからどうぞ。
    

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 日本は資源の少ない国です。原料はほとんど海外からの輸入によって賄っています。それらを加工して工業製品として輸出することにより発展してきました。
 しかし食料事情はというと、農水省は、「日本の食料自給率は低い」「世界的食糧危機が将来やって来るから、日本は食料自給率を高めて備えなければならない」「日本の農業は弱く、保護しなければ崩壊してしまう」…等々、念仏のように唱え、我々を洗脳してきました。
 一方で農産物の輸入自由化により大手穀物メジャー(カギール等)が進出し、安価な海外産農産物が輸入されたことにより、競争力の低い国内農業では廃業や付加価値の高い品種への移行、減反政策などが行われることになったのです。
 それでも食料自給率は現在、カロリーベースでは40%ですが、生産高では66%であり、農業生産額は約8兆円で、世界第5位なのです。
 ということは、郊外にマンションやショッピングセンターを作るのを止めて、農地と農業従事者の育成に金をかければ自給自足も夢ではない。現に江戸時代は鎖国(一部の貿易はやっていたが)により、国内での自給自足、循環型社会は実現できていたのだから。
 そのような古き良き時代に思いを馳せ、回帰するのは日本人の潜在思念で捉えた『半答え』であると感じているからではないでしょうか。それに関連するるいネットの秀作投稿を紹介します。
市場主義の行き詰まりに日本人は江戸を想う

 外国人記者が見た最近の日本。人々の意識は江戸時代へと回帰しているらしい。その感覚は自身を振り返っても理解できる。むしろ、ミスター円や、この記者に会った日本人の多くがその感覚であることに驚く。
 みんなそうなのか?
 もう欧米が示すモデルに答えはない、と潜在思念が捉えているということか。
 でも、この外国人記者には理解出来ない。バカにしている感じが匂う。
フン、未だ市場絶対資本主義にさらなる飛躍が有るはずだと思っているようなアホには解るまい。
フィナンシャルタイムスより
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イノセントな昔をなつかしむ日本  アジア編集長デビッド・ピリング
 経済の惨状を目の当たりにしながら世界各国は、このような事態を二度と引き起こさないには何をどうしたらいいのか考えている。市場資本主義を活気づける創造的な天使たちを自由に解き放ちつつも、破壊と混乱をもたらす地獄の番犬たちは好き勝手させないよう閉じ込めておくには、いったいどうしたらいいのか? 世界各国ではそうなのだが、一方の日本ではむしろ過去を振り返ろうという人の方が多い。
 このほど東京を訪れた私は、会う人会う人に、日本は経済危機にどう取り組むべきか質問していった。そしてそのたびに、質問した相手はまるで忍者のような素早さで、明治以前の日本について言及するのだった。19世紀半ばにアメリカの軍艦によって無理やり開国させられる前の日本は、まるでアダムとイブがエデンを追われる前のような、原罪なきのどかな時代だったと言わんばかりに。当時の日本はまだ、世界の中で生きるためにゴリゴリ薄汚く働かなくてもよかったのだと、そう言うのだ。
 「ミスター円」と呼ばれ続ける榊原英資・元大蔵省(現・財務省)財務官は、明治以前の日本は平和で整然としていて、手つかずの、人懐っこい国だったと言い、そういう国に立ち返るべきだと話す。
 また、経済政策について質問した民主党の「次の内閣」閣僚は、江戸時代の日本は輸入量がほとんどゼロだったと言及(江戸時代の日本はほとんど200年間、出入国を事実上禁止していたのだから、輸入量ゼロは驚くに値しないのだが)。この政治家によると、日本が輸出を始めたのはただひたすら、国を守るために軍隊を築き上げる必要があったからで、それ以外の理由はなかったという。そしてその決断のせいで日本はこんにちのような、工業製品を海外消費者に売ることで成り立っている、過剰なまでに輸出依存型の国になってしまったのだと。
 一年の半分を日本で過ごす、コロンビア大学のベテラン学者、ジェリー・カーティス教授によると、今の日本には確かに危機感よりも、昔を懐かしむ強いノスタルジアのにおいがたちこめているという。
 「インテリの多くはアメリカを丸ごと拒否しはじめている。ネオリベラルな自由市場資本主義をそっくりそのまま鵜呑みにしていた人でさえ、もうアメリカはいらないと言い始めた。今の日本では、いかに日本の過去が素晴らしいかを語り合うのが、言論の主流になりつつある」

 江戸時代のすばらしい知恵の一例を紹介します。 😉

平成20年版環境・循環型社会白書 総説2 循環型社会の構築に向け転換期を迎えた世界と我が国の取組より以下抜粋引用
 我が国の歴史を振り返ると、かつて他の国や地域でもみられたように、人々は物の利用についていわゆる「もったいない」の精神と「清潔」にしたいという気持ちが自然と調和した社会を形成していました。これを、本白書では「原始循環型社会」と呼び、検証を加えます。
(1)江戸の衛生的な循環システム
 江戸の都市は、世界に類をみない衛生的な都市であったとされます。稲作を基調とした社会システムの中で、し尿や生ごみといった有機物が農村で肥料として土に還り、都市に残ることがなかったことがその理由とされます。
 近世ヨーロッパの都市ではし尿の処理に有効な手段がとれずペストやコレラといった伝染病が猛威をふるいましたが、このような伝染病の発生は、日本では、病原体の媒介となりうるし尿等が放置されずに有効活用されていたために、比較的少なかったようです。
安全で衛生的な日本の肥だめ
し尿の値段
下肥の利用
(2)ごみの適正処理システム
 現代に通じる江戸時代の廃棄物処理の代表的な例として、幕府が公認した請負人が、廃棄物を収集・運搬して、最終処分地まで運んで処分するシステムが上げられます。
 こうしたごみの適正処理システムを構築していくことが、循環型社会を形成する上で前提となります。
江戸時代と人々の取組1
江戸時代と人々の取組2

 鎖国とは実際には孤立しているわけではなく、外交だけでなく貿易の権限を徳川幕府が制限・管理した体制であり、キリスト教(主にカトリック)や植民地化の脅威に対する積極的な政策だったと思われます。

鎖国とは自給自足の裏返しであり、勤勉、労働に根ざしている
 鎖国とは自給できていたことの裏返しであり、外国からの輸入に頼らない徹底した自給システムである。
 これが可能になったのは中国からの思想にも拠るが、中世に日本が貿易で大きな失敗していることに学び、自給システムを構築することで国力を蓄えた江戸の知恵である。また、幸運にもこの時期に佐渡等の地方で多くの金属が発見され、金属の自給できたこともそれを可能にした下地であった。
 日本は決して資源が少ない国ではないが、労働という資源を最大限活かし、再利用というシステムをまだ科学技術が低い時代に成立させていた。
 ペリーが日本に通商を求めた際に応対した林大学頭は「わが国には何でもある。したがって何もいらないので帰ってください」と応えたという。
日本は「鎖国」をしていたのではない。海外へあえて出て行く必要がなかっただけである。

江戸時の「リサイクル」は消費者の知恵ではなく生産者の知恵
 最近、江戸時代が循環型社会のモデルとして注目され、灰や人糞を肥料として再利用していたとか、ものを修繕して大切に使っていたなどの例が引き合いに出されます。ところがこれらは生産に従事していた町人や農民の知恵・工夫であって、消費の主役である特権階級の所為ではありません。
 もし江戸時代に学ぶのであれば、代償充足の場ではない生産と闘争の場にこそ知恵と工夫が生まれていたということだと思います。現実の課題に置き換えるなら、消費市場に身を置いて(消費者の奴隷として)閉塞している生産者自身が、旧パラダイム(代償充足の共認域)を脱して現実に向き合うことです。これはあらゆる生産(モノ、サービス、認識etc・・・)にかかわる人への期待でもあると感じます。

3R循環型社会は、江戸時代の循環型社会ではない
 石油などの資源の利用を抑えるために、モノを市場の中で循環させようとするもの。 『自然へ還す』ということを介さない。
 ※市場の中で循環させるということは、モノに伴い、利益も発生するということ。つまり、そこには常に「如何にしてお金を生み出すか(儲けるか)」が念頭にある。
 今言われている循環型社会が成立しても、自然破壊→滅亡を免れた江戸時代の循環型社会のようには、決してならない。

 江戸時代の循環型社会は、現在のダマシの循環型社会とは前提条件、成立過程から見ても似て非なるものであり、そのシステムが現実に実現していたことこそが重要なのである。 😮

市場主義の行き詰まりに日本人は江戸を想う からの引用の続き
 経済危機を機に、(明治時代にさかのぼらないまでも)戦後日本の三つの柱に対する評価が、大きく塗り替えられている。
 一つ目は政治だ。(わずか10カ月の空白をのぞいて)過去半世紀にわたり日本を統治し続けた自由民主党の死は、あらかじめ予言されていたに等しい。これまでも何度か危篤状態に陥っては息を吹き返してきた自民党だが、今度こそいよいよ臨終を迎えようとしている様子だ。信頼できる政策がない、しかも特に信頼できる経済政策をもたないというのが、自民党が抱える問題の一部だ。自民党がまるで王族よろしく自分たちは権力を握っていて当然だといわんばかりにふるまっている姿を(二世や三世の世襲議員が異常なほど多いのが、その象徴だ)、国民が怒っていることも、自民党の問題の一部だ。政治システムをぶっ壊したはずの、過激なアウトサイダーだったはずの小泉純一郎氏でさえ、自分の議席を息子に譲ったばかりなのだ。対照的に野党・民主党は(世襲議員もそれなりにいるが)若きテクノクラートであふれている。遅くとも9月までには行われる次の総選挙では、民主党が勝つだろう。
 日本の言論界がいまさかんに攻撃している、戦後日本のもうひとつの大黒柱は、官僚システムだ。かつては「奇跡の経済復興を主導した、無私無欲で優秀きわまりない日本の官僚」と称えられていた世間における役人のイメージは地に堕ちてしまった。今や世間的イメージでいう官僚とは、私利私欲に走る強欲なエリートで、政策失敗を専門とし、楽で実入りのいい天下りポストを自分にごほうびとしてあげることに汲々としている連中のことになってしまった。
 崩れつつある三つ目の柱は、戦後の経済モデルそのものだ。今の日本では、戦後経済の礎となった製造業重視を弱めて、農業重視への転換がさかんに主張されている。たとえば世界は二度とかつてのような消費レベルを回復しないだろうと考える榊原氏は、製造業を主力とする日本はおそらくこの経済危機で最も苦しむだろうと指摘しているのだ。
 日本の農業は手厚い保護政策で守られているというのが、一般的な見方だ。けれども日本人は、カロリーベースの食料自給率が40%でしかないことを心配している。民主党は農家補助の大規模拡大や戸別農家主体の農業の産業化推進を主張しており、榊原氏はこれを支持。榊原氏はさらにトヨタ自動車に対しても、自動車産業は今や斜陽産業なのだから、トヨタのエンジニアを使って農業の効率改善に取り組むべきだと説得を試みてきた。「ジャストインタイム方式」で作られたニンジンの時代がまもなくやって来るかもしれない。
 世界は今、金融メルトダウンに必死で取り組んでいるし、日本の製造業は受注減の衝撃にさらされている。そういう状況でこうやって日本国内で、のどかな農業社会の幸せや明治以前の古き良き日本についてさかんに取りざたされている様子は、いささかシュールではある。つまりそこからうかがえるのは、これぞというアイディアを懸命に探し求めている国の姿だ。そういう状況だからこそ、半世紀目にして自民党を破る絶好のチャンスが、野党にも巡ってきたと言える。しかしもしも日本の国民が選挙で新しい政権を選ぶとしたら、それは何か新しいものを求めてというよりも、もっと古いものを求めてそうするのかもしれない。
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封建制が近代市場社会を生んだ3(商業権力を制御した江戸システムの可能性)
 織田信長の時代や初期江戸幕府は商工業者を優遇したことが認められるが、後期になるとかなり制限を加えていく。(徳政令は国家権力が商業権力をコントロールしていた証ではないか。その意味で、江戸幕府は武士の反乱をも押えつつ、他方で商業権力の暴走をも食い止めるという、強権的ではないが中央集権的な極めて高度な統治システムを実現していたといえるのかもしれない)そして明治政府以降の動きは金貸しの暗躍を認めた面があるとはいえ、国家官僚主導で日本経済は伸張していった。

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 明治以降、戦後の復興を経て、日本経済は市場社会によって豊かさを実現しました。
しかし市場が縮小過程に入り、余った金がバクチ市場に回れば必ずバブル化します。そしてバブルは必ず崩壊するのです。つまり市場社会の狭い枠組みの中で、答えを出そうとしても結果は同じ、破綻→滅亡に向かうことに変わりはありません。
 江戸時代の鎖国経済モデルこそが、市場縮小という現実を突破する一つの答えなのではないのだろうか。 🙄

08年年末なんで屋劇場「金融危機と意識潮流の変化」ノート4:突破口は鎖国経済モデル
 このようなある種の鎖国経済モデルは、環境面では循環型社会の実現でもある。日本は江戸時代、既に鎖国経済モデル=循環型社会を実現したことがある。従って決して実現不可能なモデルではない。むしろ鎖国状況にありながら江戸は当時最先端都市であったことを考えると、鎖国経済モデルは、現在の閉塞したグローバル経済モデルの突破口として世界を牽引していける可能性もある。

 次回は、このシリーズの最終回です。
 市場が縮小し、余った金は何に使われる(生かされる)べきなのか?人々の意識はどこへ向かっているのか?市場社会を突き抜けて、今や旧くなってしまった社会を解体、再統合する新しい認識(可能性収束先)についてまとめててたいと思います。 8)

List    投稿者 mtup | 2010-11-05 | Posted in 09.反金融支配の潮流2 Comments » 

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コメント2件

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