2020-02-25

国際情勢の大変動を見抜く!-53~湾岸戦争は世界のワン・ワールド化の機会とされた~

 

湾岸戦争

 

湾岸戦争は金貸しの世界戦略:世界統一政府樹立が公言された戦争とのこと。

当ブログでは、ドルを基軸通貨から引き摺り下ろそうとするイラク:フセイン(背後にロシア)を打倒する戦争(世界を動かす11の原理-5~ドルを基軸通貨の地位から引き摺り下ろす動きが加速~)との捉え方をしていましたが、実はもっと深い裏があったようです。

内容を見ていくと、パパブッシュが「湾岸戦争は新世界秩序という長く待たれた約束を果たすための機会を提供したと明言した」との事実からも、真の目的がワン・ワールド=世界統一政府の樹立が伺われる。

また、「国際干渉主義外交」と称し、「東欧カラー革命」や「アラブの春」など、その後次々と他国の政治に関与し、「民主主義」と称して傀儡政権を作っていったことからも明らか。

 

但し、今の状況を見ると、このころからネオコンの焦りが見える。なりふり構わない国際干渉は、それまで秘密裡にすすめられていた策略が、今では多くの人々に見抜かれている。

そういう意味では湾岸戦争の頃から、ネオコンの衰退がはじまった。

 

『知ってはいけない現代史の正体』(馬渕睦夫 著)からの紹介です。

 

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■1991年 湾岸戦争

 

◇通説   :イラクのクウェート侵攻に対し多国籍軍が派遣された。

◇歴史の真相:湾岸戦争は世界のワン・ワールド化の機会とされた。

 

●世界の戦争に関与するネオコンの意図

まず、ネオコンとは何かということを説明しておきましょう。1960年代にアメリカで勢力を伸ばし始めたのが「ネオコン=ネオコンサバティズム」です。日本では「新保守主義」と訳されます。

 

ネオコンもまた、国際金融資本家の流れをくむ一派です。ネオコンの元祖の一人とされるノーマン・ボドレツという政治学者は「ネオコンは、元々左翼でリベラルな人々が保守に鞍替えしたから”ネオ”なのだ」と言っています。しかし、この説明は正しくありません。保守に鞍替えしたのではなく、新保守を自称しているだけです。新保守を名乗ることによって、正体を隠しているといえます。ネオコンの正体を知る一例として、アメリカの高名なジャーナリストと言われているウォルター・リップマンを取り上げます。彼もネオコンの一人でした。実は、リップマンはウィルソン大統領の側近として活躍したころ(1910年代後半)は社会主義者でしたが、後にリベラリストになり晩年はネオコンになったのです。あたかも、左翼から右翼へ遍歴したように見えますが、そうではなく社会主義者もリベラリストもネオコンも共通項は国際主義なのです。つまり、ネオコンの本質は国際主義であり、社会主義(共産主義)と同じイデオロギーを信奉しているのです。このようなリップマンの思想遍歴は、以下に見るように、ネオコンの歴史と重なります。

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ネオコンの元々の思想は「社会主義を広げて世界から国境をなくし、ワン・ワールドにすること」、つまり「世界統一政府の樹立」です。1917年のロシア革命を推進したレフ・トロツキーの思想ですが、トロツキーは一国社会主義を唱えるスターリンによって追放され、亡命先のメキシコで暗殺されました。この思想を受け継ぐトロツキリスト達は第二次世界大戦の後、アメリカ社会党の民主党への統合を主導しながら「社会主義」の看板を下ろして「自由と民主主義」に付け替えます。そして自らを“進歩主義者”と称してリベラリズムの概念を発信し始めました。

 

戦後、「ワン・ワールドこそ正義だ」とするグローバリズム拡散の中心的拠点となっていたのが「プロレタリアのハーバード」と呼ばれていたニューヨーク市立大学シティ・カレッジです。ハーバードを始めとするアイビー・リーグの私立大学がユダヤ系アメリカ人や有色人種にとって排他的な入試を実施していたのに対し、ニューヨーク市立大学は広く門戸を開いていました。

 

ブルックリンのユダヤ系の若者の多くがニューヨーク市立大学に進学し、コロンビア大学で学び、社会学者や政治学者、法律学者、文芸評論家、そしてマスコミ人などの社会の中核に進出していきました。いわゆる「ニューヨーク知識人」の誕生です。知識人の代名詞がリベラリストであったわけです。

 

進歩主義者からニューヨーク知識陣(リベラリスト)にレッテルを張り替えた人々はアメリカ社会の隅々に浸透し、その中でも民主党左派系のタカ派が1960年頃から「ネオコン」と呼ばれるようになっていきました。その後、ケネディ大統領のソ連に対する融和政策に反発して、共和党に鞍替えしたのです。

 

ネオコンの進出が特に目立ったのが、アメリカの軍事と外交です。ネオコンは「自由民主主義は人類普遍の価値観である」とのスローガンの下で国際干渉主義外交を推進し、ジョンソン政権以降、世界の戦争に次々と関与していくことになります。

 

●新世界秩序の樹立へ向けて

ネオコンの「戦争への関与」戦略は東西冷戦終了後も受け継がれました。その手始めになったのが、1991年1月17日にアメリカを中心とする多国籍軍がイラクを空爆した「湾岸戦争」です。

 

湾岸戦争は国際金融勢力の世界戦略が公言された戦争ともいえます。当時の米大統領はパパ・ブッシュです。ブッシュ大統領は、イラク軍のクウェート侵攻の直後に議会で演説して、国連の下での国際協力による新世界秩序が生まれようとしていると述べましたが、この世界秩序こそ世界のワン・ワールド化のことを意味しています。引き続きブッシュ大統領は1991年の年頭教書演説において、湾岸戦争は新世界秩序という長く待たれた約束を果たすための機会を提供したと明言しました。「長く待たれた世界秩序」との言及ぶりに、国際金融勢力のワン・ワールド構想がいよいよ実現に向かって動き出したとの高揚感を感じます。さらに、

 

「問題はクウェートという小国にあるのではなく、危機に瀕しているのは新しい世界秩序である」

「全世界で米国のみが高いモラルを持ち、それを実現に移せるだけの力を備えているのだ」と高らかに宣言しました。

 

ブッシュ大統領は、湾岸戦争の目的が第二・第三のフセインの出現を防ぐことにあることを明らかにしました。つまり、新世界秩序の実現のために、関与するのは戦争ばかりでなく、他国の政治体制にもアメリカは積極的に関与する、ということです。後に述べますが、「東欧カラー革命」や「アラブの春」を予言する演説でした。

 

ところで、湾岸戦争もアメリカがイラクのフセイン大統領にクウェート侵攻の餌を蒔いた戦争でした。当時のイラクは長年にわたるイランとの戦争の結果、戦費などの融資をクウェートに頼っていました。しかし、クウェートとの間で石油利権や融資の返済などを巡り軋轢が生じ、クウェートとの国境沿いにイラク軍が集結する事態となっていました。この時イラクに駐在するグラスピー・アメリカ大使はフセイン大統領に対し、アメリカはイラクとクウェートの国境問題には感心が無いと伝達しました。この会談のすぐ後にイラクがクウェートに侵攻して占領し、多国籍軍の軍事攻撃に至るのです。

List    投稿者 tasog | 2020-02-25 | Posted in 未分類 | No Comments » 

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