2020-02-21

国際情勢の大変動を見抜く!-52~金貸しがゴルバチョフ、エリツィンを支援しソ連を解体した~

 

ソ連崩壊

「金貸しがゴルバチョフ、エリツィンを支援しソ連を解体した」ということは結構有名な話で、その目的は、用済みになったソ連を解体して新自由主義の国に移行させることとのこと。

そして詳細に書かれている「その後のロシアの動き」については結構興味深い内容です。

 

IMFによる民営化政策誘導お決まり路線として、バウチャー方式導入が天然資源の海外流出につながったということは押さえていなかった。

民営化やバウチャー方式等縁が無かったロシア国民を半ば騙して、安値で大量のバウチャーを買い取った企業が大儲けをした。その一つの企業が銀行。

彼らは国家に金を貸して、その担保だった天然資源の国営企業を(国家が金を返せるはずもなく)手に入れた。当ブログ『金貸しは国家を相手に金を貸す』の通り。

最初から仕組まれていたこと。

 

もう一つ。金貸しは共産主義体制が崩壊させるなか、中国だけはその体制を維持している。

これは、中国にはロシアのような天然資源はないが、安価な労働力に目を付けたから。

 

「労働者を効率よく管理すること」

「工場用地を迅速に用意して整備すること」

「工場廃液などによる環境汚染を社会問題化しないこと」

など、スムーズに工場を稼働させるには、民営化経済体制よりも中国共産党の独裁体制が役に立った

とのこと。なるほど。

 

『知ってはいけない現代史の正体』(馬渕睦夫 著)からの紹介です。

*************************************

■1990~91年 ソ連崩壊

 

◇通説   :独立国家共同体の成立によりソ連は存在意義を喪失した。

◇歴史の真相:国際主義者がゴルバチョフ、エリツィンを支援しソ連を解体した。

 

●敵国ソ連を必要としなくなったアメリカ

 

1991年8月、連邦維持を主張する保守派のクーデターはあったものの失敗し、ウクライナやアゼルバイジャンなど殆どの共和国が連邦から離脱、ソ連共産党も解散します。同年12月、ボリス・エリツィンを大統領(7月に就任)とするロシア連邦つまり旧ソ連のロシア共和国を中心に、ウクライナやベラルーシなどの11の共和国が独立国家共同体(CIS)を結成したことでソ連は解体、ということになりました。

 

崩壊の前年、1990年3月にミハエル・ゴルバチョフが、ソ連で最初で最後の大統領に就任しています。最初で最後というのは、その前月に共産党が一党独裁を放棄したからで、「ソ連の大統領」は歴史上ゴルバチョフただ一人です。

 

ゴルバチョフは偶然出てきたわけではありません。退陣後、ゴルバチョフはソ連崩壊の直後に、ゴルバチョフ財団と呼ばれる国際社会経済・政治研究基金を作りました。「世界統一政府を作ろう」と呼びかけて活動しています。ソ連のような独裁国のトップだった人物が、自らの意志だけでNGO活動することは通常あり得ません。世界統一を目指す国際金融勢力がゴルバチョフを支援していたことは間違いないでしょう。

にほんブログ村 経済ブログへ

エリツィン時代、アメリカなどの金融資本家たちは念願の天然資源の利権を手に入れました。一方アメリカでは、新自由主義者たちが政権を牛耳っていました。新自由主義とは、資本主義の下での自由競争を徹底的に重視する考え方のことです。新自由主義者は政府の民間への介入に強く反対します。この新自由主義によって格差社会が生まれ、金融勢力にとってはますます国民からの搾取がしやすい状況となりました。

 

つまり、新自由主義の下で世界を統一するためには、ソ連という敵国が必要なくなりました。ソ連崩壊とは、用済みになったソ連を解体して新自由主義の国に移行させることでした。ゴルバチョフの使命は、この移行をスムーズに進める土壌を整備することにあったと考えられます

 

●新生ロシアに乗り込んだアメリカの新自由主義者

 

ソ連崩壊後のロシアに、アメリカの新自由主義者が乗り込みました。ハーバード大学のジェフリー・サックス経済学教授をヘッドとする市場民営化チームです。

 

このチームが実践したのが「ショック療法」です。強権的に市場経済原理を導入しました。その結果、ロシアの物価は「市場価格」を反映して急激に高騰し、インフレ率80倍のハイパー・インフレーションになりました。ロシア国民はパンなどの生活基本物資さえ購入が困難になりました。日本でも支援運動が起こりましたが、カップラーメンを送ったのはいいが湯を沸かすガスが不足していて食べられないなどという、笑うに笑えない事態も起こりました。

 

ロシア政府は国家財政立て直しのためにIMF(国際通貨基金)の支援を仰がざるを得ませんでした。IMFの処方箋は、民営化請負国際金融機関と揶揄したくなるほど民営化一本やりです。ロシアの、共産主義経済から市場経済への移行という実験場はIMFいとって、まさしく腕の見せ所でした。しかし、結果的に、ショック療法とIMFの民営化処方箋は大失敗に終わります。

 

もう一つの大失敗があります。国営企業の民営化を実現するための「バウチャー方式」と呼ばれる政策です。バウチャーとは一種の「民営化証券」のことで、これを集めて企業立ち上げの資金にするか、あるいはバウチャーで民間企業の株を買え、という政策です。

 

共産主義社会に生きてきたロシアの人々には民営化の意味を理解できませんでした。結局、一部の人間がバウチャー方式の不備を悪用して、無知な所有者から安値でバウチャーを買い集め、企業を立ち上げます。ロシアの民間企業や銀行はこうして育っていきました。

 

バウチャー方式を活用して生まれたロシアの民間銀行形は、財政赤字に悩む政府に対して融資を申し出ます。政府に融資することこそ、大金融資本家を生むメカニズムです。ロシア政府は二つ返事で融資を受け入れますが、その担保として取られたのが天然資源の国営企業でした。ロシア政府は借りた金を返せません。こうしてロシアの石油や鉱物資源などが民間銀行家の所有となっていったのです。

 

●エリツィン大統領は国内不人気・欧米大人気

 

政府に金を貸し、国営企業を手に入れた銀行家たちは、新興財閥としてロシアの経済社会の様々な分野を支配することになります。この新興財閥が「オルガルヒ」です。ロシア政治の実質的な支配者です。

 

かつては民主化の旗手として名声をほしいままにしたエリツィン大統領は、オルガルヒの言うがままになりました。国民の反発を買い、支持率はなんと0.5パーセントまで落ち込みました。

 

ロシア国民からは見放されましたが、エリツィン大統領の欧米での人気には根強いものがありました。当たり前です。ロシア経済とりわけ天然資源国有企業の民営化を実現して、欧米がロシアの天然資源を奪取する道を開いていたからです。

 

天然資源を掌握するロシアの民間財閥は出来上がりました。次のステップは、欧米資本とロシア資本の合弁や合併、提携です。このような状況の中でエリツィンを引き継いで2000年にロシアの大統領となり、この流れを押し止めたのが、ウラジミール・プーチンだった、というわけです。

 

●一党独裁が残った中国

 

ソ連は解体されました。では、同じ共産主義国でありながら、なぜ中国には共産党一党独裁体制が残されたのでしょうか。

 

1980年代ごろから「改革開放」による社会主義型市場経済化を目指してきた中国ですが、ロシアとの最大の違いは天然資源がなかったことです。中国にあったのは、膨大な量の安価な労働力に目を付けたのです。

 

アメリカ企業が先鞭をつけ、日本、ヨーロッパなどの企業もアメリカに従い中国に進出して工場を立て、中国人の低賃金労働者を使役しました。中国はあっという間に「世界の工場」と呼ばれるようになりました。日本では大企業だけでなく中小企業までもが低賃金労働力を求めて中国へなびきました。その結果として日本の製造業は空洞化し、デフレ経済に突入します。いわゆる「失われた20年」は中国の低賃金の労働が元凶です。

 

労働者を効率よく管理すること、また工場用地を迅速に用意して整備すること、工場廃液などによる環境汚染を社会問題化しないことなど、スムーズに工場を稼働させるには、民営化経済体制よりも中国共産党の独裁体制が役に立ったのです。ロシアには民営化路線を取らせましたが、中国には共産党政権を残した理由がお分かりいただけたと思います

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kanekashi.com/blog/2020/02/6835.html/trackback


Comment



Comment