2011-04-10

市場縮小の深層:8 企業における本当の脱肩書きとは?

「貧困消滅⇒市場縮小」の深層にある「私権の衰弱」と「序列原理の崩壊」に着目した今回の『市場縮小の深層シリーズ』、前回は「男たちは『力の基盤』を失った」を扱いました。
性権力が肥大化して、私権の力では女をどうにも思い通りにできなくなってしまうと、まともな男ほど性闘争を放棄してしまった。その結果が、セックスレスの蔓延という現象で顕在化してきました。
私権の力に対する収束力が衰弱してくると、他にどのような現象が顕在化してくるのか? 🙄
今回はそれを扱ってみたいと思います。
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私権の力に対する収束力が衰弱してくると、私権獲得のための私権闘争が第一義課題でなくなって来ます。つまり、かつての私権の力を基盤にした評価ヒエラルキー(肩書き)に対する興味関心(収束力)が薄れて来る現象が顕在化してきます。
その現象を取り上げている、るいネットの注目投稿を以下に引用します。

企業における本当の脱肩書きとは?
%E8%82%A9%E6%9B%B8%E3%81%8D%EF%BC%91.jpg>ほんの数年前まで「肩書き」こそが、人々の最大の圧力源とも活力源ともなっていた。
確かに、いつからでしょうか「肩書き」に魅力がなくなってきました。
貧困が消滅し始めた80年代に将来、社長になりたいという子供がほとんどいなくなった、90年代には肩書きへの上昇志向を持つ新入社員が激減したという報道があったのを思い出します。
この事を貧困の消滅に端を発する総中流指向の流れと認識していましたが、今思えばこの頃から評価指標という立場を「肩書き」が失いはじめていたのかもしれません。肩書きに対する違和感・・・その間企業によっては管理職を撤廃したり、部課長を役職名でなく敢えて「さん」付けで呼ばせたりと肩書きがもたらす活力の低下をことさら意識し始める企業が話題になり始めました。
しかし、小手先の脱肩書きでは決して活力は生まれません。話題になったそれらの企業がその後どうなったかはわかりませんが、肩書きに代わる新たな評価指標を作り出さない限り健全な活力は生起しないはずなのです。

出世意欲の低い若手社会人「半数は出世したいと思わない」
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調査では、「どこまで出世したいか」を聞いたところ、若手社会人の48.1%が「出世したいと思わない」と回答、2008年度の調査から3年連続で「出世したいと思わない」が1位となっている。
他にも
「管理職になりたくない!」という人、急増中です
さらに
2007年度新入社員の会社生活調査
上記事象を見ると、若者は肩書きに対して魅力的なものではなくなってきているようです。しかし極一部を除いて、就職(正社員)に対する活動や意識は低下しておらず、私権の力に対する興味関心が第一義ではなくなっているということの現れなのだと思います。

現在、企業の人事は序列を付け透明な能力ヒエラルキーに基づいて運営していく事に頭をかかえているはずです。肩書きと言う私権の共認序列を失った企業は迷走するか活力を失って行き止るしかありません。
新たな評価指標とは村上さんの”真っ当な「認識力」”
に他ならないのですが、問題なのは世の私権企業がどうすればそこに辿り着けるのか、私権企業に限らず活力低下がさらに深刻な官庁においてどうすればそこに気付くのかということだろうと思います。
実現論ではそこを実に端的に書いています。
>企業を私権統合から共認統合に変えるのは決して不可能ではなく、むしろ簡単である。企業を合議制の共同体に変えれば良い。完全にオープンな全員参加型の体制に変えてゆく。もちろん、その為には経理を含めた全情報を全社員に公開する必要がある。企業を合議制の共同体に変革しさえすれば、3年以内に『自分たちの生きる場を自分たちの手で作ってゆく』ことの大切さを、皆が体得してゆくだろう。
新たな評価指標が作り出せない元凶は”真っ当な「認識力」”が使える場(=評価空間)がないからなのです。
私権時代の崩壊を目前にして「肩書き」に代わる企業群の評価指標の転換はまだまだ先が長いように思います。
過渡期の現在、命運をかけて共同体に変えていこうとする企業や集団がどれだけあるか、そこにどれだけ働きかけられるかも、このるいネットの使命のひとつだと思います。

3月11日に起こった東日本大震災後の政府や保安院、東電の対応を見ていると、過去の遺物でしかない『肩書き』では何の実行力を持っていないことが誰の目にも明らかになったのではないのでしょうか。 😡
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原発事故へ一体対応、政府と東電が統合対策本部
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 首相はこの後、東電本店を訪問し、同社幹部や社員に対し、原発事故に関する東電から官邸への連絡の遅さに懸念を示したうえで、「(原発からの)撤退などあり得ない。覚悟を決めてください」と厳しい口調で訴えた。

組織の頭に立つ者は、その組織を統合し、体制を整える役割であって、肩書きを利用して部下を恫喝したり、「原発に詳しい」などと吹聴することではないと思うんですけど… 👿
蓮舫氏を節電啓発等担当相、辻元氏をボランティア担当補佐官に
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この人選でいいのか?現場はちゃんと動くのか?って思っていたら…

辻元清美氏 「部屋と秘書官がいないと仕事ができひん」
 震災後、災害ボランティア担当の首相補佐官に就任した辻元清美氏は、権限をくれと駄々をこねたという。補佐官は官邸の大部屋に席が置かれるのが通例だが、辻元氏は、「部屋と秘書官がいないと仕事ができひん」と要求して、内閣府に震災ボランティア連携室を設置させた。ちょっとした“大臣気分”を味わったのか。

節電大臣蓮舫氏 計画停電に「初めての事なので」とパニック
 にわか節電大臣の蓮舫氏は、東電の計画停電で大混乱を招くと、「初めてのことなので」と、阪神・淡路大震災の時の村山首相と同じセリフを吐いた。自分自身がパニックに陥り、“啓発力”を発揮することは一度もなかった。

また原発事故によって、テレビに頻繁に顔を出すようになった原子力保安院の面々。
彼らは原発の監視員ということなのですが、いったい何者?
原子力保安院の人って、公務員ですか?

福島の原子力発電所の危機は官僚政治による人災である
%E4%BF%9D%E5%AE%89%E9%99%A2.jpgそしてその支配の実像は、事故が発生してから国民の前に姿を現した経済産業省原子力安全・保安院なるもの、そして、その保安院と一心同体で核エネルギー利用を独占してきた東京電力が国民に伝えるべき情報開示の姿に如実に現れているとも言える。
言うまでも無く、核エネルギー利用は、宇宙開発と同様に学術研究だけでなく、その利用に関する政治的権限も、東大とその出身者である官僚組織によって独占されてきたものである。そしてこれまでに発生した原子力発電所の事故や欠陥について、批判する声があったとしても、学問世界においても、官僚自民党が支配した政治の世界においても、考慮されることは一度もなく、虚妄の無謬性を誇る唯我独尊の東大閥人脈によって一蹴され続けてきたからである。

原発による利権を追求した結果が、安全対策や危機管理を二の次に追いやり、現在の危機的状況に至っているのである。彼らにとって原発近隣や世界の人々の安全など、頭の片隅にも入っていなかったのではないか。
今回の震災は、地震、津波のダブルパンチで被害も甚大であったが、さらに無能な統合階級の対応で危機的な状況に陥ったと言える。しかし、この己のことしか考えていない統合階級を目の当たりにして、普通の人々も『このままじゃ、ヤバイ』という感覚を心底実感したのではないかと思う。
日本のマスコミが伝えない事実をネット探索して、彼らの欺瞞性を確信した一方、本来の日本人の持つ可能性を再認識でき、新たな評価指標、評価空間の必要性が顕在化してきたこと(広く大衆に顕在化)が、これからの社会を再構築する試金石となっていって欲しい。 8)

List    投稿者 mtup | 2011-04-10 | Posted in 09.反金融支配の潮流No Comments » 

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