2011-04-19

大転換の予感「潮流3」:’70年、豊かさの実現と充足志向

地震、津波、原発事故・・・
3つの大災害に同時に見舞われ、日本は未曾有の危機に瀕しています。
エリートの無能さが次々に露呈され続けるなかで、人々は毎日闘い続けています。
現在は、被災された方々だけではなく、日本国民全体が闘いモードですね。
このような大衆の意識の高まりは、いつ以来のことでしょうか。
’60年代の高度成長期には「豊かさ追求」一点に収束していました。しかし、’70年「貧困の消滅」以降はバブル崩壊、阪神大震災や金融危機など危機意識が高まった時期はありましたが、国民全体の意識や行動を根底から覆すものではありませんでした。

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【当時の福島第一原発】’70年、一号機が試運転を開始

 (画像はコチラから拝借しました) 

人々の意識はどのような経過を経て、現在につながっているのでしょうか。’70年貧困の消滅以降の人々の意識の変遷を追ってみます。
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‘60年代、工業生産の飛躍的発展に伴い人々の豊かさ追及のエネルギーはピークを迎えます。そして’70年、ついに貧困の圧力から脱出した日本では、誰もが私権獲得の可能性が開かれ、若者を中心に序列規範に変わる新しいライフスタイルを模索し始めます。
この時代は序列規範が解体されただけで、序列制度はそのまま残存、社会は消費活力を促して私権統合を維持することが大命題となって行きます。

’70年、工業生産の発展によって、ほぼ貧困が消滅し、豊かさが実現された。この豊かさの実現=生存圧力の弛緩は、生物が経験したことのない全く新たな事態である。但し、人類は1万数千年前、飢餓から解き放たれた採取部族の時代に、一度、これに近い状態を経験している。
一般に危機状況では、危機を突破しようとする意識的な実現志向が強く生起するが、その実現可能性は小さい。他方、充足状況では、無意識に近い弱い実現志向しか生起しないが、その実現可能性は大きい。
豊かさが実現され、生存圧力が弛緩すると、闘争の実現可能性よりも充足の実現可能性の方が大きいので、人々がそちらに向う結果、闘争よりも充足の方が価値が高くなる。つまり、
闘争よりも充足の方が、挑戦よりも安定の方が大切になる。従って、闘争(仕事)志向や挑戦(創造)志向よりも、充足志向や安定志向の方が強くなる。  

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【闘争から充足へ】学生運動の次の世代はニューファミリー志向に

また、生存圧力が衰弱し、物的充足が飽和状態に達した状況での新たな(=より大きな)充足可能性は、物的価値ではなく類的価値(人と人との間に生じる欠乏)の充足の中にしかない。そして、類的価値の充足とは、共認充足に他ならない。又、充足志向は安定志向を生み出すが、この安定も相手との共認や規範の共認etc人々の共認によって実現する。従って、生存圧力を脱した人々が志向する充足・安定志向は、必然的に共認収束の大潮流を形成してゆく。
それだけではない。生存圧力が弛緩したことによって私権圧力→私権欠乏も衰弱過程に入ってゆく。つまり、’70年、豊かさの実現(=貧困の消滅)をもって、人々の意識は私権収束から共認収束へと大転換を遂げたのである。従って、資本権力も衰退過程に入り、代わってマスコミの共認権力が第一権力に躍り出る。
この闘争から充足への基底的な価値転換を受けて、’60年安保闘争、’69年全共闘運動と続いた否定発の反体制運動は、’70年以降一気に衰退してゆく。そして、彼らもまた、安定したサラリーマン生活の中へと埋没していった。こうして、’50年代以来の怒れる若者たちは少数派に転落し、わずかにその名残を暴走族やヤンキーとして留めるだけとなる。
これは、豊かさの実現=生存圧力の弛緩に起因する、男原理主導から女原理主導への転換であるとも云える。(その後の性的商品価値の暴騰とそれによる性権力の暴走も、その一時的な先端現象である。)
しかし、それは行動の大転換となって顕在化した肉体的な潜在思念の大転換であり、現実には市場は利益追求のまま、企業は序列制度のままなので、顕在意識は私権収束→私権統合のままである。むしろ、圧力の衰弱によって、’70年代、’80年代は、いったん私権意識が肥大した面(ex自由な性)もある。
加えて、顕在意識は相変わらず「否定と要求」を正当化する近代思想に支配されたままである。従って、肉体的には「否定」は空中分解したにも拘わらず、外圧=私権圧力が衰弱したことによってむしろ抑圧を解かれた不満や要求や主張が肥大し、マスコミ主導で「人権」「同権」etcの架空観念が、いったんは蔓延してゆく同様に、私権追求の欠乏が衰弱してゆく以上、「自由」を追求する欠乏も無意味化し、空中分解してゆくが、顕在意識は相変わらず「自由」という観念に支配されたままで、むしろ外圧が衰弱したことによって「自由」という架空観念がいったんは肥大化し蔓延してゆくことになる。(例えば、この頃「自己実現」などという紛い物も跋扈した。)
 


【図解】’70前後の意識潮流

この’70(貧困の消滅)〜’90(バブル景気)の時代、人々は「自由」「個人」を金科玉条のごとく喧伝するマスコミに踊らされ、序列(身分、地位)への執着は薄れたものの、遊び(女、金)への収束は以前に増して強くなりました。 「価値観の多様化」という言葉が飛び交ったのもこの時代です。
そして、
日本は世界に先駆けて、制御不能な 「バブル経済」 へと進んで行きます。
そのあとにやって来る混迷の時代をどれだけの人が予測していたでしょうか。
次稿は、バブル経済を生み出した「輸血経済」についてです。ご期待ください。

List    投稿者 finalcut | 2011-04-19 | Posted in 09.反金融支配の潮流4 Comments » 

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コメント4件

 国民の生活が第一は人づくりにあり | 2012.04.05 13:58

経済成長政策で国・地方両方の経済健全化を計れ・大阪都構想は更なる借金を増大させるだけ

 ギリシャ危機が世界経済を揺るがしている。膨大な国家借金が日本にギリシャ同様な危機起こさせないために官僚とマスコミは消費増税が必要と主張しているが、この主…

 random3234 | 2012.04.09 12:15

身心一体。価値観、精神の構造が消費形態にまで影響を及ぼす。なるほどです。

 ミュウミュウ 公式 | 2013.07.01 21:37

カッコいい!興味をそそりますね(^m^)

 hermes handbags apricot | 2014.02.01 12:59

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