2019-07-16

国際情勢の大変動を見抜く!-21~ケインズの背徳とグローバリズムの道徳破壊工作~

 

ケインズ

多くの信望者を集めるケインズは、実はこれまで見てきたグローバリストと同じ思考。つまりは彼も金貸しの操り人形ということになる。彼は自ら背徳を告白しているとのこと。

その一つがグローバル市場は道徳も排除するという点。もう一つは、グローバル市場は国家の支出を増やし、いずれは国家が債務危機に陥るという必然を隠して人々を欺いてきたこと。

 

また市場の道徳排除によって社会全体の道徳をも排除してきた。

社会全体の道徳を低下させることは、市場の権威に楯突かない従順な人間を育てるうえで肝要なこと。ともいう。金貸しによる学校教育とも相通ずる。

 

それは、だれも反対できないような人権や人道主義の仮面をかぶって現れる。つまり、架空観念による洗脳によって、人々は信じ込まされている。

 

これによって、日本の伝統的道徳観念も失われていく。

筆者はこの危機意識から、むしろ日本の伝統的な経済道徳を取り戻す必要がある。とうったえている。

 

『世界を操る支配者の正体』(馬渕睦夫 著)からの紹介です。

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■人々を欺いたケインズの背徳

 

今日の世界的な経済混乱を招いた経済学者として、どうしてもジョン・メイナード・ケインズに触れなければなりません。ただし、ケインズを取り上げるのは彼の有名な有効需要理論を論じるためではありません。彼が強調する背徳の思想を確認するためです。背徳は文字通り、道徳に背くことなのですが、ケインズははっきりと自らが背徳者であることを告白しているのです。

 

ケインズの背徳を巡ってはさまざまな解釈が可能でしょう。一般にはケインズが市場の発展のためにあらゆる規制を拒絶し、因習や旧来の価値観によって押し付けられたあらゆる道徳的な習慣を拒否したことがあげられます。ケインズのこの主張は、先に見たように市場には道徳は不要であるとするアイン・ランドやジャック・アタリの主張と同じです。要するに、グローバル市場は道徳も排除するのです。

 

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利他主義を全面的に否定するランドの自由放任資本主義の思想に、道徳の観念はありません。道徳は自由放任資本主義社会にとって障害になるからです。アタリも市場には道徳は存在しないと明言しています。市場に道徳が入ると市場の力による調整が害されるからです。世界のグローバル市場化の完成のためには、道徳的規範が市場の力を阻害する要因になってはならないというわけです。市場による自由な利益追求の障害となる可能性のあるものが道徳なのです。この意味は、現に私たちの目の前で進行しているさまざまな倫理の乱れを考えるだけで、容易に理解できます。

 

私は、もう一つの背徳をケインズの経済思想の中に見ます。ケインズは有効需要による雇用増大の経済理論、すなわち政府が財政支出を増やすことによって需要を喚起し雇用を増やして経済の回復を図る経済理論を構築し、それに従い政府が財政支出を増大させた結果、政府が債務危機に陥ったことを見て、自ら背徳者と告白したのではないかと思います。つまり、ケインズがいう有効需要創出の経済政策は、資本主義の生き残りの理論ではなく、社会主義への転換を促進する政策なのです。社会主義政策とは政府が国際銀行家たちから借金をして財政収入以上の支出をするということですから、当然のこととして政府債務は上昇して、いずれは債務危機に陥るという道筋が敷かれます。つまり、ケインズは社会主義者の正体を隠して人々を欺いたことになります。これこそ、背徳そのものです。ケインズ信望者がいまだに多い今日、ケインズの背徳について私たちはもっと注意する必要があるのではないでしょうか。

 

1929年の大恐慌後、不況対策として取られたルーズベルト大統領のニューディール政策は、ケインズの進言に基づくものでありました。アメリカ政府の支出はうなぎのぼりに増加したにもかかわらず、雇用は思ったほど回復しませんでした。結局、雇用を含む経済の回復は第二次世界大戦まで待たなければならなかったのです。

 

■グローバリズムの道徳破壊工作

 

道徳不要論は市場を対象としているだけではありません。社会全体の道徳を低下させることは、市場の権威に楯突かない従順な人間を育てるうえで肝要なことなのです。問題は、表面的には市場のための工作であることが、それと人々に分からないような巧妙な方法で、社会の道徳破壊が行われていることです。多くの場合、いわゆるポリティカル・コレクトネス、つまり、だれも反対できないような人権や人道主義の仮面をかぶって現れるからです。

 

例えば、ジェンダーフリーは、無知なジェンダーフリー論者がナイーブに信じ込んでいるような、男女平等を実現しようという運動では決してありません。私たちの伝統的な道徳規範を崩壊させることによって、市場の力を存分に発揮できるようにしようとするグローバリストたちの工作なのです。人類を生む能力を持った存在である女性を、道徳不在の市場の論理に従わせようという、社会正義の追求とは真逆の洗脳なのです。アベノミクス第三の矢の成長戦略の一つである男女共同参画、或いは女性の社会進出などに同じグローバリスト・イデオロギーが入り込んでいないか心配になるところです。

 

我が国のジェンダーフリー論者は、人道主義や人権活動家などイデオロギー的にはいわゆる左翼知識人に属する人が多いと思いますが、彼らが実践していることは、左翼が本能的に毛嫌いする大資本家の利益に結果として奉仕していることに、早く気付いてほしいと思います。悪く言えば、これら左翼活動家は世界政府を樹立しようと画策している国際金融寡頭勢力の日本における代理人(エージェント)と見なされても仕方がないのです。男女共同参画も女性の社会進出のためのアファーマティブアクション政策も注意して立案される必要があります。端的に言えば、金融資本家が支配する市場の力を存分に発揮するために、その障害となっている女性の道徳を低下させようとする工作に利用されないようにすることです。

 

この工作の実態を知らずに、経済成長の原動力としての女性の力を活用するなどという美しい言葉に惑わされてはなりません。ジェンダーフリーも男女共同参画も女性の社会進出支援も、母性の保護を軽視して市場の要求に沿って女性を働かせようとしているのです。もちろん官民各界で優れた仕事を成し遂げる女性は大勢います。女性の社会進出が社会の発展にとって意義のあることであることは当然です。その上で、女性の持つ最も尊い感情、すなわち母性を喪失することがないような社会制度を整備する方向に、むしろ政策の力点が置かれるべきであると考えます

 

安倍政権は民間の懇談会議員の意見に翻弄されて、女性の活用や移民の受け入れなどの政策に前のめりの姿勢を見せますが、これは例外なく我が国をグローバス市場に組込もうというグローバリストの洗脳工作であることを見抜かねばなりません。民間議員の方々自身は誠実なのでしょうが、彼らの議論がよって立つ思想は、これまで詳細に見てきた新自由主義の思想がベースになっています。新自由主義思想がいかに問題をはらむ経済思想であるかということは、これまで本書で明らかにしてきたとおりです。新自由主義をそのまま我が国に導入すれば、そうでなくても国際競争力を失いがちな我が国経済を一層荒廃させる結果になることは、火を見るより明らかなのです。

 

民間議員の方々にはぜひ考えていただきたいと思います。日本市場をやみくもに外資と低賃金外国人労働者に開放して、私たちは幸せになるのでしょうか。GDPの成長率を高めることが日本を取り戻すための最重要点施策であるとするのは、残念ながら大変硬直した思想であると言わざるを得ません。

 

我が国の道徳観を棄損するグローバル化政策は必ず破綻します。私たち日本人の伝統的経済観は道徳を伴うからです。すなわち、グローバリズムは我が国の伝統的経済思想に合わないのです。私たちがグローバリズムの弊害を克服し日本経済を真に回復・躍進させるためには、むしろ伝統的な経済道徳を取り戻す必要があります。このことを認識するためにはグローバリズムの歴史的・思想的根拠を探ることが必要です。次章でそれを探ることにしましょう。

 

 

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