世界を動かす11の原理-5~ドルを基軸通貨の地位から引き摺り下ろす動きが加速~
イラク戦争は、フセインが石油決済通貨をドルからユーロに変えたことが原因の一つということは周知の事実。それを後押ししたのが、当時のフランス大統領のシラクとのこと。ドイツも後押し。
その後、フランス、ドイツは親米派の大統領となり鳴りを潜めた。それに変わって、強力に脱ドルを推進した(現在まで)のが、プーチンのロシアと中国。
それによって、2006年末には、ついに流通量でドルを超えた。
今後もこの動きが加速する。
以下、「クレムリン・メソッド」~世界を動かす11の原理~(北野幸伯著)
からの紹介です。
****************************
■「ドル基軸通貨体制」を揺るがすための通貨、「ユーロ」の誕生
①全世界に、もはや西欧にとっての脅威は存在しない
②脅威がないのだから、アメリカに支配され続ける理由はない
欧州エリートたちは、「もう一度、アメリカから覇権を取り戻そう!」と大きな野望を抱くようになったのです。
しかし、欧州の、たとえばドイツ、フランス、イタリア、スペインなどが一国で覇権を取るというのは、余りにも現実離れしています。では、どうするか?そう、
欧州を統合し、巨大な一つの国にしてしまえば、アメリカから覇権を奪えるだろう。
(中略)
そして1999年1月1日。欧州通貨統合がスタートしました。
ユーロの誕生です。
当時、参加11カ国の人口は2億9000万人、GDPは6兆3000億ドル。
いっぽう、アメリカの人口は2億7000万人、GDPは7兆8000億ドル。
ついに、ドル体制を崩壊させる可能性のある「通貨」が登場したのです。
■「石油」の決済通貨を、ドルからユーロに変えようと企んだシラクとフセイン
(前略)
2000年、「裏世界史」的大事件が起こります。
それを起こしたのが、イラクの独裁者サダム・フセインでした。
フセインは2000年9月24日、「石油代金として今後一切ドルを受け取らない!」と宣言します。
では、何で受け取るのか?
お分かりですね。
ユーロ。
実は、フセインをそそのかしたのは、ユーロを「基軸通貨」にし、アメリカから欧州に覇権を取り戻したいフランスのシラク大統領(当時)。
イラクは、湾岸戦争後、経済制裁下にあり、石油は国連経由でしか売れませんでした。
評判の悪い独裁者フセインが、一人で国連を動かせるわけがない。
しかし、そこでフランスが国連を動かし、フセインの要求は2000年10月30日に受け入れられることになります。
ドルでしか買えなかった石油が、ユーロでも買えるようになる。
この出来事は、アメリカの支配者達を「卒倒」させました。
もし、ドミノ現象が起き、「石油はユーロで取引」がスタンダードになれば?
ドルは「基軸通貨」ではなくなり、アメリカ没落は不可避になります。
アメリカがイラクを攻撃した理由。
アメリカがイラクを攻めた公式理由、「フセインは大量破壊兵器を保有している」「アルカイダヲ支援している」は大ウソでした。繰り返しになりますが、この二つの理由が「大ウソ」だったことは、アメリカ自身も認めています。
(中略)
フランスのシラクさんとイラクのフセインさんは、「アメリカ幕府打倒の狼煙」をあげたのです。
アメリカは、フセインの暴挙を見逃すことができず、なんやかやと理由をつけて、「イラク攻撃」を開始しようとします。
これに反対したのが、シラクのフランス。そして、フランスと共に「アメリカから覇権を奪い、欧州に再び覇権を」と夢見たシュレイダー首相のドイツ、プーチンのロシア、中国でした。
この4カ国の内、フランス、ロシア、中国は、国連安保理で「拒否権」を持つ常任理事国です。
結果、アメリカは、イラク戦争の「お墨付き」を安保理から得ることができず、第2章でも触れたように「国際法に違反して」攻撃を開始しました。
アメリカの権威は大きく損なわれましたが、他にどうすることができたでしょう?
「ドル体制防衛」は、アメリカにとって「死活問題」なのですから。
さて、アメリカは、イラクを攻撃し、同国の原油決済通貨をユーロからドルに戻しました。これで、「ドル大勢」は再び磐石になったのか?
これが、ならなかった。
「雨後のタケノコ」のように、後から後から「反逆者」が出てきたのです。
■プーチン、ロシア産資源の決済通貨をドルからルーブルに変更
イラク戦争が始まる直前、アメリカ一極支配に反対する勢力であるフランス、ドイツ、ロシア、中国の緩やかな連合が形成されていました。
これを「多極主義陣営」と呼びます。
この運動を始めたのは、ドイツ、フランスを中心とする欧州でした。
しかし、欧州の「多極主義」は、その後衰えます。
主な理由は、シュレイダー首相が2005年、シラク大統領が2007年にそれぞれ辞任したことです。シラクのあとを継いだサルコジ大統領は、「バリバリの親米派」。
「欧州多極主義」が衰退する大きな原因になりました。
さて、多極主義運動の中心は、2005年ごろからロシア、中国に移っていきます。
(中略)
そして、2006年。
プーチンは5月10日の年次教書(一年に一度、大統領が機会で、ロシアの現状と今後の方針を演説すること)の中で、アメリカの支配者達を「気絶」させるような爆弾発言をしました。
「石油など我々の輸出品は、世界市場で取引されており、ルーブルで決済されるべきだ」
「ロシア国内に石油、ガス、その他商品の取引所を組織する必要がある」
取引通貨はもちろんルーブル。
ドルが基軸通貨でなくなれば、アメリカは没落する。
ドルを基軸通貨でなくすには、その使用量を減らせばいい。
当時、原油生産量世界一だったロシアがルーブルで石油を売り始めたら?
ドルの使用量は増えますか?減りますか?
フセインは2000年11月、石油の決済通貨をドルからユーロにし、アメリカから攻撃されました。
プーチンは、フセインと同じ決断をしたのです。
しかも、イラクとロシアでは世界に与えるインパクトが全然違う。
プーチンは、言葉で脅すだけでなく、すぐ行動に移します。
2006年6月8日、ロシア取引システム(RIS。モスクワにある証券取引所)で、初のルーブル建てロシア原油の取引が開始されました。
プーチンの野望はとどまることを知りません。
2007年には、なんとロシアルーブルを、「ドルに代わる世界通貨にする」と宣言します。
(中略)
■ユーロの台頭、イラン、中東のドル離れで、崩壊が加速していくドル体制
アメリカはイラクを攻撃し、決済通貨をユーロからドルに戻した。しかし、ユーロの「基軸通貨化」はその後も進み、2006年12月末には、ついに流通量でドルを超えてしまいます。
(中略)
さらに、イランは2007年、原油のドル決済を中止しました。
(中略)
「イランがアメリカから逃げ切ることができれば、自分達も決済通貨を替えてしまおう」と考えていたのが、サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦など中東産油大国がつくる、湾岸協力会議(GCC)。
(中略)
とはいえ、この通貨統合の大胆な挑戦は2010年から2015年に延期され、いまだに行われていません。2015年の実現もおそらく困難だと思われます。
しかし、2007年当時、「ドル離れの大トレンド」があったことは間違いありません。
こうして、ドミノ式にドル離れが起こり、ドル基軸通貨体制は崩壊していったのです。
2008年1月23日、ジョージ・ソロスは、ダボス会議で歴史的発言をしました。
「現在の危機は、ドルを国際通貨とする時代の終焉を意味する」
実際に世界的経済危機が起こったのは、この発言の約八ヵ月後でした。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kanekashi.com/blog/2017/07/5364.html/trackback