2020-01-10

国際情勢の大変動を見抜く!-46~朝鮮戦争はアメリカが種をまきソ連が協力した戦争だった~

 

朝鮮戦争

戦後の戦争・紛争はほぼアメリカ・ネオコン(+CIA)が主導している。背後には当然金貸しがいる。朝鮮戦争も同様で、ソ連も協力しているとのこと。十字軍の時代から戦争は極力長期化させる方向に誘導するのが金貸しの常套手段。

 

そのためには情報操作が肝になる。

太平洋戦争でも日本は勝機に関わるスパイからの情報を4度も無視し、わざわざ負け戦としてしまった。真珠湾攻撃もアメリカ演出の悪役として活躍した。(金貸し勢力のスパイの証言(11)~日本の勝利は確実だっだ~

朝鮮戦争ではマッカーサーの正攻法の作戦は悉く上層部から潰され、遂には解任となった。

さらに、朝鮮戦争のアメリカの作戦は双方へ筒抜けで、これはアメリカに勝敗を決する意思がないことを物語っている。

 

かつて日本とも繋がりの深いベラスコは言った「戦争はゲームだ。」と、まさしくその通りだと思う。

 

『知ってはいけない現代史の正体』(馬渕睦夫 著)からの紹介です。

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■1950年 朝鮮戦争の勃発

 

◇通説   :北朝鮮軍が南北統一を目指して南へ侵攻、国連はこれを侵略と認定した。

◇歴史の真相:朝鮮戦争はアメリカが種をまきソ連が協力した戦争だった。

 

●アチソン演説とスターリンの国連軍賛同

朝鮮戦争は矛盾に満ちた戦争でした。契機となったのは1950年1月12日の、当時トルーマン政権の国務長官だったディーン・アチソンの演説です。アチソンは「アメリカのアジア地域の防衛線に南朝鮮を含めない」と明言しました。

 

南朝鮮(韓国)が侵略されてもアメリカは関わらない、というメッセージです。意図的な発言でした。北朝鮮に対して韓国侵攻のゴーサインを出した、ということです。

 

アチソン演説から5カ月後の6月25日、北朝鮮軍は38度線を越え韓国になだれ込みました。国連安保理が加盟国に韓国防衛を勧告するのはその2日後です。金日成軍は南端の釜山まで侵攻します。9月15日にマッカーサーが指揮する国連軍が仁川に上陸、北朝鮮軍を中国国境付近まで押し返します。義勇軍と称した中国の共産党軍が介入するのは10月19日です。戦況は互いに一進一退で、翌年には38度線で膠着状態となり、1953年7月に休戦協定が結ばれました。国際連合軍司令部総司令官と、朝鮮人民軍最高司令官および中国人民志願軍司令官との間の協定です。

 

2つのポイントがあります。一つ目はアチソンの演説です。アメリカは北朝鮮を韓国へ攻め込ませなかったのです。

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2つ目は、なぜ国連軍を組織できたか、ということです。国連安保理の常任理事国であるソ連が拒否権を発動すれば国連軍の編成は出来ません。ソ連は国連軍編成に反対しませんでした。安保理審議に欠席したのです。前掲『グロムイコ回想録』にはソ連代表は安保理に出席しないようスターリンが指示をしたことが書かれています。正統派の通説によれば、蒋介石の中華民国が安保理をボイコット中だった、ということですが、これが果たして同盟国・北朝鮮を見捨てる理由になるでしょうか。

 

アチソン演説での北朝鮮へのゴーサインとスターリンの事実上の国連軍編成賛成から、朝鮮戦争は米ソの結託によるものだったという真相が見えてきます。そして米ソ結託の様子は、朝鮮戦争時のダグラス・マッカーサーの動きを追うことで具体的にわかってきます。

 

●北朝鮮軍、中共軍を倒す気などないアメリカ

国連軍の最高司令官となったマッカーサーが進言する作戦は悉く本国アメリカから却下されました。また、国連軍の作戦情報はアメリカからイギリス、ソ連、インド経由で中共軍と北朝鮮軍に伝えられていたようです。中共軍の侵入経路である鴨緑江にかかる橋の爆破計画も、アメリカ政府はイギリスと協議した結果、マーシャル国防長官からの返答は「満州国境から8キロの範囲内にある目標の爆破はすべて延期する」というものでした。

 

マッカーサーは回想録の中で、「ワシントンでは特に英国の影響力が非常に強く働いている」という内容を記しています。私たちの理解とは逆に、政治的な力関係で言えば、アメリカよりイギリスの方が上なのです。また、マッカーサーへの対応から分かる通り、アメリカもイギリスも共産勢力を積極的に排除する意図はありませんでした。これは正統派の歴史観、「戦後のアメリカとソ連は互いに相手の優位に立とうと世界規模で覇権を争った」とはずいぶん違います。

 

朝鮮戦争はアメリカ、イギリス、ソ連が結託して演出した戦争でした。トルーマン大統領は北朝鮮軍と中共軍を倒す気などないばかりか、故意に負けるような行動をとり続けました。休戦まで3年かかり、3万人以上のアメリカ兵が犠牲になり、しかし南北朝鮮の国境はほとんど変わりませんでした。アメリカ政府の戦争指導に五問を呈したマッカーサーは1951年に解任されます。マッカーサーの後々任で休戦協定に調印したマーク・ウェイン・クラーク将軍は自著『From the Danube to the Yalu』の中で、勝利するために必要な権限も武器も兵員も与えられなかった。眼前でアメリカ軍兵士が中共軍にむざむざ殺されるのを傍観する以外になかったと、マッカーサーと同様の無念さを吐露しています。

 

朝鮮戦争の目的は何だったのでしょうか。戦争資金を融資した国際銀行家と、武器を売却した軍需産業が利益を得たことは言うまでもありません。朝鮮戦争末期に大統領に就任したアイゼンハワーは8年後の離任演説で、軍産複合体が民主主義にとって脅威であるとアメリカ国民に警告することになります。

 

●マッカーサーの「日本は自衛戦争」証言

興味深いのは、解任されたマッカーサーが帰国後に米上院軍事外交委員会で証言した内容です。マッカーサーにはアメリカ政府の真意は伝えられていませんでした。つまり、マッカーサーはすでに政府の中枢、いわゆるエスタブリッシュメントから外されていました。

 

1951年5月3日、マッカーサーは「日本が太平洋戦争に突入したのは、大部分は安全保障上の必要なものだった」と委員会で証言しました。ここを正統派の通説は「朝鮮戦争を戦った結果として朝鮮半島が日本の生命線だったことに気付いたからだ」と解釈しています。そうではないでしょう。生命を賭して戦ったのに祖国に裏切られたマッカーサーは太平洋戦争の真実を隠す必要はないと考え、アメリカの対日戦争の不正義を告発する意図で日本の戦争目的を擁護する発言を行ったと考えられるのです。

 

太平洋戦争(大東亜戦争)が日本の自衛戦争であることは戦争前からアメリカ首脳にはわかっていました。当時日本はアメリカから、消費量の大半の石油を輸入していました。常識的に考えれば、そんな国と戦争などするはずがありません。しかしアメリカは通商条約を破棄して石油を禁輸します。これは、事実上の宣戦布告です。日本は、自衛のために戦う以外にありませんでした。そしてアメリカは日本が追い詰められてアメリカを攻撃するのを待っていました。アメリカが仕組んだ戦争であって、日本の侵略戦争であるはずがないのです。

 

1946年から48年にかけて行われた東京裁判においてマッカーサーは、「平和に対する罪」で7人の日本人指導者を処刑しています。そのマッカーサーが、日本の戦争は侵略戦争ではなく自衛戦争だったと公式に証言したのです。この歴史的証言を重く受け止め、歴史教科書はマッカーサー発言をきちんと描くべきだと思います。

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