2020-02-13

国際情勢の大変動を見抜く!-51~ベルリンの壁崩壊:ソ連は存在の必要がなくなったために使い捨てられた~

 

ベルリンの壁

筆者は「ゴルバチョフには共産主義体制を崩壊させてもかまわないとの底意があったと見られます。ゴルバチョフの改革路線を米、西独などの西側諸国は支持しますが、背後に何かあると見るのが自然でしょう。」と推察するように、これも金貸しが仕掛けた策略でした。

 

当ブログで以前に紹介した記事:『金貸し勢力のスパイの証言(22)~ソ連崩壊の真相~』 で、スパイのベラスコの証言から、

>ソ連崩壊も、金貸しが仕掛けたクーデターだったとのこと。それを指揮していたのがキッシンジャー。それにはKGB⇔CIAが絡んでいた。<

とのことです。

 

ほとんどすべての“歴史”は金貸しが作ってきたといっても過言ではありません。

 

『知ってはいけない現代史の正体』(馬渕睦夫 著)からの紹介です。

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■1989年 ベルリンの壁崩壊

 

◇通説   :ソ連は内部矛盾で崩壊、冷戦体制終焉を象徴する出来事だった。

◇歴史の真相:ソ連は存在の必要がなくなったために使い捨てられた。

 

●解体させられたソ連

アメリカという国家を疲弊させるためのベトナム戦争を経て、アメリカはほぼ、国際主義者たちの思い通りに国家意識が希薄化しました。つまりこれは、ソ連の存在理由がなくなったということを意味します。ここにソ連の解体への道が始まります。

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1979年、ソ連のアフガニスタン侵攻がありました。翌年はモスクワ・オリンピックが開催されましたが、アメリカや日本をはじめ多くの西側諸国が参加をボイコットしました。

 

1981年、アメリカにロナルド・レーガン政権が誕生します。新自由主義が台頭してきた時期こそ、このレーガン大統領の時代でした。ソ連が衰退を始めるのはこのころです。

 

1985年、ミハイル・ゴルバチョフがソ連の共産党書記長に就任し、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を開始します。改革と情報公開の2つの政策によってソ連は内部から崩壊を始めます。アメリカは原油価格を下落させ、石油輸出収入に頼るソ連の解体を早めました。

 

1986年、チェルノブイリ原発事故が起こります。事故を隠蔽したため多くの人命が失われ、ソ連当局への非難が共産主義体制そのものへの非難へと転化しました。

 

そして1989年、東ドイツの出国制限緩和の発表をきっかけとしてベルリンの壁に市民が集まり、壁を砕きました。その映像は世界にリアルタイムで放送されました。

 

最大の疑問は、アメリカと世界を二分するほどの大国だったソ連がなぜ、ゴルバチョフが出現してわずか六年後の1991年、ほとんど混乱のないまま崩壊してしまったのかということです。

 

●ゴルバチョフが解体を早めた

混乱らしい混乱が起きなかったのは、内部矛盾などではなく外部の力によって解体させられたからではないか、というのが私の見方です。何か統一された意思が背後で働いていたように感じます。

 

石油価格などは、石油市場を支配している勢力がいかようにでも操作できます。ソ連を崩壊させるために価格を暴落させることは可能です。チェルノブイリの原発事故に、謀略的な要素があったかどうかは分かりませんが、人為的な事故だったことは確かです。ペレストロイカとグラスノスチは共産主義システムを否定するような自殺的な政策でしたが、流血の混乱もなく体制が移行しています。

 

1991年8月にいわゆる共産党守旧派によるクーデターが勃発しました。クリミアで休暇中だったゴルバチョフを監禁して辞任を強要しましたが、結局解放されてエリツィン主導でソ連邦の崩壊、各共和国の独立へと繋がりました。

 

素朴な疑問は、中央計画経済のソ連体制が行き詰っていたとはいえ、なぜゴルバチョフは体制否定に繋がるペレストロイカとグラスノスチを急激に敢行したのでしょうか。常識的に考えれば、ゴルバチョフには共産主義体制を崩壊させてもかまわないとの底意があったと見られます。ゴルバチョフの改革路線を米、西独などの西側諸国は支持しますが、背後に何かあると見るのが自然でしょう。

 

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