2019-07-31

国際情勢の大変動を見抜く!-23~グローバリズムとナショナリズムの最終戦争~

ユダヤ人の歴史

前回、ユダヤ思想の中心をなす二つの思想:民族主義と普遍主義は一体不可分ということを扱った。民族主義は自民族のための思想で、普遍主義はグローバル化によってバラバラに解体されたその他の民衆を統合するための思想。

 

言ってみれば、ユダヤ民族が神から選ばれた民族で、その他大勢は羊の群れ。群れを従わせるために、ディアスポラ・ユダヤ人が牧師としてボスを去勢し従わせる。そのための思想が普遍主義。その他大勢の羊たちは去勢された傀儡ボスに従うだけ。これらの羊の群れは、餌を求めて世界を遊牧する。つまり地球規模の遊牧がグローバリズム。これらの群れから利益を収奪するのが世界統一政府:イスラエル王国。これがユダヤ民族の目指すべき姿。

 

そうみると、5000年前の遊牧部族とまったく変わらぬ方法。2000年前と変わらぬ思想。

こんなことに騙されてはいけない!こんな古い方法論や思想が今後も続いていくわけはない。もうみんなうすうす気づいている。

 

その表れが民族派の台頭と広がり。その中心がロシアのプーチン大統領。まさに現在グローバリズムとナショナリズムのハルマゲドン。

そして、民族主義の一つの実現態が我が国日本、日本は2600年以上にわたって存続している世界で唯一の国であり、ディアスポラ・ユダヤの進出は明治期から。まだ150年余りしかたっていない。しかも間接的な傀儡政治。普遍思想も1970年代には力を失い、現在は見捨てられ新たな思想への欠乏が高まっている。

その意味で今後の日本の精神性とロシアの科学技術がタッグを組めば、グローバリズム派の息の根を止めることができるはず。

 

『世界を操る支配者の正体』(馬渕睦夫 著)からの紹介です。

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■普遍主義と民族主義の一体化

 

以上でおわかりのように、ユダヤ思想にとって普遍主義と民族主義は一体不可分です。ユダヤ民族の生存を確保するためには、この二つの思想がともに必要なのです。ユダヤ民族主義だけではユダヤ国家は興亡を繰り返し、やがてユダヤ民族自身が滅亡する危険があるのです。他方、ユダヤ国家がなく普遍主義だけでは、ユダヤ人は多民族と同化してしまう危険性があります。したがって、ユダヤ民族が自らのアイデンティティを守って生き残るためには、民族主義思想の象徴であるイスラエル国家が必要であり、イスラエル国家が滅亡しないためには、世界にユダヤ普遍主義思想を広めることが不可欠になるのです。

 

このような文脈から改めて考えますと、現在世界を席巻しつつあるグローバリズムはユダヤ普遍思想であって、その担い手であるディアスポラ・ユダヤ人はグローバリズムを世界に拡大させることによって、ユダヤ民族とイスラエル国家の安泰を計っているのだと言えます。(中略)

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マックス・ディモントは『ユダヤ人の歴史』の中で、普遍主義を説いた最初の予言者はアモスであり、民族主義を唱えた預言者はホセアであると指摘していますが、この中でもアモスの普遍主義思想に注目する必要があります。なぜなら、アモスの思想が19世紀のカール・マルクスの共産主義思想や各種の社会主義理論、20世紀のマルクス主義フランクフルト学派の批判理論などに結実することになるからです。

 

ポール・ジョンソンという高名なユダヤ人の歴史家は『A history of the Jews(ユダヤ人の歴史)』の中で、ユダヤ人がなぜ社会主義や共産主義にひかれるのか理由の第一に、このアモスを挙げています。預言者アモスは、民衆を虐げている当時の権力者や圧政や、権威を盾に弱者を圧迫するものを厳しく批判してユダヤ人に反省を促しました。アモスの言葉に従い弱者の味方になる傾向を、ポール・ジョンソンは「アモス・シンドローム」と呼んでいますが、この思想傾向がやがてユダヤ人の社会批判という伝統を生むことになったというのです。

 

(中略)共産主義が国際主義(国境を超えた普遍思想)であることが、国家を持たないディアスポラ・ユダヤ人の多くが共産主義者になった理由なのです。

 

ディモントによれば、アモスの普遍主義思想を発展させユダヤ教の普遍主義を構築したのが、預言者イザヤでした。イザヤの普遍主義思想とは先にも述べた「人類は兄弟である」という言葉に象徴されています。

 

イザヤの「人類は兄弟である」という普遍主義は、ホセアの唱えた、ユダヤ人は選ばれた民であるとする民族主義とは正反対の概念です。但し、ユダヤ普遍思想はあくまでユダヤ国家を守るための思想であることを忘れてはならないでしょう。ディモントも指摘しているように、世界にとっての深刻な問題は、このユダヤ教の二つの流れが将来ユダヤ教と世界の歴史を結び付けて一つになるのではないかということです。この問題提起を裏返せば、ユダヤ民族主義と普遍主義が融合して、ユダヤ思想の元に世界が統一されることを暗示しているのではないでしょうか。

 

■グローバリズムは21世紀の共産主義

 

ユダヤ人が民族の生き残りのためにたどり着いた思想は、21世紀の現在も紀元前のバビロン捕囚の頃と基本的には変わっていません。確かに、過去2000年のユダヤ人のディアスポラの経験は、このユダヤ思想の二面性の重要性を如実に示しています。2000年の間に多くの国が興亡を繰り返しましたが、ディアスポラのおかげでユダヤ民族はホスト文明が死滅した時にも、自らの文化が死滅することはなかったのです。他の文明の中に必ずユダヤ人がいてユダヤ人の文化遺産を将来に残していくことができたからです。

 

1948年にイスラエルが建国された時、もし世界のユダヤ人全員がイスラエルに移住したならば、イスラエル国家の地理的境界の中で長きにわたって民族として生き残れるかどうか疑問だと、ディアスポラの多くのユダヤ人は考えたのです。

 

他方、今後ともユダヤ人の文化を死滅させないためには、ユダヤ人はイスラエル国家を維持しつつ、ディアスポラの開拓を続けなければなりません。ということは、現在のところディアスポラの中心地はアメリカですが、将来は中心地をどこか別の国に移すこともあり得ることを示唆しています。ディアスポラがユダヤ民族生存の不可分の要素である以上、半ば永遠に(ユダヤ思想の元に世界が統一されるまで)ユダヤ人は移住を続けなければなりません。

 

このように思考を巡らせますと、ユダヤ思想の下に世界を統一するという信念がグローバリズムを推進する動機になっていると考えられます。彼らは期待しているのです。将来世界のグローバル市場化が進み、民族国家というものが時代遅れになった暁には、ディアスポラ思想のパターンに基づいて、人類全体が移住する民となり、根無し草になるであろう。そうなれば、国家の利害を超えた新しい意識が生まれることになる。これが、人類に普遍的なグローバリズムのイデオロギーなのです。こうした移動の波が人類を「ディアスポラ化」するわけです。

 

このようにディアスポラ化された人間、すなわち故郷との絆を喪失した人間は、生きる意味を与えてくれる新しいイデオロギーを強く求めるようになる。ディモントたちユダヤ民族の生き残りを最優先するユダヤ人は、ディアスポラ化した人類にとってエルサレムが精神世界の中心になれるのではないかと期待しているのです。あたかも、ディアスポラ・ユダヤ人にとってエルサレムが精神的アイデンティティの中心であるように。これこそ、彼らの本心を暴露したものと思われます。つまり、人類をディアスポラ化しておく一方、イスラエル国家は残し、そこを世界の中心にしようというユダヤ民族主義の正体を明らかにしているのです。

 

 

結局、グローバリゼーション(世界のグローバル市場化)とは、人類をユダヤ化された普遍主義にいざなうものであり、ディアスポラ化された人類の魂に働きかけて、人類がユダヤ教の予言者のメッセージを受け入れやすくする体制にすることを目指しているのです。その意味で、共産主義はディアスポラ化された人間を普遍的なユダヤ思想へといざなう飛び石であったと言えます。

 

国境廃止を唱える21世紀のグローバリズムは、かつての共産主義運動と同じく、国際主義的性格を帯びたイデオロギーです。つまりグローバリズムは21世紀の国際共産主義と言えるもので、その意味でユダヤ思想による世界統一を目指したイデオロギーであることがお分かりいただけたと思います。

 

再度強調すれば、国際金融勢力を中心とするグローバリストたちは、「人類は兄弟」というユダヤ教的普遍思想の一貫であるグローバル市場というユダヤ教的な地上の楽園を選ぶべきだと、心理的にディアスポラ化した現代人に迫っているのです。

 

■グローバリズムとナショナリズムの最終戦争

 

言うまでもなく、グローバル市場化した世界が地上の楽園であるという保証はどこにもありません。私たちが今目撃していることは、グローバル市場化がもたらした超格差社会や環境破壊などの負の現象です。

 

聖書から借りて言えば、地上の楽園とは人類が神の掟に反して智慧の木の実を食べる前の「エデンの園」のことです。グローバル市場が「エデンの園」なのではなく、各々の民族がその特性を生かしながら共存する世界こそ、「エデンの園」をもたらす可能性があるのです。より良きビジネスチャンスを求めて国境を越えて移住しても「エデンの園」にたどり着くのは、おそらく不可能でしょう。私たちが心の安寧を得られる「エデンの園」は決して文化の違う遠くの外国にあるのではなく、私たち自身の国にあるはずだからです。外を見るのではなく、内を見ることが今求められています。世界各国が国境に守られて国民経済を発展させることが、総体として世界の発展に繋がってくると思います。

 

その意味で、ナショナリズムの意義が再発見される必要があります。現在の世界は、グローバリズムとナショナリズムの壮絶な戦いの真っただ中にあります。グローバリズムの騎手がアメリカの衣を着た国際金融財閥であるとすれば、ナショナリズムの雄はプーチンのロシアです。ロシアを巡る戦いはグローバリズムとナショナリズムの最終戦争、つまりハルマゲドンであると言えるのです。この戦いは、まだ帰趨が見えていません。水面下でどのような駆け引きが行われているか、外からうかがうことはできませんが、現在の駆け引きの結果が、21世紀の世界の秩序を決めることになります。

 

世界の運命を国際金融勢力とロシアのプーチン大統領の身に任せておいて、私たちはただただ傍観していて良いのでしょうか。我が国はロシアよりもグローバル化されていますが、アメリカほどグローバル化されておらず、民族としてのアイデンティティと国民の一体性を保っている国です。しかも、我が国は2600年以上にわたって存続している世界で唯一の国です。ユダヤ人が自らの民族の生き残りのためにディアスポラ、つまり現在のグローバリズムを「発明」したのに対し、わが国はディアスポラが無くても国家も民族も滅びなかったのです。

 

ということは、わが国の経験はグローバリズムによらなくても国家の生き残りを達成するヒントを世界に与えていると言えるのではないでしょうか。我が国の伝統思想は、グローバリゼーションの荒波の中で生き残りのために苦悩している世界各国の師表となり得るものと期待されるのです。

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