2020-07-30

奥の院の誕生と興隆~徹底した現実直視→観念支配の力に気づいて法皇を攻略→十字軍遠征

奥の院が現在まで1000年に亘って、裏から世界を支配できたのはなぜか?
それは1000年に亘って、武力に勝てるのは資力という事実の追求の姿勢を失わなかったからである。

実際、奥の院は、金貸し業+雇い兵業(両国の対立を煽って、戦争を起こさせ、両方に金を貸して儲ける)で資力を蓄積してゆくが、その過程でも一貫して、「資力第一」と「裏から操る方が得」という家訓(構造認識)を守り続けている。

そして、この事実追求の姿勢を失わなかったのは、常に生存闘争の渦中に身をおいて、現実を直視してきたからである。

この視点から、奥の院の誕生から現代に至るまでの盛衰過程(誕生と興隆と退潮と復活)を改めて総括する。

●奥の院の誕生と興隆と退潮と復活

<奥の院の誕生>
・4000年前~3000年前にかけて、地中海は海の民と呼(よ)ばれる海賊の巣窟と化した。3200年前頃、この海賊を結集してカルタゴを建国。海賊上がりの海上交易民。
セム人(ギリシャ・ローマ人やペルシア・イラン人と同系)。
・2170年前、ローマ帝国に滅ぼされて、イタリア北部のロンバルディア地方(中心地はベネチア)やスペイン東部のカタルーニャ地方(中心地はバルセロナ)に再集結。本家はサボイ家。
◎奥の院の中心軸は、「資力第一」と「裏から操る方が利大・損小」。
何れも海賊時代からの習性。反権力・反帝国の秘密結社も、モナコやベネチアに見られる小国家共同体志向も、全てこの「裏の存在」から来ている。
何れも、損得に基づく現実直視→一種の原理(構造)認識からきており、最強の志とも言える。

<奥の院の興隆>
◎武力に勝てるのは資力⇒徹底した現実直視≒事実の追求の姿勢
・金貸し業+雇い兵業(両国の対立を煽って、戦争を起こさせ、両方に金を貸して儲ける)で資力を蓄積してゆく。
◎1000~略奪戦争が一段落すると、国家は武力支配から共認支配に移行してゆく。欧州では、教会の絶対支配(法皇>国王)が確立。戦争を最大の手段としてきた奥の院は、そこで宗教(観念支配)の力をまざまざと思い知り、法皇の攻略に注力。遂に法皇を取り込んで7回にも及ぶ十字軍遠征(1100年~1270年)に成功した。これを通じてサボイは騎士団(金貸し兼業)を欧州中に配置し、更に資力を拡大してゆく。欧州に散らばった騎士団は、地方領主となって、勢力を維持。その中で、ドイツのハプスブルグが勢力を拡大してゆく。

◎奥の院の信条と武器:反帝国・反権力⇒その為の資力蓄積⇒その為の徹底した現実直視

◎ハプスブルグに対する500年戦争は、十字軍遠征で組織した騎士団と蓄積した資力を武器とする抵抗運動(レジスタンス)。
それに対して、ルネッサンス→宗教改革→フランス革命は思想革命。

奥の院が、武力闘争から思想革命に転換した狙いは何か?
◎国家権力に対する単なる抵抗から国家支配に転じた。支配するためには思想革命が不可欠なので、共認支配が奥の院の新たな戦略となった。
その原点は、奥の院が法皇を抱き込んで成功させた十字軍遠征(1096~1272)にある。

◎法皇>国王を見て、奥の院は、集団を統合する力としての観念支配の力を、まざまざと思い知った。

海賊の時代から一貫して戦争を飯のタネにしてきた奥の院は、1000年前、法皇>国王を見て観念支配の力を思い知り、早速法皇の取り込みに動いて十字軍遠征を成功させた。この流れの中で奥の院が凄いのは、観念支配の力に気付いたこと、ただちに法皇の抱き込みに動いたこと、十字軍遠征を成功させたこと。

◎つまり、戦争を最大の商売のネタとしてきた奥の院が、観念支配の力に気付いてただちに転換したことである。

List    投稿者 tasog | 2020-07-30 | Posted in 01.世界恐慌、日本は?No Comments » 

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