2012-11-08

『世界経済の現状分析【6】中国経済の基礎知識』

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前回までは、アメリカの経済について調べてきました。さて、今回は、隣国中国について、調べて見ましょう。この間、だいぶ間があいてしまいましたが、ご容赦下さい。
現在の中国経済を調査する前に、まずは、中国が市場経済化に至った経緯、その後の国内状況等、中国市場経済化以降の基礎知識について整理していく事が非常に重要になります。

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そこで、今回は、甲南大学の論文〈リンク〉を紹介しながら、中国市場経済化の流れとそこに潜む様々な問題についてかけ足で整理していきたいと思います。論文は、2003年までのデータに基づいて整理されています。その後の状況は次回に送りますが、まずは、
1,中国市場経済化の流れ
2,中国の金融の仕組み
3,国有企業化改革の歴史
4,地域格差

について、順を追って整理していきます。
1,中国市場経済化の流れリンク
改革・開放へ中国の舵取りを大きく切り替えた立役者は鄧小平でした。彼は1976年に三回目の失脚を経験した後、1977年に復権、その後実権を掌握します。
そして1978年12月18日に開かれた中国共産党第11期中央委員会第三回全体会議において毛沢東の時代を席巻した「階級闘争」に終止符を打ち、「経済建設」へ邁進することが決定されました。これが現在まで一貫して追及されている「改革・開放」の幕開けです。
「均富論」と「先富論」
鄧小平の理念は「先富論」と呼ばれます。毛沢東の「均富論」とは対極にあり、「条件のよい者・地域は先に豊かになってよい」という内容です。要するに効率性重視の立場です。その後の中国は、
①郷鎮企業による国内の市場経済化推進
②中国の開放への転換と急成長→経済特区の設置
③貿易制度改革→外貿企業に貿易権
④東アジアの在外華僑・華人の活用

によって急速に発展してきました。
大衆消費社会を軸とした成長の開始と共に、1989年6月4日「天安門事件」が起こりますが、一方で、鄧小平は、1992年1-2月の鄧小平による中国南部視察(「南巡講話」)を軸に、「社会主義市場経済」路線の確定を急ぎ、それまで明確な方向性を持っていなかった中国において、初めて公式的な路線が示されたという意味で画期的なことでした。そして、この歴史的決定により中国は政治の自由化に蓋をしたまま、経済面での市場経済化に邁進することになります。そして、この「南巡講話」をきっかけに
①消費ブームから外資の投資ブームへ
②輸出ブーム(1994年より)
③国内の外資企業の成長

という状況が訪れます。
特に1995-2001年の期間において中国の輸出増加のうち、実に73.6%は外資系企業の輸出増加によっており、〜中略〜 少なくとも90年代後半からの中国の貿易拡大は、圧倒的に外資系企業によって牽引されてきたと言えるでしょう。
2,中国の金融の仕組みリンク
次に中国の財政及び金融の仕組みについて整理したいと思います。
社会主義計画経済期の中国では、傘下の国営企業を通じて地方政府が集めた資金を中央政府へ全額上納し、それを再び中央政府の指令によって地方政府が支出するという仕組みになっていました。
特に計画経済による国家主導の経済政策から、中国における市場開放である「社会市場主義」の施行に伴い、財政・金融の仕組みが大きく変わっていきました。
■財政改革の変遷
①1980年「地方財政請負制」
それまで収入を全額中央政府に上納する仕組みから、地方政府が収入を一部留保する仕組みに転換
②1984年「撥改貸」
財政を通じた国有企業への所要資金無償交付方式を改め、銀行を通じた有償借り入れに転換。それに伴い、「利改税」という法人税納税方式が導入される。
③1988年「財政請負制が全国展開」
比較的豊かな省に関して中央政府への定額上納(広東・福建省)と定率上納(北京・上海等)制度が導入され、残った財源は留保してよいという仕組みに変わります。ただし雲南省やチベットといった豊かでない省では収入の全額留保が認められていました。これらの省では財源収入を全額留保しても不十分であるため、それに加えて中央政府から地方交付金という形で戦略的な財源補助がなされた。
■中国の金融システム
市場経済化以降の中国の金融システムは、概ね以下のようになります。
○中国における資金の出し手は家計、その資金を借りている主要主体は企業、政府。
○不足する資金を調達するため、企業は主として金融機関からの融資に依存。そしてそのローン資金は家計の預金を通じて銀行から供給。
○その裏返しとして家計の貯蓄は証券ではなく、現預金で行われています。
つまり中国の金融システムの最大の特徴は、日本と同様に「家計→銀行→企業」という間接金融なのです。
3,国有企業化改革の歴史リンク
●国営企業の業績不振
国有工業企業の赤字が1989年から激増し、1996年には黒字額を上回りました。
⇒国有企業改革が1998年に首相に就任した朱鎔基の三大改革(国有企業・金融・行政改革)の一つになりました。
★国有企業のなにが問題だったのか?
計画期における国有企業は、国家の指令を実行する生産単位であるとともに、政治・生活の場でもありました。
〜中略〜
企業活動と政治活動がごっちゃになっており(「政企合一」と言います)、また生活に必要なありとあらゆるサービスを自前で供給する「小自給経済」でもあったわけです。このように中国では国有企業のようなワンセット社会を、「単位」と呼んでいます。現在進行中の国有企業改革とは、結局のところこの「単位」から「企業」への転換と考えることができます。
また、当時の国有企業は「大鍋飯(どんぶり勘定のこと)」とか「鉄飯碗(鉄製の茶碗は割れないことから、永久就職の意味)」とか言われるように親方五星紅旗そのもので、要するにぬるま湯だった
1987年頃から「経営請負制」の試み(経営者と所轄官庁の間で経営実績に関する契約を取り交わし、それを企業経営者が請負う)がされたが、責任の曖昧性により経営請負制は急速に後退し、90年代では「財産権」の確定が議論される。
その後、株式制導入により所有権を確定。しかし、経営の中身は何も変わらず。株式の内の3分の2は国家保有株であり市場で取引されず。
国有企業改革の焦点は、その後、国家株の売却、つまり「民営化」へ
○1995年の「抓大放小」政策
○1997年9月の中共第15回代表会議における「国有企業の戦略的調整」
中小国有企業は全て民営化(国家株の売却)、戦略的に選ばれた小数の大型国有企業のみ国家コントロール保持という政策に転換したが、国家コントロール保持という政策は以下のような問題点が浮上。
①国有企業改革の痛み
民営化とは聞こえがよいが、その裏返しは国有部門従業員のリストラ=「下崗(シャーカン)」→下崗の嵐も2000年頃に一応の峠を越えたが、都市の貧困⇒社会保障制度改革
国有企業改革のツケは長年それに資金を融資してきた国有商業銀行の不良債権問題が積み残された。⇒国が不良債権を買い取り。健全化する方向に。
②成長と雇用:外資系企業と民営企業の役割分担
外資系企業は付加価値ベースでは工業部門付加価値の25%程度を有しています。外資系企業は2002年末時点で42.4万社存在しますが、推定全雇用量は2100万人。都市部の就業者総数2億3940万人(2001年時点)に比べると、その存在は1割弱。
一方、私営企業と個人企業からなる民営企業はの雇用は、1990年の671万人から2001年時点で3658万人へ約3000万人拡大。
90年代における二つの成長セクターのうち、外資系企業は雇用面ではなく、新しい製品・サービスや貿易面で中国経済をリードする役割を担い、その結果生まれる派生的需要を民営企業が埋めて雇用を創るという、いわば役割分担があるようです。(私営企業が公式的な認知を受けたのは、1999年の憲法改正において。それまでの「補完物」から「社会主義市場経済の重要な構成要素」への格上げ)
4,地域格差リンク
それでは、こういった経済発展とは、裏腹に地域格差は、逆に大きくなっている状況を整理してみます。特に格差は90年代において先鋭化しました。
1)中国では地域格差とともに、都市・農村格差が著しい。80年代前半では農業・農村改革によって都市・農村格差は縮小したが、80年代後半から拡大に転じている。
2)農村内部格差が一貫して拡大基調にあり、特に西部農村部の所得改善が遅々としている。
3)改革・開放当初における都市間格差は驚くほど小さかったが(その主要因は全国一律の賃金制度です)、80年代後半から次 第に開き始め、90年代にそれが加速化した感がある。特に、ここ数年における実質所得の上昇は東部都市部、なかでも北京・上海・広州といった主要都市に集中している。
4)それに対して農村部の実質所得改善テンポは、ここ数年大きく鈍化している。
このように、現在の中国の繁栄は東部沿海部の都市、およびその郊外に集中しているようなのです。
格差が広がっていく要因を挙げると、
①中国の成長地域が東部沿海部に集中する理由として、元々農業条件が良い地域で、海(海上輸送のハブ港)という地理学的要素の面で、「条件のよい地域」が先に発展。成長地域以外は、取り残される。
②この地域格差はさらに外資の地域偏在によって補強。需要が集中するところに外資が集中し、外資が入る地域は急速に成長。
③所得の低い地域の出稼ぎから得られる労働所得の多くは家を建てたり、耐久消費財を買ったり、あるいは商店を出したり、貯金したりと、あまり産業化には貢献せず、出稼ぎだけでは持続的な生活水準向上に限界がある。
④中国では、現在でも「農民に対する社会的差別」があり、社会保障なるものは現在でも都市部の特権。農民問題は、中国経済社会に今後とも根深く残る問題。

まとめ
中国が市場経済化に至った経緯、その後の国内状況等の基礎知識について、かけ足で調べてきました。
1978年以降、鄧小平の「先富論」を羅針盤に、中国は、急速な経済成長を遂げていきます。財政改革、金融改革、国有企業改革等、数々の改革、開放路線を取りながら、中国は驀進していきますが、振り返ると、地域格差、都市・農村の所得格差は、ますます拡大していきます。
では、現在の中国、特に、欧州危機、尖閣諸島問題発生以降の経済状況はどうなっているのでしょうか?次回は、このあたりを中心にファンダメンタルを調査していきたいと思います。お楽しみに

List    投稿者 orisay3 | 2012-11-08 | Posted in 01.世界恐慌、日本は?No Comments » 

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