2009-11-02

経済破局を突き抜けていく道標 〜潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束

前回記事『潮流5:失われた40年』より、

’70年以降、市場縮小という現実から目をそらし、市場拡大絶対というイデオロギーから離れられず、国の借金で市場を支え続けてきた。本当はどうすれば良かったのか?
⇒ 「ゼロ成長」政策への転換が必要だったのです。これからでも早期に着手すべき課題です。

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地下鉄サリン事件  人々は「世紀末」の不安に染められていく

  
’90年バブル崩壊、大震災やオウム騒動などを経て、’95年以降の世の中には「世紀末ムード」が蔓延していきます。
そして、生命維持装置で40年間にわたり延命させてきた市場経済も、2009年ついに機能不全に陥りました。今回は、その間「ひとびとの意識はどのように変化していったのか」を見ていきます。
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るいネット『潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束』からの引用です。

バブルは必ず崩壊する。案の定、’90年、日本のバブルは崩壊した(その後、’08年、米欧をはじめ世界バブルも崩壊する)。
そして、’95年、バブル崩壊の5年後、相次ぐ金融機関の破綻を目の当たりにして、私権の崩壊が意識(予感)され始める。 
半顕在意識に生起したこの私権崩壊の認識(予感)は、私権追求の欠乏を一気に衰弱させ、急速に私権圧力を衰弱させていった。


「’97年山一破綻」   相次ぐ金融機関の破綻が日本中を震撼させた 

私権欠乏→私権圧力が衰弱したことによって、私権欠乏発の不満や怒りや要求も衰弱して無意味化してゆく。つまり、「否定」意識が空中分解してゆく。こうして、’95年以降、「否定と要求」の社会党は一気に凋落していった。
そして、「否定」が空中分解したことによって、’70年以来の充足志向→実現志向の潮流が次第にはっきりと顕在化してくる。
それだけではない。私権が衰弱したことによって、「否定」意識と同じく私権欠乏発の「自由(自由追求の欠乏)」も衰弱して無意味化し、空中分解してゆく。
それに伴って、明治以来、市場拡大の原動力となってきた性(自由な性=自我と私権に貫かれた性)の活力も一気に衰弱し、アッという間に女の性的商品価値が暴落すると同時に、男のセックスレスが蔓延してゆく。

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「セックスレス」  50代は約7割が・・・

95年以降、衰弱し続けてきた私権欠乏は、その後’03年、株式が二番底に向かうのを見て追求する活力も消え失せ、遂に私権欠乏そのものが空中分解してゆく。かくして、人々はもはや私権の追求に収束することができなくなり、永い間社会を統合してきた私権収束→私権統合という統合軸が崩壊してゆく。これは、1800年に亙って私権時代を貫いてきた私権原理の崩壊であった。
こうして、人々はどこにも収束できずに収束不全に陥ってゆく。
但し、肉体的な潜在意識は’70年以来、一貫して充足志向から共認収束し続けており、私権の衰弱につれて共認収束はどんどん強くなってきている。従って、収束不全と言っても、それは「否定」も「自由」も空中分解し、私権意識さえ無意味化したことによる顕在意識の収束不全に過ぎない。
(なお、上記の性の衰弱は、人類にとって極めて由々しき事態である。しかし、まやかしの近代思想に染められた知識人たちは、この問題からも目を背らし、ダンマリを決め込んでいる。今や、学者や評論家やマスコミ人たち(=プロと称する者たち)は、何の役にも立たないただの無駄飯食いに成り果てたと見るべきだろう。)
他方、バブル崩壊に伴う経済危機は、人々の間に危機感発の安定欠乏を生起させ、目先の安定志向を強めさせる(注:この危機発の安定志向は、’70年以来の充足発の安定志向とは別物である)。そして、この危機発の安定志向は、「自由」が空中分解したことも相まって、目先の秩序収束の潮流を生み出してゆく。タバコ、セクハラ、食品叩きと続く魔女狩り=マナーファシズムは、この秩序収束の潮流に乗った法曹官僚とマスコミの仕掛けである。


「禁煙ファシズム」  ’09年、JRの駅をはじめ公共施設は「全面禁煙」に

しかも、この目先収束は、秩序収束の段階に留まらず、更に、目先の制度収束へと突き進んでゆく。
豊かさの実現以来の充足志向→実現志向の大潮流は、’95年、私権意識の衰弱が顕在化したことによって、一段と強くなっていったが、同時に、危機発の目先の秩序収束の潮流が生起したことによって、実現志向と秩序収束の合流点に、目先の制度収束の潮流を生み出していった。既存の制度の枠組みの中での、授業や試験や資格への収束が、それである。


「お受験」  ’90年代、有名私学へ進学させることが家庭の最大目標に!

中でも、子供や若者の試験制度への収束は、小学生の時から勉強漬けで「勉強しか出来ない」無能エリートを大量生産しただけではなく、学歴が生涯の身分をほぼ規定する学歴身分社会を作り出し、社会を少数の特権階級と多数の下層階級に分解してゆく。

 
私権原理が崩壊し、社会が統合軸を失ってしまいました。
それに伴って、社会は「暴走」を始めます。マナーファシズムだけでなく、モンスターペアレンツや無差別殺人が社会問題化してきました。
そして何より恐ろしいのは・・・「試験制度」という目先の制度にどっぷり漬かった人たちが繰り広げる「暴走」です。
次回、「暴走する社会」にご期待ください。
<さらに詳しく勉強したい方へお勧め記事>
☆収束不全について
収束不全発の適応可能性の探索、その深くて強い引力
収束不全を捨象し続けた国、アメリカと日本
☆統合不全に陥った統合者の悪あがき⇒マナーファシズム
私たちと統合者側との強迫観念の勢力図の変化こそが、今日のマナー氾濫の正体では?

List    投稿者 finalcut | 2009-11-02 | Posted in 01.世界恐慌、日本は?3 Comments » 

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コメント3件

 ジャーニー・タビスキヤネン3世 | 2010.05.27 16:28

>お金を稼ぐ意味が、私権から共認へと変化した。
確かに同じお金でも、昔と今では意味合いが変わってきていますね。
それにしても、「農業」に活力再生需要を事業化する可能性があるとは!
思いもよりませんでした。

 kaku | 2010.05.29 4:13

ジャーニー・タビスキヤネン3世 さん コメントありがとうございます!
たしかに、農業に可能性があるって意外ですよね。
しかし言われてみれば、何かよさそう!という予感がしませんか?
このように需要は広く潜在的に眠っており、あとはどうやって実現基盤を発掘するか。そしてその可能性がいま開けてきているんです。楽しみですね〜♪

 hermes handbags polska | 2014.02.01 21:59

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