経済破局を超えて、新しい政治経済の仕組みへ 第11回:実現の論理を持たなかった民主党の転向と敗北
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2009年9月に発足した民主党鳩山内閣は、鳩山由紀夫首相と小沢一郎幹事長の下に、新しい政策を打ち出しました。
その中心は、脱米政策(対等な日米関係の構築とアジア重視の外交政策)、脱官僚主導、そして、埋蔵金を活用した国民生活第一の予算編成でした。
しかし、これらの政策は、半年もせずに行き詰まりました。
前回(第10回)は、その経緯とアジア共同体の空想性を扱いました。
第10回:幻に終わった鳩山・小澤民主党の脱米入亜構想
今回は、何故、民主党政権は失敗に終わったのかを、より構造的に解明します。
1.否定の論理では、実現基盤や実現イメージはつくり出せない
2.実現基盤をもたない鳩山由紀夫氏の『私の政治哲学』
3.否定意識に根ざしている近代観念をどんなに組み換えても答えにならない
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1.否定の論理では、実現基盤や実現イメージはつくり出せない
国民は2009年に政治の転換を期待し、民主党を大勝させました。その民主党が何故、かくも無残な状態に陥っているのか。それをスッキリさせたという思いがあります。
るいネットの秀作投稿に、的確な分析があります。
否定の論理しか持たなかったが故に、民主党は敗北し転向したです。
民主党が敗北し転向した本質的な理由は、否定の論理しか持たなかったことにあります。
2009年の衆院選で民主党は、脱自民(反特権)の潮流を追い風に、自民党批判・官僚批判と「政権交代」をスローガンにして圧勝し政権を獲得しましたが、政権を獲得するというのは何事かを実現する立場になるということであり、そこでは批判するだけでは済まされません。ところが、民主党には自民党批判・官僚批判といった否定の論理はあっても、「では社会をどのようにして変えてゆくのか?」という実現の論理はありませんでした。
例えば、事業仕分けをするのであれば、あるいは郵政民営化を差し戻すのであれば、「では、国家財政や郵貯350兆円を社会再生のためにどう使うのか」という答えが求められます。
また、普天間基地を沖縄から移設するということは脱米路線に舵を切ることと同義ですが、であれば脱米後の外交や国防をどうするのかが課題となります。
あるいは官僚批判をするのであれば、官僚支配に代わる社会統合の仕組みをどう構築するかが課題になります。
ところが、「民主党マニフェスト2009」リンクには、官僚批判⇒「政治家主導」「国民の生活第一」といったスローガンやバラマキ政策はあっても、「社会をどのように変えようとしているのか?」その実現イメージすら読み取れません。さらに、本気で社会を変えようとすれば、その実現基盤が発掘できるまで社会の構造を掘り下げ解明する必要がありますが、そのような実現ベクトルに貫かれた追求の形跡は見当たりません。
そして、否定の論理しか持たず、実現基盤はおろか実現イメージさえ持たない民主党がいざ政権を担うことになっても、これまで社会を統合(支配)してきた官僚組織を解体することなどできるはずがありません。
逆に官僚たちに縋らざるを得ず、その言い成りになって政権交代から1年も経たずに転向者が続出するのは、当然の成り行きだったのです。
2.実現基盤をもたない鳩山由紀夫氏の『私の政治哲学』
2009年の政権交代を果たし、首相に就任した鳩山由紀夫氏は、その直前に『私の政治哲学』という一文を雑誌に掲載しています。
『哲学』いう言葉を使う稀有の政治家です。しかし、この『哲学』は、残念ながら実現イメージに欠け、実現基盤をもたない哲学です。
クーデンホフ・カレルギー、祖父鳩山一郎と孫(由紀夫)、鳩山由紀夫氏
党人派・鳩山一郎の旗印
私の言う「友愛」は・・・フランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の博愛=フラタナティ(fraternite)のことを指す。
祖父鳩山一郎が、クーデンホフ・カレルギーの著書を翻訳して出版したとき、このフラタナティを博愛ではなくて友愛と訳した。それは柔弱どころか、革命の旗印ともなった戦闘的概念なのである。
カレルギーは、「自由」こそ人間の尊厳の基礎であり、至上の価値と考えていた。そして、それを保障するものとして私有財産制度を擁護した。その一方で、資本主義が深刻な社会的不平等を生み出し、それを温床とする「平等」への希求が共産主義を生み、さらに資本主義と共産主義の双方に対抗するものとして国家社会主義を生み出したことを、彼は深く憂いた。
「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」
「私の政治哲学」(鳩山由紀夫)
自由・平等・博愛=友愛は、近代思想そのものです。資本主義=市場原理の弊害に対して、近代思想の中で、本源価値=集団原理を一番包摂している『博愛=友愛』を強調することで、切り抜けようとしています。
衰弱した「公」の領域を復興
「友愛」は、グローバル化する現代資本主義の行き過ぎを正し、伝統の中で培われてきた国民経済との調整を目指す理念と言えよう。それは、市場至上主義から国民の生活や安全を守る政策に転換し、共生の経済社会を建設することを意味する。
現代の経済社会の活動には「官」「民」「公」「私」の別がある。官は行政、民は企業、私は個人や家庭だ。公はかつての町内会活動や今のNPO活動のような相互扶助的な活動を指す。
「友愛」の政治は、衰弱した日本の「公」の領域を復興し、また新たなる公の領域を創造し、それを担う人々を支援していく。そして人と人との絆を取り戻し、人と人が助け合い、人が人の役に立つことに生きがいを感じる社会、そうした「共生の社会」を創ることをめざす。
「私の政治哲学」(鳩山由紀夫)
『友愛』という概念を、『公』という言葉へと展開させています。しかし、何故、『公』の領域が縮小していったのかの分析がありません。これでは、どのようにして、人々を『公』の領域に収束させるかの実践方針が出てこないのです。
地域主権国家の確立
「友愛主義の政治的必須条件は連邦組織であって、それは実に、個人から国家をつくり上げる有機的方法なのである。人間から宇宙に至る道は同心円を通じて導かれる。すなわち人間が家族をつくり、家族が自治体(コミューン)をつくり、自治体が郡(カントン)をつくり、郡が州(ステイト)をつくり、州が大陸をつくり、大陸が地球をつくり、地球が太陽系をつくり、太陽系が宇宙をつくり出すのである」(カレルギー)
われわれが友愛の現代化を模索するとき、必然的に補完性の原理に立脚した「地域主権国家」の確立に行き届く。
国の役割を、外交・防衛、財政・金融、資源・エネルギー、環境等に限定し、生活に密着したことは権限、財源、人材を『基礎的自治体』に委譲し、その地域の判断と責任において決断し、実行できる仕組みに変革します。
国の補助金は廃止し、地方に自主財源として一括交付します。すなわち、国と地域の関係を現在の実質上下関係から並列の関係、役割分担の関係へと変えていきます。この変革により、国全体の効率を高め、地域の実情に応じたきめの細かい、生活者の立場にたった行政に変革します。
「私の政治哲学」(鳩山由紀夫)
カレルギー氏及び鳩山一郎、鳩山由紀夫氏の社会原理は、最小限の主体として『個人』を仮定し、その重なり(家族、自治体、地域)の延長に国家を設定しています。原始社会では存在していなかった主体としての「個人」を絶対視しています。そこには、集団=個人(構成員)という歴史的実態が存在することに全く気づいていません。
自由(個人の自由)、平等(個人を単位とした権利)、そして、個人に解体できない『公』の領域を何とか繕う博愛=友愛 という近代思想そのものなのです。
2.否定意識に根ざしている近代観念をどんなに組み換えても答えにならない
では、何故、鳩山由紀夫氏の哲学は、実現基盤の発掘や実現イメージをつくり出せないのでしょうか。
否定の論理だけで実現の論理を持たなかったこと、それが民主党が敗北し転向した原因ですが、では、民主党が否定の論理しか持ち得なかったのは、何故なのか?
私権時代の全ての既成観念(古代宗教と近代思想)は、この異常な現実否定意識に基づいて作られている。その証拠に、これまで現実を否定する意識は、常に暗黙の内に正(義)として意識され、現実を否定する意識そのものを疑うような意識は、全く登場してこなかった。これは、現実否定→倒錯思考が、私権時代を貫く思考のパラダイムである事を示している。
このパラダイムの内部では、それによって作られた観念群をどう組み変えても、又、どれだけ深く思考を巡らせても、決してパラダイムそのものを否定することは出来ない。だからこそ、これまで現実を否定する意識に対する懐疑(例えばデカルトの「我、思う」ことそれ自体に対する懐疑、例えば、思い続けている自分がおかしいのではないかという懐疑)は、針の先ほどさえ全く生じ得なかったのである。
観念パラダイムの逆転2 現実否定の倒錯思考つまり、現実否定意識に基づく近代思想から脱却できない、従って否定の論理しか持ち得ないことが、民主党が敗北し転向した根本原因なのです(否定の論理とは敗北の論理であるとも言えるでしょう)。
否定の論理しか持たなかったが故に、民主党は敗北し転向した
原始人も現代人も、現実に立脚して生きており、その意味では、現実を受け容れ、肯定して生きている。それは、当然すぎるくらい当然の事であって、現実を否定するなどというのは天に唾するようなもので、現実には有り得ない不可能なことなのである。実際、我々はメシを喰うことを現実に否定することは出来ないし、その為に市場の中で何がしかの金を得ることを現実に否定することも出来ない。
現実の否定は、頭の中でのみ(=観念としてのみ)可能なのであって、決して現実には有り得ない。実際、現実にメシを喰いながら現実を否定するというのは自己欺瞞であり、それでは下半身(存在)と上半身(観念)が断絶し分裂して終う。
それほどに、現実を否定する意識というものは異常な意識なのであり、この異常な現実否定こそ、現実の中に可能性を求めるのではなく、頭の中だけに閉ざされた可能性を求める(当然それは決して実現されることがない)倒錯思考の原点である。
観念パラダイムの逆転2 現実否定の倒錯思考
現実を対象化し方針を打ち出すには、以下のような手順が必要です。現象事実の発掘、その現象事実の背後にある人々の意識状況の固定、意識状況のから来る課題の設定、そして、人々の意識状況に根ざした方針です。
しかし、否定の意識では、現実は否定すべき対象なので、現実の状況に関係なく、いきなり価値意識(価値観)が登場し、その価値観に基づく架空の方針が打ち出されます。これが、鳩山由紀夫氏の近代思想を組み換えた「政治哲学」です。それでは、現実の中で生きている人々との乖離は必然で、現実の政治の方針にならなかったのです。
『否定意識に根ざしている近代観念をどんなに組み換えても答えにならない』の典型例です。
それでは、我々は、新たな可能性をどこに求めたら良いのでしょうか。
次回からは、その可能性の芽生え、実現に向かう基盤を考えて行きます。
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