イギリスの経済を探る①
サブプライム問題の発生から現在の金融破綻で、アメリカの経済破綻に目がいきがちな世界情勢ですが、その影でイギリスにもサブプライムの影響が大きく出ている、ともいわれています。
では、実際にイギリスの経済情勢の現状はどうなのか?また、経済破綻が起きているとしたら、その原因の構造は何なのか?を知るために、イギリスの経済の現状とそれに至るまでの歴史的経緯について探求 してみることにしました。 😀
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(wikipedia より引用)
早速ですが、イギリスの新聞である「デイリーメイル」の最近の記事に、住宅価格下落に関する情報がありました。
(以下「ロンドンFX」より引用)
英ネーションワイドの住宅価格指数は、1952年以来一番最悪の下落(年率14.6%)。そして、平均的な英国の住宅価格は平均的な所得以上の下落を続けているそうです。
具体的な数字を挙げますと、英国の平均年収が約24000ポンド、つまり平均的な一日の所得は65ポンド。これに対し、過去一年間で英国の住宅価格の平均下落は27000ポンド(1年前の平均住宅価格186044ポンド、現在の平均158872ポンド)一日平均約74ポンドの下落だそうです。
2006年2月以降に住宅を購入した人は例外なく、現在の住宅価格以上のプライスを支払っているようです。今後、このペースで住宅価格が下落していくとすると、毎月約60000万件の住宅がネガティブエクイティとなってしまうそうです。(引用終了)
また、今年一年だけでも、ポンドの価値の下落は相当なものになっています。
ポンド実効レート(青線)とユーロ/ポンド(ピンク線)です。今年に入ってから、見事に実効レート下落=ユーロ/ポンド上昇(ポンド下落)が確認できます。
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それから、最近一年だけでもイギリスでは非常にたくさんのことが起きました。
・2月19日:ノーザンロック銀行一部国有化
・6月28日:代表的な小売大手、マークス&スペンサー売り上げ激減発表
・6月:イギリス国内郊外大型ショッピングセンター売り上げ激減(原油高のため)
・9月5日:住宅関連支援策発表
・9月18日:英国最大手のロイズ銀行とHBOS銀行が合併
・10月16日:大手銀行の配当停止を巡り株価大暴落
・今年一年で住宅販売件数が126000件から59000件へと下落
・全般的な物価上昇
このように、最近一年だけでも、イギリス経済は混迷の度合いを深めているのがわかるかと思いますが、この発端には、イギリス国内での住宅バブルの形成から崩壊までが影響しているようです。
そこで、住宅バブル形成から崩壊までの経緯を追及していきたいと思いますが、その準備段階として、今回は戦後からのイギリスの歴史を追っていきます。
はじめに、イギリスを知る上での基本的な情報をまとめておきます。
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・正式名称:グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国
・面積:24.3万平方メートル(日本の三分の二)
・人口:5955万人(2003年、日本の約半分)
・公用語:英語
・通貨:ポンド
・GDO(2007年):2兆7720ドル(一人当たり35134ドル)
・一戸当たり平均住宅価格:158872ポンド
こうしてみると、日本よりも人口密度は低く、またEUに加盟しているにもかかわらず、いまだにポンドを使っているあたりが不思議ですね。 このあたり、元基軸通貨国としてのプライドも関係しているかもしれませんね。
また、産業部門別の労働者割合を日本と比較してみます。
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特徴的なのは、まず製造業の割合が低いことです。これは後述しますが、相当産業が衰退していたこと、そしてサッチャー政権時代の政策によって、製造業の労働者が大量にリストラされた、という事実が影響しているのでしょう。
逆に、日本よりも比率が高い業種は、金融、公務、教育などいわゆる頭を使う仕事(非肉体労働)で、イギリス人は楽して生きようと考える人が多いのかもしれませんね。
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次に、労働市場の指標を見てみると、ここ数年大きな変化はありませんが、恒常的に150万人(4%)程度の失業者がいることがわかります。
そして、失業者の中身がまた問題なのですが、イギリスでは若者世代の失業率が顕著で、たとえば18歳層の35万人のうち、24.3%が失業中で、15.1%がNEET(NEETということばはイギリスで生まれたそうです)なことから、実に40%の18歳が無職なのです!
加えて、若者世代以外での貧富の差は大きそうです。あるデータによると、イギリスの低所得者層は540万件あるといわれ、さらに20%は年間6635から13355ポンド、そして80%は0〜6635ポンドで生活しているそうです。
また、fuel povertyと呼ばれる、光熱費が年収の1割以上になってしまう世帯が、近年増加しているようです。
以上より考えられることは、
イギリスでは日本では想像もつかないほどの貧富の差が生じているのではないか、ということです。
こんな状態でも、住宅価格は最近まで上昇を遂げていたので、バブルがはじけた影響は大きいでしょう・
では、なぜこのような社会状況になっていったのかを解明するために、戦後のイギリスの歴史をおっていきます。すると、その一因として、サッチャー政権時代の影響が強く残っているのではないかという結論に至りました。
それでは、まず大まかな歴史的な流れに注目します。
ー近代のイギリスの歴史ー
・第1次世界大戦後のアメリカドイツの工業化による対等、基軸通貨国としての産業が衰退
・第二次世界大戦後:基軸通貨国から脱落「ゆりかごから墓場まで」で福祉国家化、民間企業の国有化が進んだ。しかし、一方で強固な階級制度が残り、慢性的な不況「英国病」となった。
・1979〜1990:サッチャー政権→小さな政府へ
・1992年ポンド危機
・1992年9月:家計部門の耐久消費財支出の伸張:景気が回復傾向に
・97年ころ:景気回復にもかかわらず、「子供5人のうち一人は就労者がいない世帯で暮らし、数千人が基礎学力を身に着けないで学校を卒業し、そして300万人の労働年齢の人々が未就労で、2年以上給付に依存している状態」に。
・97年から2007年:ブレア政権→第三の道へ→比較的高い成長率と好景気の持続、住宅バブルの形成
・2007年〜現在:住宅バブル崩壊、金融破たん
サッチャー政権が誕生した70年代末にはオイルショックを経験し、長年の「英国病」によって経済は低迷し、当面の政策の第一義としては、景気回復が望まれていた時代でした。また、階級制度という強固な私権制度があった時代でもありました。
そこでサッチャー政権が行った主な政策としては、以下のようなものがあります。
国有企業の民営化、労働組合の弱体化、所得税の減税、法人税の減税、付加価値税の増税、外資系企業の積極的誘致、教育改革など
これらの背景にある意図として、第一には「インフレの抑制」がありました。その目的達成のために、通貨供給量の調整が3つのルートで行われました。
一つ目は、政府借り入れの抑制と公共支出の緊縮でした。これによりインフレは抑制に向かったものの、不況が長引き失業が増大しました。
二つ目は利子の引き上げです。これによっても不況が続き、失業率は増大しました。そして、1985年には失業率が現在の2倍である11.3%(300万人)にまで上昇。
三つ目は為替相場を自由化して、ポンド高を誘引した調整でした。これによって、輸出産業(製造業)は大打撃をうけ、輸出不振、不況を深刻化、そして海外投資に大量の国内資金が向かいました。
ここまで不況を長引かせてまでインフレを抑制したかったのは、インフレ抑制を持続的な経済成長の大前提としていたからですが、さすがにそれでは不況が増すばかりなので、第二の課題として、不況克服や「英国病」対策を掲げ、生産性の上昇に手が打たれました。
生産性は、単位労働時間あたりの付加価値で計れるので、生産性の値を上昇させるには分子である付加価値を上昇させるか、分母である労働時間を少なくすることで、計算上は高くすることができます。
そこで、イギリスが選択した手は、後者、つまり単位労働時間の削減でした。具体的にはと特に製造事業で機械化をして労働節約に努めました。その結果製造部門から大量の失業者があふれました。
その結果、確かに見かけ上は生産性は「経済的奇跡」と呼ばれるほど改善されたのですが、それはあくまで見かけ上であり、実際の国力は衰退、貧富の差が拡大したのです。
1970年代以降の各国のジニ係数(格差の度合いを表す指標)の推移を見てみると、明らかにイギリスの格差拡大が大きいことがわかります。
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また、同時期に魅力的な投資条件から海外からの直接投資が集中し、自動車産業などの基幹産業がほとんど外資に買収されたのでした。
よって、実体経済は極端に衰退し、失業者が増大する中で、外資(金貸し)がイギリスに進出したことによって、金余り状態が生じた→土地に投資先が向けられたという流れが十分に考えられます。
では、それ以降の流れについてはまた次回追求していきたいと思います。
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