市場論・国家論1.’70年~現在:市場の拡大停止期
実現塾の要約です。
イ.市場拡大停止の根拠
①借金経済:’70年以降の経済成長の数字は、国家が赤字国債を発行して、1000兆円を超えるお金を市場に注入してきた結果で、毎年の成長額からこの借金分を差し引くと、成長率はゼロであり、市場は全く拡大していない。
注:現代の市場は、国家が借金をしてそのお金を市場に注入するという、いわば人工呼吸装置によって維持されている人工市場である。
注:自由市場や自由経済という言葉は、騙し(欺瞞観念)であって、現実には、国家によって管理された市場しか存在しない。
②生活の進歩の停止:明治以降1970年までの120年の間に、電気をはじめ様々な機械製品が家庭に導入され、家庭生活は著しく進化したが、’70年にカラーテレビ・クーラー・車が導入されて以降、現在まで50年間、物的な生活は全く変わっていない。
注:パソコンや携帯など、情報機器の進化は、物的生活から共認生活への移行を示していると考えられる。
③近代科学の停止:近代科学がそれなりに進化していたのは、20世紀初頭の相対性理論や’60年代のDNA二重螺旋構造までで、’70年以降は全く進化していない。科学そのものが停止した以上、市場拡大が停止したのは当然だと考えられる。
注:学者の世界では、科学は停止したままだが、素人の世界では、フリーエネルギーをはじめ新しい技術の開発が進められている。
注:学者の世界でも、西側の科学は停止したが、ロシアをはじめとする東側では、単極子磁石の発見や反重力理論など、科学の進化は続いている。
ロ.なぜ市場は拡大を停止したのか
市場拡大の前提となってきたのは、飢えの圧力と私権圧力であるが、’70年頃、先進国(日・欧)では、物的な豊かさが実現された。その結果、飢えの圧力と私権圧力が共に衰弱し、市場は拡大を停止するしかなくなったからである。
それだけではない。私権追求の欠乏が衰弱したことによって、活力も一気に衰弱し、とりわけ日本人の活力は世界最低の水準にまで落ち込んでいる。従って、新しい活力源をどこに求めるのかが、最大の問題となってきた。
ハ.なぜ近代科学は停止したのか
①豊かさの実現:豊かさが実現されて、人々の物的な豊かさに対する期待が薄れてしまったことが、一番大きな底流としてある。
しかしそれ以外に、近代科学(とりわけ西側の科学)に固有の原因が二つある。
②学者の特権身分化:学者という身分が特権化されてゆくにつれて、学会が古い原理や法則を絶対とする権威主義に陥ってゆき、その結果、古い原理や法則に反する研究成果は闇に葬られるようになった。(例えば、ニコラ・テスラの電磁波の研究や、多くの学者や素人によるフリーエネルギーの研究)
その結果、根本原理を疑うような科学者がいなくなり、専ら専門分化だけが進められていくことになった。しかし、発明や発見というのは根本原理を覆すことであり、専門分化の先に、そのような発明・発見が生み出されることは期待できない。
改めて大きく捉えなおせば、19世紀までの科学者の中には一定の割合で天才が存在したが、20世紀以降は暗記脳の受験エリート=凡人ばかりになってしまったともいえる。
③自然を征服・支配するという思想:東洋人には、自然を畏れ敬い自然との調和を旨とする価値観が今も息づいているが、西洋人には、自然を支配・征服するという価値観が深く根付いている。実際、ガリレオからニュートンにいたるまで、西洋の科学者たちはほぼ異口同音に「実験によって自然を拷問にかけて自然に白状せしめる」というような記述を残している。従って、近代科学がひたすら環境を破壊し続けてきたのは、必然であったといえる。
しかし今、そのような西洋科学は、自然からのしっぺ返しを受けて、ニッチもサッチもゆかなくなり、行き詰ってしまった。(例えば、未だに解決できない放射能、あるいは次々と登場する耐性菌)
ニ.人類の新しい活力源は?
人類は一貫して飢えの圧力に晒されてきた。従って、’70年の豊かさの実現とは、人類史上初の出来事であり、人類は、新しいステージに入ったと考えられる。
では、人類の新しいステージとは何か?
それを、人類の意識の4層構造に即して見ていこう。
<観念機能>
今、求められるのは、徹底した事実の追求である。(東側の科学が今なお進化し続けているのは、東側の科学者たちが、科学の原点ともいえる事実の追求を重ねてきたからである)
現代は、現実には存在しない架空観念である「権利」という言葉をはじめ、事実に反する常識が蔓延っているので、まずは徹底した事実の追求によって、これらの事実に反する常識群から脱却することが、何よりも第一に求められる。
<探求機能>
人類は、何であれ強制されれば意欲を失うし、教えられるだけでは追求心を失って無能化する。従って、強制圧力をもってひたすら講義し教え込むだけの現在の学校教育からの脱却が不可欠となり、『みんなで追求』するアクティブ・ラーニングが勢いを増しつつある。
この『みんなで追求』こそ、人類を人類に進化させてきた命綱であり、かつ『みんなで追求』する追求充足こそ、人類の最大の活力源となってきた。従って、人類は、ようやく人類本来のステージに戻ったともいえる。
<共認機能>
すでに’60年代から、仲間収束の潮流は顕現しており、その後も、仲間収束の潮流は強まる一方である。そして今や、『役に立ちたい』という意識が主流となった。ただし、共認充足を得るためには、対象に対する同化が不可欠であり、そのためには「自分第一」等の常識から脱却する必要がある。
<本能機能>
最も難解で未明部分が多い。現在いえることは、仲間収束にしても、みんなで追求にしても、事実の追求にしても、それらの意識の根底部分に力の欠乏が存在するということである。
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