2013-02-05

大恐慌の足音・企業は生き残れるか? 第5回その2〜トヨタ創業の理念、至誠の精神は残っているか〜

前回は、トヨタ自動車の経営内容、財務状況を扱いました。トヨタは、リーマンショックの打撃から立ち直っていることをみました。

大恐慌の足音・企業は生き残れるか? 第5回その1〜トヨタ自動車の経営分析〜

リーマンショックは、トヨタにとって、戦後直後の経営危機以来の大幅赤字となりました。この危機状況に対処するため経営トップに、創業者豊田佐吉翁のひ孫に当る豊田章男氏が就任し、創業家・豊田家が前面に出ることとなりました。

今回は、創業家・豊田家の企業精神はどうか、章男氏にはその企業精神が流れていかを扱ってみます。

1.豊田佐吉翁の報徳思想、豊田綱領
2.倒産の危機が生み出した、三河モンロー主義
3.市場主義者が生み出したリーマンショックでの経営危機
4.豊田章男氏にみる創業者の精神

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1.豊田佐吉翁の報徳思想、豊田綱領

豊田佐吉翁は、静岡県西部(現湖西市)に生まれます。佐吉翁は発明の気質旺盛で、織り機の工夫、発明にまい進します。その佐吉翁は、二宮尊徳の教え、『報徳思想』の影響を強く受けています。報徳思想は、江戸末期から遠州(静岡県西部)、三河にかけて広がって行き、佐吉翁の父親がその信奉者でした。

下の表は、トヨタの創業、戦前の略史です。

佐吉翁は、1926年に(株)豊田自動織機製作所を設立し、息子の豊田喜一郎氏が自動車生産に取り組み出します。その資金は、自動織機の特許を英国会社に譲渡することで生み出して行きます。

佐吉翁は、生涯、質素な服装で工場に出てくることが多かったと伝わっています。
その佐吉翁の考えをまとめたものが、『豊田綱領』です。豊田利三郎(佐吉翁の娘婿)、豊田喜一郎(長男)が中心となって整理し、成文化したもので、佐吉翁の5回目の命日にあたる1935年(昭和10年)に発表されました。トヨタグループ各社に受け継がれ、全従業員の行動指針としての役割を果たしています。

豊田綱領と報徳思想との対応を見てみましょう。【 】に入れているのが、報徳思想のキーワードです。概ね、報徳思想と対応しています。

豊田綱領

一、上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を拳ぐべし。 【至誠】
一、研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし。    【勤労】
一、華美を戒め、質実剛健たるべし。           【分度】
一、温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし。
一、神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし。     【推譲】

トヨタの創業精神には、至誠・勤労の精神が流れていました。

二宮尊徳の報徳思想については、このブログの過去の記事も参考にしてみて下さい。

脱金貸し支配・脱市場原理の経済理論家たち(14)江戸期の経済理論家その1(二宮尊徳)

2.倒産の危機が生み出した、三河モンロー主義

トヨタの戦後は、工場閉鎖・労働争議により、倒産の危機に陥ります。
1950年、労働大争議が起こり、トヨタ存続の瀬戸際に陥ります。そのトヨタを再建したのは、以下の3つの対策でした。

(1)豊田自動車の実質創業者である喜一郎社長の退任
(2)工販分離:販売部門を分離し、トヨタ自動車販売(株)を設立し、販売主導にする。
(3)何とか取り付けた銀行融資20億円

経営体制の組み換えが行われました。いわゆる工販分離です。豊田自動車をトヨタ自動車工業(生産会社)とトヨタ自動車販売(販売会社)に分割し、工業の社長に石田退三氏、販売の社長に神谷正太郎氏が就任します。特に、神谷正太郎氏は日本GMでの経験があり、トヨタのディーラー網を積極的につくりあげ、「販売のトヨタ」の基礎をつくっていきます。

銀行融資20億円は、難航します。銀行融資団が組まれますが、銀行にも資金がないので、実質、日銀からの資金供給が必要でした。時の日銀総裁は、一万田総裁でした。その一万田総裁は、「日本には自動車企業は必要ない」が持論で、トヨタの融資に難色を示します。
最後は、何とか融資が実行されますが、トヨタにとっては、苦い経験でした。

その教訓が、「中央財界とは係るな」という三河モンロー主義です。

石田退三氏の言葉が伝わっています。「昼間から皆が集まって酒を飲んでいる財界活動などはまったくの無駄である。そんな暇があったら働いていたほうがよっぽどいい」と。

実際、トヨタ自動車工業の本社は、豊田市に置き、東京本社をつくりませんでした。
東京本社ビルを水道橋に構えるのは、1982年(昭和57年)になってからです。

また、無借金経営をかたくなに目指していったのです。
toyota202.bmp

戦後のトヨタ再建・拡大には、やはり、勤労精神、自立精神が底流として流れています。

3.市場主義者が生み出したリーマンショックでの経営危機

1982年(昭和57年)に、戦後分離したトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売を合併させ、トヨタ自動車(株)を設立します。社長には、佐吉翁の孫、喜一郎氏の長男である豊田章一郎氏が就任します。
そして、東京の水道橋にトヨタ自動車東京本社ビルを建設し、三河モンロー主義を捨てます。

因みに、豊田章一郎氏と次の社長を務めた奥田碩(ヒロシ)氏が、経団連会長に就任しています。
toyota203.bmp

この時期は、トヨタが市場主義に大きく傾斜していった時期です。

それを象徴的するのが、高級車LEXUSブランドの導入です。1989年にレクサスをまずは米国に投入し、2005年には、日本国内にレクサスを全国展開します。

売れれば一台当りの利益が大きな高級車の投入は、トヨタが利益至上主義になったことを象徴しています。

市場主義、利益至上主義を主導したのが、豊田章一郎氏の後を継いだ、奥田碩、張富士夫、渡辺捷昭の豊田家以外の三代社長でした。

渡辺捷昭社長時代に、GMグループを抜き、世界自動車販売の第一位に立ちます。また、奥田碩経団連会長は、小泉内閣の経済財政諮問会議の委員を務め、市場原理主義の政策に積極的に参加します。

しかし、この市場主義、利益至上主義は、リーマンショック後の先進国の市場急落で手痛いしっぺ返しを受けます。2008年の連結決算で、5600億円という経常赤字となります。特に、高級車レクサスが大打撃を受け、その生産工場であるトヨタ自動車九州が閉鎖の瀬戸際に陥ります。

4.豊田章男氏に
みる創業者の精神

このトヨタ創業以来の2度目の危機に際し、創業家・豊田家の出身者が、改めて経営トップに立ちます。佐吉翁のひ孫、喜一郎氏の孫、章一郎氏の長男である豊田章男氏です。

社長就任以後の豊田章男氏の動向を断片的ですが見てみます。

章男社長はかねて「今のトヨタは機関投資家やマスコミだけを大事にしている」と、マスコミとIR(投資家向け広報)偏重の広報体制に不満を持っていた。
そこで社長就任早々の体制刷新で、真っ先に広報部門に手をつける。「奥田、張、渡辺と三代のトップを支えてきた広報幹部を子会社に出し、体制を一新した」と、前出のトヨタ関係者は内幕を明かす。
豊田家との関係が深い販売会社幹部は「渡辺さんの拡大路線はトヨタを未曾有の危機に陥れた。責任を追及されるのは当然だ」と切り捨てる。
章男社長が盛んに強調する「トヨタの創業精神を忘れた無謀な拡大路線」批判は、トヨタ社内の求心力を旧経営陣からオーナー一族へシフトしようとするプロパガンダであることは間違いない。
暴君と呼ばれ始めた「トヨタ章男」早くも「正体」露見か

上記の『選択』の記事は、トヨタ内部の軋轢を扱い、豊田章男氏に批判的な記事にしています。その記事から伺えることは、章男氏が以下のような認識をもっていることです。

*リーマンショックでのトヨタの危機は、「トヨタの創業精神を忘れた無謀な拡大路線」にある。

*トヨタは機関投資家(ファンド)やマスコミだけを大事にしてきた。これらの市場主義者を対象にしていると経営を誤る。

また、原発についても、真っ当な発言をしています。

豊田自工会長「美しい故郷残すことも使命」 原発ゼロめぐり
中日新聞2012年9月21日記事(ネット上は既になし)

政府が打ち出した2030年代の原発稼働ゼロ方針をめぐり、日本自動車工業会(自工会)の豊田章男会長(トヨタ自動車社長)は20日の記者会見 で、「次の世代に美しい故郷を残すことも経済人の使命」と発言。今後3年ほどの短期的なエネルギー供給は「真剣な議論が必要」としながら、企業のコスト以外に、国民の暮らしの視点からも議論するべきだとの考えを示した。

豊田会長は東日本大震災以降、日本人のエネルギーへの考え方に「大きな変化が起きた」と話し、「福島では原発事故で故郷に帰れない方々が多くいるのも現実」と指摘。ただ、原発ゼロへの賛否は「(原発発電比率を)何パーセント にするのか、自動車産業に十分な知見はない」と述べ、明言を避けた。

豊田喜一郎氏が、自動車工場用地を選定している時に、義母(佐吉翁の二人目の妻)から、「工場を作るときは、水田を潰してつくってはならない。水田はお米を生産するためにある」と諌められたと伝わっています。

豊田章男氏の「次の世代に美しい故郷を残すことも経済人の使命」との考えは、豊田佐吉翁以来の『報徳精神』が背後に見えます。

日本の巨大企業・トヨタグループが、今後、市場縮小の中で生き残るには、豊田佐吉翁以来の社会性を持った創業精神、報徳精神を何処まで発揮できるかにかかっているように思います。

次回は、日本の優れた製造企業とその背後にある企業思想、経営思想をみてみます。

List    投稿者 leonrosa | 2013-02-05 | Posted in 01.世界恐慌、日本は?No Comments » 

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