2010-09-11

‘70年貧困の消滅で、市場は縮小過程に入った−その2「市場が拡大を停止した原因は?」

世界で最も早く貧困を脱した、と言われる日本,、果たしていつ頃から市場は拡大を停止したのか、
その要因は何か?そして今後の展望はどこにあるのか?をシリーズで見ていきます。
             
          電化製品が普及してくると国の借金が膨らんでいく、、(グランドセオリーより
前回の記事は
その1「日本は’70年に戦災と貧困を克服し豊かさを実現した」(リンク)では
日本は’70年代の初めに物が行き渡り、「豊かさ」を実現した。豊かになると物的充足が飽和限界に達するので需要が頭打ちとなり、市場は拡大を停止するしか無くなった、、事を明らかにしました。
今回はその2回目、「市場が拡大を停止したのはなんで?」を追究します。
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前回と同様にるいネットの投稿から「市場拡大停止の原因(3)」(リンク)紹介します。

 市場拡大停止  →  需給ギャップ  →  金余り  →  バブル崩壊  → 
      

  山一破綻  →  強烈なコストダウン圧力  →  生産拠点の海外移転  → 
      

    地価の下落  →  不良債権問題が深刻化  →  消費マインドの委縮   
   

簡単に整理すると、
 「市場拡大停止→需給ギャップ→金余り→投機経済のバブル化と、
一方での実体(物的)経済のデフレ化→バブル崩壊(及び円高)で、
一気にデフレ圧力顕在化→強烈なコストダウン圧力→売上減少と生産拠点の海外移転(土地の輸入)→地価の下落→企業・銀行の財務内容悪化→不良債権問題の深刻化→株売り圧力→景気の不透明感とさらなる需要(消費)マインドの萎縮→さらなるデフレ化(以下循環的繰り返し)」
    
ということになりますが、企業のリストラとそれに伴う失業率の増大、所得水準の低下、及び景気の先行き不透明感などから需要(消費)マインドはますます落ち込み、それがさらに企業売上を減少させるというデフレスパイラルに陥っていることが、事態をより深刻化させています。
 これに対して政府は、なりふり構わず財政赤字の拡大と金融緩和の麻薬注射を行って、あるいは、経済戦略会議やその柱としてのIT戦略などの景気刺激策を総動員して、総需要喚起の政策をとってきたわけですが、一向に消費は盛り上がらず、結果は国や自治体の借金を拡大しただけです。これらの事態を冷静に分析すると、やはり「物的欠乏(需要)は、ほぼ飽和限界に来ており、市場拡大は停止している」という根本の事実を認めざるを得ないでしょう。
(ITのインフラ整備や新産業育成のための規制緩和が遅れているという議論もありますが、市場全体の拡大問題から言えば、本質問題ではないでしょう。経済のソフト化(第二次産業から第三次産業へのシフト)が世間で言われているほどには、市場拡大に寄与しないことは米国で実証済みです。IT化は本質的には、物流の合理化等を通じてデフレ圧力として作用するものです。)

 
 
物が行き渡り、需要の頭打ち(=市場縮小)に危機感を感じた財界、政界および学者、官僚、マスコミの者たち統合階級は、不足する需要を補うために公共投資をはじめとする資金を市場に流し込んできた訳ですが物的需要は飽和状態なので「金余り」になり「投機経済」→「バブル」に向かわせます。
バブル経済を作ったのは統合階級なのです。
実態のない投機は「バブル崩壊」を招き市場は一気に冷え込んで行き、地価の下落や企業・銀行の財政破綻を招きます。
こういう状態にあっても統合者たちは「景気刺激策」を総動員して、総需要喚起の政策をとってきたわけですが、一向に消費は盛り上がらず、結果は国や自治体の借金(現在では900兆円)を拡大しただけです。
>「物的欠乏(需要)は、ほぼ飽和限界に来ており、市場拡大は停止している」
>という根本の事実を認めざるを得ないでしょう。

 さて、「なぜ、物的欠乏(需要)は限界にきているか?」という本題ですが、この原因にはいろいろ考えられますが、私はこれは経済問題ではなく、本質的には人々の価値観・思想の問題ではなかろうかと考えています。
つまり、「物的に豊かになることが、人々にとって第一の価値ではなくなった」ことが本質原因ではないかと思います。これは各種の世論調査でも現れていますが、人々の多くは、「物的な豊かさ」よりは、「家族や友人との語らい」や「趣味などの自由時間」などに物的価値以上の価値を見出そうとしています。
これは経済構造を考えるうえで大きな転換です。実際、大多数の人々の家の中は、物財であふれかえっていますし、着るものだって食べ物だって余って捨てているくらいですから、もう大して必要なものは残されていないのです。住居だって一部の住み替え需要はありますが、マクロ的には世帯数を住宅数の方がとっくに上回っており、かつての市場拡大期ほどの需要はもうありません。車だって車の必要な地方では一人に一台が当たり前になっており、残るのは買い換え需要だけです。
 さらに付け加えるならば、市場経済の本質には、 帝国主義的市場の覇権闘争という問題もあると思いますが、そのような思想そのものが曲がり角にきているというのが人々の価値観の転換の背景にあるのではないかという気がします。人々の多くは(少なくとも日本人の多くは)、これ以上環境を破壊してまで、後進国を搾取してまで、カネを稼ぐために嫌な疎外労働をしてまでも、人より豊かになりたいとは思わなくなってきているのではないでしょうか。
私は、少なくとも生活感情レベルでは、市場拡大至上主義(或いは私権第一)の思想は転換点を迎えているのではないかと思います。
 しかし、現実の世論としては、市場拡大への期待はなくなることはありません。次の問題は、「市場拡大幻想はなぜなくならないのか?」ということかと思います。

   
     
     日本の産業別GDPシェアの推移(リンク
 
 
 
「市場が拡大を停止した原因」は、、
直接的には、豊かになり物が行き渡ったので物が売れなくなり市場拡大が停止したからですが、、
本質的には、物的に豊かになることが、人々にとって第一の価値ではなくなったからです。
市場停止(不況)という問題は経済問題ではなく、本質的には人々の価値観・思想の問題だという捉え方は経済構造を考えるうえで大きな転換です。
学者、官僚、マスコミから「市場拡大」を超える発想が出てこないのは、問題の本質が捉えられないからと言えます。
人々の意識が『これ以上環境を破壊してまで、後進国を搾取してまで、カネを稼ぐために嫌な疎外労働をしてまでも、人より豊かになりたいとは思わない。』のであればどれだけ景気刺激策を総動員して無理矢理市場を拡大する政策をとっても問題は解決しないばかりかドンドン悪化させるだけです。

その意味では市場拡大させる為に登場した経済の専門家(エコノミストやアナリスト)からは答えが出てこない、と言えます。 次回はエコノミストやアナリストの存在について調べてみます。
 
 

List    投稿者 mukai | 2010-09-11 | Posted in 01.世界恐慌、日本は?4 Comments » 

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コメント4件

 しっぷう | 2011.06.18 21:25

鎖国だなんて、結構ドラスティックなことになりかねないですが、充分考えられることだと思います。
そして、強制的にでも鎖国することで、日本の可能性が開かれるのでは、と密かに期待しています。

 ざしきわらし | 2011.06.18 22:19

半鎖国なんて、大変そうなイメージしかありませんでしたが、自分達の望む国を作る機会にもなるというのは面白いと思いました。
みんなで真剣に考えたら、良い社会にもできる可能性があるので、もっと追求してみたいです。

 mosimobox | 2011.06.18 22:26

現状から言うと自分が放射化しても気付かないかもしれませんが、半鎖国して生活が変われば対象化できそうですね。
被爆するのは生命の危機として怖い感覚はありますが、問題だけじゃなく可能性も提示してあるので希望が持てました。

 hermes handbags danmark | 2014.02.02 1:57

hermes lieferung 金貸しは、国家を相手に金を貸す | 『脱原発 脱市場 不屈の日本再生11』〜日本半鎖国化でど〜なる?〜

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